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「奇跡を待たない医療を」 iPS細胞から「ミニ臓器」をつくる

Breakthrough 突破する力
横浜市立大の先端医科学研究センターで。自席(写真右)には、積み重ねた書類の上にパソコンが置いてあった。
photo: Semba Satoru
横浜市立大の先端医科学研究センターで。自席(写真右)には、積み重ねた書類の上にパソコンが置いてあった。 photo: Semba Satoru

武部が講演でこの写真を見せたのは、理由があった。この男性は渡米して臓器移植に成功したが、募金などで1億円を集め、ドナーが見つかったという奇跡が重なったまれな例だった。

同時に武部は、圧倒的なドナー不足で、本当に重篤な患者がいても、臓器が間に合わずに亡くなってしまうという厳しい移植医療の現実も米国で目の当たりにした。

「自分は将来、ただ奇跡を待つ医療は嫌だと思った」。この思いが、臓器再生を研究する道につながっていった。

武部は臓器移植に代わる手段として、iPS細胞を使って「ミニ臓器」の開発に成功。その一つである「ミニ肝臓」を使った治療に向けて、研究を進める。肝臓そのものをつくるのではなく、病気になった肝臓の周辺に多数のミニ肝臓を移植することで、失われた機能を補うという手法は国内外で注目されている。2013年に「ネイチャー」にミニ肝臓作製の論文を発表。肝臓の病気がある新生児にミニ肝臓を移植する臨床試験を19年に実施することを目指し、計画を進める。

3年で結果を出す

医師を目指したのは小学生の時、父が脳卒中で倒れたことがきっかけだった。9割の確率で後遺症が残り社会復帰ができないと言われていたが、幸いにも1割に残ることができた。「父が亡くなっていたら進学もできなかったかもしれない。一人の命を助けることで、家族や周辺の人も救われる」と魅力を感じた。

医学部入学当初は、研究という職業があることすら知らなかった。留学の相談をしようと、横浜市大のOBで、現スタンフォード大教授の中内啓光(65)に会いに行ったところ、「どう人と違うことができるか考えたらどうか。その一つが研究だ」と言われた。武部は中内から紹介され、「100年後に役に立つ研究ではなく、患者に早く届けられるような研究ならやってみたい」と、学部2年生から臓器再生医学の谷口英樹(53)の研究室に通った。

親友で国立成育医療研究センターの竹内一朗(31)は、武部がめげたり、弱音をはいたりする姿を見たことがない。「彼は困難な状況になっても落ち込まず、すぐに情報を集めて、問題点を突き止めて解決する。それも割と楽しみながら」。竹内は小児医療の現場で、いまでも武部の言葉を胸にとどめている。「治る人、治らない人を選別するだけの医者にはなりたくない」。医者は治らない病気を治す人だと思い医学部に入った武部が、実習で難病患者の診療にかかわったときの言葉だった。

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大学祭でサックスを演奏する武部(左)と親友の竹内

卒業後、武部は助手として谷口の下で研究を続けた。臨床医としての初期研修を受けてから研究の道に進めば、研究をあきらめても、すぐに医師として働くことができたが、あえてその道を選ばなかった。谷口は「後悔しないか」と聞いた。

武部も迷いがなかったわけではないが、「自由な発想で頭を使うなら、クリエーティブな時期にやった方がいい。後になってからだと、今ほどの挑戦はできなそうだ」と考え、決断した。

武部は三つの目標を定めた。

論文をネイチャーに出す、研究費を1000万円以上獲得する、特許を取得する。3年後にこれらが達成できなかったら研究はやめて、米国で外科医になるか、日本で臨床医になるための初期研修を受けると決めた。「結果を出さずに、中途半端な日常になるのは嫌だった」

ミニ肝臓の土台は、医学部を卒業して半年足らずでできた。細胞を混ぜる際に通常とは違う培養皿を誤って使ったところ、モコモコとした見たことのない組織ができあがった。「カビだろう」と言う人もいたが、「誰かに『なかなかいい』と言われる研究は、その人の予想の範囲内にすぎない。ネガティブな反応が出るくらい突拍子もないことの方が、新鮮味がある」と研究を続け、ミニ肝臓をつくり出した。

しかし、そこからネイチャーに論文が掲載されるまでが大変だった。「無名のところから出てきた論文は、すぐには信頼されない。最初は無理だなと思っていた」と武部は振り返る。谷口は研究室の人員を武部に集中させた。論文を何度も修正し、掲載まで1年半ほどかかった。

谷口は武部を「子どもの素晴らしさである無邪気な高揚感を大人になっても持ち続けている。失敗することが頭に浮かばない。だから常に前向き」と評する。

バックキャスティングの発想

 武部が常に意識しているのが「バックキャスティング」という考え方だ。将来の目標を設定して、そこから今を振り返って、何をすべきか考えるということだ。「完全な臓器を患者さんの体内につくる。そのためには何をすべきか」。ネイチャーへの掲載も、達成しなければならない通過点の一つだった。

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Photo: Semba Satoru

最初に意識したのは、高校の吹奏楽部での活動という。武部はプロを目指して音大への進学を考えるほど、アルトサックスに打ち込んでいた。部の中心的な存在として、「1年後に県大会を突破して、関東大会に出る」という目標を設定し、逆算して今すべきことを実行していった。当時の顧問・山岸淳(49)は「一つ一つ自分が納得いくまでやるというのが顕著に表れていた」と振り返る。

先を見据えて積み上げた実績で、武部は26歳で横浜市立大の准教授に就任した。海外からも複数のオファーが舞い込み、肝臓周辺の臓器の専門家がいて、世界中から難病の子どもが集まる米オハイオ州シンシナティ小児病院に研究室を立ち上げた。

武部は「あらゆることが新鮮。特許や論文が出るよりもずっと前の段階から『うちとコラボレーションすればもっとすごい成果が出るかも』と新しいプロジェクトがどんどん始まる」と話す。

初めて会ったとき、「あまりに若くて驚いた」という、上司にあたるジョージ・ベジーハ(57)は「他の研究者と質の高い議論をしたり、互いに助け合ったりしながら進めている」と評価する。

研究室のウェブサイトには武部がもう一つ大事にしている「ラディアル・シンキング(物事を多面的にとらえること)」が、イメージ図とともに掲げられている。専門領域を中心にしながら、放射状に「3D印刷」や「進化人類学」など一見関係ないような分野とつながっている。「全然違う領域の仕事やノウハウが、課題を解決できるような発見につながることがある」

研究室のマネジャー、オータム・ハーガソン(50)によると、武部は研究室のメンバーと一緒に昼食を取り、新しい人が来ると歓迎会も開く。「家族の話もよく聞いてくれ、同僚として以上にお互いを知ろうとしてくれる」と言う。

武部は「今の時代、規模が大きくて多くの人で詰めない限り立証できないチャレンジングな課題しか残っていない。研究は本当にチーム戦」と言い切る。

武部が数年内に目指す方法は、まだ一部の患者にしか適用できないという。「第2、第3の発展した方法をつくらないとたくさんの人を救えない。絶対に実現したい」(文中敬称略)

 Profile

  • 1986 横浜市生まれ。両親と三つ上の兄がいる
  • 2005 桐蔭学園高校卒業、横浜市立大医学部医学科に入学
  • 2010 米コロンビア大移植外科研修生
  • 2011 横浜市大卒業、同大助手(臓器再生医学)に就任。電通×博報堂 ミライデザインラボ研究員
  • 2013 英科学誌「ネイチャー」にiPS細胞からミニ肝臓をつくる技術を発表。
  •      同大准教授に就任
  • 2015 米科学誌「セル・ステムセル」にミニ肝臓の培養手法が他臓器にも応用できるとする成果を発表
  •      米シンシナティ小児病院准教授に就任(兼務)
  • 2016 京大iPS細胞研究所と武田薬品工業の共同研究プログラムの研究責任者に就任
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Memo

広告医学…武部のもう一つの専門で、広告の手法を活用して、医療が抱える課題の解決を目指す。父が倒れた経験を通して、重篤な病気になる前に、日常生活で自然と健康的な行動につながるような手法をつくれないかを考えた。運動不足解消のため、自然と上りたくなるような駅の階段のデザインや、体形によって色が変わるパンツなどを手がけてきた。

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広告医学の取り組みの一つとして横浜市大病院に展示された「移植手術を受けたおもちゃ」。移植医療の普及啓発が目的だ=横浜市大提供

読書が苦手…感想文のために『ぼくらの七日間戦争』を3分の1ほど読んだのが一番長い読書だった。受験国語は論理的に読み解くトレーニングをして克服したが「好きとか楽しいからと本を読むのは理解できない」と話す。

ファッション…洋服が好き。友人によると、「医学生時代の武部は目立っていた」。先生から「病院内をきてれつな服装で歩くな」と怒られたことも。インドで占師から「ファッションデザイナーになる」と言われた。