毎年10月は世界中の科学者そして科学記者にとって特別な月です。理由は、スウェーデンの首都ストックホルムにあるノーベル財団から、医学・生理学賞、物理学賞、そして化学賞と、各分野において人類のために最大の貢献をした人に対して授与されるノーベル賞が発表されるからで、今年は国内では京都大学の本庶佑特別教授がノーベル医学・生理学賞を受賞されました。
自然科学分野における教育・研究を実施する沖縄科学技術大学院大学(OIST)の広報を担当しているとよく訊かれるのが、研究が世の中にとってどのように役立つのか、という質問です。OISTの研究はいずれも基礎科学であるため、目に見えるかたちですぐに成果の恩恵を享受しにくいと前置きした上で、回答にあたってよく引用するのが、ノーベル賞です。それは、受賞者がまだ若かりし頃、懸命に取り組んだある研究成果が、その後数十年にわたって世界の多くの科学者の研究に活かされ、技術開発の結果や社会のニーズによって、臨床応用や産業応用といった、一般の人々の生活に役立つかたちで開花するという事例です。
このような基礎研究の世界で、将来の感染症対策に道を拓くような成果が今月OISTから発表されました。エボラ出血熱と呼ばれる致死率の高い病原体であるエボラウイルスのコア部分の立体構造が原子レベルで明らかになったのです。研究内容についてはこちらをお読みください。
このエボラ出血熱、遡ること1976年に、ザイール(現・コンゴ民主共和国)のエボラ川流域の村と、スーダン南部(現・南スーダン)のヌビアで同時期に集団感染が確認され、以降、数年ごとに流行が繰り返されています。それまで流行地域はアフリカ中部にほぼ限られていましたが、2014年2月、西アフリカのギニアで流行が始まり、その後シエラレオネ、リベリア、ナイジェリアへと拡大しました。およそ2年間に渡ってヒトや霊長類に感染し、過去最大の大流行を引き起こしたことは記憶に新しいでしょう。
ウイルスは、動物や植物、もしくは細菌の細胞など、生きた細胞に付着して体内に侵入し、その細胞を利用して増殖する感染性微生物です。感染予防のワクチンは、弱毒化や無毒化したウイルスを事前に人間や家畜などに投与し、免疫力を高めることで感染リスクを下げます。一方、治療に使われる抗ウイルス薬は、ウイルスの増殖を妨いだり、ウイルス感染症に対する免疫反応を強化しますが、細胞の中にもぐり込んでしまうウイルスに対して、細胞に影響を与えることなく特異的に効果を発揮するような抗ウイルス薬の開発は非常に難しいと言われています。
そうした中、OISTチームによる3年越しの研究によってエボラウイルスの構造が明らかになりました。今後はエボラウイルス特有の特徴や、形成機構が示されることで、ワクチンや特効薬の開発が進むことが期待されます。英科学誌ネイチャーに掲載された本研究も、実は2017年のノーベル化学賞受賞の対象となった、欧米の研究者3氏によるクライオ電子顕微鏡の開発なくしては実現し得なかった成果なのです。
さて、このエボラ出血熱ですが、前述した西アフリカでの大流行の渦中に身を置き、被害の様子を伝える報道を連日発信し続けたジャーナリストから話を聞く貴重な機会がありました。カナダに本部を置く世界科学ジャーナリスト連盟(WFSJ)が2年に一度開催する科学ジャーナリスト世界会議(WCSJ)です。一線の科学者やジャーナリスト、大学や研究機関の広報担当者など、世界中から千数百名が集まる同会議の2015年6月の韓国・ソウル大会で、英国BBC放送や米国CNN放送の特派員として活躍しているシエラレオネ出身のフリーランスの男性記者と、カナダ・トロント市の地元紙トロントスターの女性記者が、エボラ出血熱に関する2時間のセッションに登壇したのです。
シエラレオネの首都フリータウン在住の男性記者は、これまで紛争地の最前線から世界に向けていくつものリポートを届けており、弾丸が飛び交う中を移動したり、武装勢力から銃口を向けられるなど、「生きるか死ぬか」の修羅場をかいくぐってきた人物です。その彼が、エボラ出血熱の報道ほど怖いことはなかったとふりかえりました。
取材で訪れたシエラレオネの田舎町では、両親兄姉全員がすでにエボラウイルスに冒され死亡しており、茅葺き屋根の家に残された幼い姉妹が、親戚の人たちが感染を避けようと離れた場所から放り投げる食料を糧に細々と命をつないでいる現場に遭遇したといいます。自身も同年代の娘をもつ男性記者にとって、死が迫りくるこの姉妹の運命を考えると胸がつぶされる思いだったと語りました。
また、世界の多くの人が報道で目にしたように、感染者の遺体は白い袋に入れられ、お葬式が挙げられることもない中、土を掘った地面に次々と放り込まれていきました。世界保健機構や感染地域の各国政府がもっと早い段階で最初の感染例を公表していれば、被害は最小限に抑えられたかもしれない。苦しい思いをした挙句、掘った穴に折り重なるようにして埋められた人々の最期には、人間としての尊厳は微塵もなかった、と憤りの念を露わにしました。
セッションの場では具体的な理由について述べなかった男性記者に、紛争地での報道と比べてエボラ出血熱の報道現場がなぜ最も怖いと感じたのか、翌日声をかけて訊いてみました。すると「敵が見えなかったからだよ」と即答がかえってきました。
大勢の参加者が熱心に耳を傾ける中で、筆者がさらに胸を打たれたのが中国系カナダ人女性記者の体験談です。欧米の新聞記事を読んでいると気づくことがあります。それは中央政府であれ、地元自治体であれ、ある政策決定や世界で起きている出来事が市井の人々にどのような影響を与えるか、という視点からの報道です。実際に米国大学院でジャーナリズム修士課程に身を置いた筆者もいかにPersonalize(個人化)できるかが報道の良し悪しを決める、と教えられました。
女性記者が勤めるトロントスターでは、国際的な非政府組織「国境なき医師団」の医療チームとしてトロント市から西アフリカに派遣されることになった医師と看護師たち3人について、地元紙の責務として報じるべきだとの議論が高まり、志願した彼女が担当することになりました。出国前の煩雑な書類手続きやエボラ以外の感染症予防ワクチン接種を経てようやく現地入りし、およそ半年間にわたってトロントチームの活躍ぶりや、現地の様子を伝える記事を本国の読者に送り届けました。
女性記者にとって最も辛かったのが、感染を恐れながらの取材ではなく、事態が収束を迎え、カナダ帰国後に直面することとなった周りからの反応だったといいます。帰国後の検査で陰性の結果が出て、自宅待機期間を大幅に超えてから職場に復帰したものの、同僚たちが彼女をまるで感染者のように扱い、「仕事あがりの飲み会に誘ってもらえない日々が長く続いた」と、胸の内を明かしました。事実を積み上げた報道をすることを叩き込まれている記者たちの間でさえこのような偏見が生じてしまうものなのかと深く考えさせられたエピソードでした。
前回の流行から4年。2018年5月にコンゴ民主共和国でエボラ出血熱が再び流行しました。この度OISTの研究成果により、エボラウイルスの詳細な構造が原子レベルで明らかになり、その構造が、国際的なデータベースを通じてインターネット上に公開されました。今後、世界中の科学者がこのデータを利用することで、エボラウイルス形成機構の全容解明に向けた研究が進展するととともに、その形成を阻害する化合物の設計など、構造データに基づく医薬品の開発に期待が高まります。科学者たちの知の結集が実を結ぶのか、それとも世界を震撼させたウイルスはまた猛威をふるうのか。科学広報に携わる身としては、もちろんノーベル賞級の成果に期待したいです。
(名取 薫 OISTメディアセクション)