かわいらしい子どもたちが、教室の床に座って、先生の質問に答える。ほとんどが白人のオーストラリア人。小学1年生だ。
先生「この家族は何人ですか?」
子どもたち「4人です」
先生「この人はだれですか、わかる? 先生の後をリピートしてね、いもうと」
子どもたち「いもうと!」
先生「家族はだれがいますか?」
子どもたち「おかあさんと、おとうさんと、いもうとと、おとうとと……」
すべて日本語で教える日本語の授業でのやりとりだ。教えているのは、モンゴル系の中国人を両親に持ちながら、日本で小学校から中学卒業まで学んだチリメグ教諭だ。
壁を挟んだ隣の教室では、別の1年生たちが学んでいる。
ホワイトボードには英単語が並ぶ。
“pineapple fresh yellow “”ham, round “ cheese….”
トレーシー・ホーキンス教諭が記者に説明した。
「ピザの作り方を、順序だって英語で説明する練習です」。こちらは豪州では言えば「国語」の英語の授業だった。
オーストラリア東部ブリスベンのウェラーズヒル小学校。移民社会の豪州では、小学校でも英語のほかに第2言語を学ぶことは珍しくないが、ここは、そのなかでもとても珍しい日英の完全なバイリンガル教育をしている。
全科目 日本語と英語で「半分ずつ」
「完全な」と表現した理由は、英語や日本語だけでなく、算数や社会など、それぞれの科目も、日本語と英語で半々ずつ教えているからだ。「(各科目を)日本語で教える先生と英語で教える先生がいて、教室の壁を隔てて、50人の児童が25人ずつそれぞれの教室に入る。ランチタイムを終えると、子どもたちは教室をスイッチします」。橋本琢教頭が説明する。「私たちの中では日本人だと思っているくらいの日本語レベル」(橋本教頭)というチリメグ教諭のほかは、日本語で教える先生たちは全員、州立学校の教員資格を持った日本人だ。
日本語で教える先生と英語で教える先生は、二人一組でクラスの「担任」となり、オーストラリアの教育カリキュラムで各教科を教える。毎学期、次の学期に各科目で教える単元の中で、どれを英語で教え、日本語で教えるかを先生同士で話し合って決める。「同じ単元を英語と日本語で教えることはありません」(橋本教頭)。たとえば、2年生の算数の場合、2学期には、「二桁の数」は英語で教え、「図形」を日本語で教える、といった具合だ。
こんなバイリンガル教育を、2014年の新入生から始めた。
決断したのは、ジョン・ウェブスター校長。日本人の高校生を自らの家にホームステイで受け入れた経験から、すっかり日本ファンになっていた校長は、日本語を本格的に教える学校を目指した。「日本と豪州には、正直、友愛、信頼、といった共通の価値がある。互いの社会に適応するのは難しくない」とも考えたという。
同校は州立の小学校だ。公立校でもこんな独自の教育をできるのは、ブリスベンのあるクイーンズランド州が13年になって導入した、学校に大きな裁量を与える「独立公立学校」のひとつだからだ。州政府に了解を求めると、とても好意的で、すんなり「やってみて」とゴーサインが出た。同州はグレートバリアリーフやゴールドコーストなど観光が主要産業で、近年、海外、とくにアジアとのつながりを重視していることが背景にあったようだ。「でも、妻に言いましたよ。成功すれば、たくさんの友人ができるけど、失敗したら、私の教員のキャリアは終わりだねと」
移民も多い豪州だが、この学区は、子どもたちの9割が、英語がネイティブのオーストラリア人の家庭から通ってくる。導入前年の13年、翌年の新入生の保護者向けに3回、説明会を開いた。一方で、従来の英語で教えるモノリンガル教育のクラスも存続させるとして、バイリンガル教育のクラスへの入学を強制はしなかった。当初、新入生120人のうち、50人(2クラス)ほどがバイリンガル教育を選ぶだろうと想定していたが、ふたを開けてみると、76人が希望した。
2年生からカタカナ、漢字も
取材した8月中旬は、4学期制の豪州で3学期が半分くらい過ぎたところだった。1年生は、この学期の日本語の授業で、自分の名前や年齢のほか、家族が何人いて、誰(父、母、兄弟など)がいる、といった内容で自己紹介することや、「○○○が好きです」という表現を、果物や野菜、動物を当てはめて話すことを学んでいた。
1年生のうちに、ひらがなの50音を読んで書けるように教える。「何もわからない状態で入ってくるので、ビジュアルや、なるべく身ぶりも使います」とチリメグ教諭。今年で1年生を教えるのは3年目だが、「ひらがなの濁音なども教えますが、ここまでできる子は半分くらいですね。一方で、早い子はカタカナに進むことができます」
日本語で教える算数では3学期に、「こっちが長い」「あっちが多い」とかいったような表現を使った容量や長さのとらえ方を教えた。
全くゼロの状態から日本語を学び初めて半年余りの小学1年生と、どれくらい会話が成立するのだろうか。1年生のアダム・ヘンダーソン君(7)に授業後、インタビューさせてもらった。
記者「こんにちは」 アダム君「こんにちは」
記者「自己紹介できますか? お名前は何ですか」。
アダム君「........」
記者の話す日本語を理解できないようだ。
“Can you introduce yourself in English?” (英語で自己紹介できますか)
“My name is Adam, I am 7 years old ….” 英語で尋ねれば、当然だがネイティブの英語で答える。
“Do you speak any Japanese ?” (何か日本語で話せますか) 、
「僕はアダムです。7歳です」。日本語が出てきた。
今度は、ゆっくり日本語で聞いてみる。「好きな食べ物は?」
「うーん、スイカ」
2年生になると、日本語で教える教室では、先生とも級友同士でも、日本語しか使ってはいけないルールになる。橋本教頭に教室を案内してもらうと、みんなで立ち上がって、そろって日本語で「おはよう~ございます!」とあいさつをしてくれた。
授業を見学する。「どうやら、ここは日本の学校のようです……」。子どもたちが学校の様子を表現した例文を読み上げていく。
「キンコンカンコン、チャイムのおとがなっています」。こんな例文が、大きな電子ボードに示される。ボードの端には、「日月火水木金土」などの漢字のカードが貼ってある。
「カタカナの言葉はどれとどれですか?」。揚岩沙弥(あげいわ・さや)教諭が子どもたちに尋ねると、一斉に手が挙がった。
「キンコンカンコンです」
「正解。もうひとつは?」 「チャイムです」
続いて、世界地図が示された。「日本とオーストラリアはどこですか」「ヨーロッパはどこですか」
日本語の授業だが、日本語で地理を教える授業でつまずくことが多いことから、地理に出てくる言葉を盛り込んでいるという。
未知のことばの吸収 「スポンジみたい」
「2年生になると、知っている日本語の言葉が増えて生きて、自分たちで頑張って日本語を話そうという子が増えてきます」(揚岩教諭)
一方で、2年生になって学ぶカタカナだけでなく、ひらがなも完全に覚えていない子もいる。そんな子には、日本語の指導助手に別の教室で補習を受けてもらう、という機会も設けて、取り残される子が出ないようにサポートする。
揚岩教諭は以前に、同州の州立ハイスクール(中高)で日本語を教えていた。同州の中高では英語以外の第2言語を学ぶが、外国語の教員には限りがあるため、その学校では、7、8年生(日本の中1、2年生)では日本語が必修になっていた。地方の学校で、日本人が周りに住んでいるわけでもなく、「何のために日本語を勉強するの」とよく尋ねられた。「中高生は言葉の意味がわかって、それで話す、という感じだった」とも振り返る。
「でも、ここ(ウェラーズヒル小)の子たちは、(先生の)まねをして、意味もわからずにまず話す。繰り返して、(授業で使う)絵や実際に身の回りに起きていることと結びつけて、だんだん、わかってくる。赤ちゃんに対して話すような感じ。子どもはこうやって言葉を学んでいくのだろうなと。(言葉の吸収が)スポンジみたいです」
そんな子どもたちだが、学年が上がるにつれて、どれくらい日本語が上達するのか。一方、母語の英語で学ぶ時間は普通の学校の半分にすぎない。それでも、ネイティブとして必要な英語力が培われるのか? 前例のないバイリンガル教育に保護者も当初は、疑心暗鬼のところがあったという。「1期生」は今年で5年生。次回は、その成長ぶりや、独自の日英バイリンガルのカリキュラム作りなどを紹介したい。
(次回は11月14日に掲載します)