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東ティモールで有終の美を飾ろうと思っていたのに… サッカー選手・伊藤壇

アジアの渡り鳥 更新日: 公開日:
東ティモールの国旗とともに(写真はすべて伊藤壇さん提供)

僕はベガルタ仙台に2年在籍したあと、これまで2001年からアジアの19の国や地域でプレーしてきました。昨年5月まで東ティモールのポンタレステでプレーしていましたが、リーグの中断期間に「クレイジージャーニー」(TBS)という番組の収録で一時帰国していたときに、突然チームから契約解除をメールで知らされました。前期の成績が良くなかったので、日本で充電して後期に巻き返すつもりでいたのですが…。

チームのオーナーは国土交通省のお偉いさんで、東ティモールでは20室あるオーナーの大豪邸の1室に住んでいました。ほとんどの荷物を残したままの一時帰国だったので、日本に荷物を知人に送り返してもらおうと思ったら、部屋から貴重品が何者かによって持ち去られているというのです。

東ティモールのチーム会長の大豪邸。伊藤壇さんはここの一室に住んでいた

数日後にオーナーファミリーの Facebook を見て、目を疑いました。そこには僕の服を着て満面の笑みで写真に納まっている姿があったのです。それを本人に指摘したところ、服は返ってきたのですが、ビデオカメラや現金1000米ドルなどはいまだ行方不明のままです。

オーナーに話すと、「大事なものなのになぜ持って帰らなかったのだ」と言われて取り合ってもらえませんでした。警察に届けたとしても、きっと身分のあるオーナーは身内をかばうことでしょう。

このように海外では、リスク管理能力を問われる場面がたびたび訪れます。僕は外出前に部屋の写真を撮って証拠を残したり、大切なものは人目に触れない場所に隠したりするなどしてきました。また給料の未払いも頻繁に起こり、今回も1ヶ月分が未払いのままです。これまでなら直接オフィスに行ったり、時には1日30回ぐらい催促の電話を入れたりして給料を全額回収するまではその国からは離れることはしなかったのですが、今回ばかりは全く予想できないことでしたし、契約解除されてから東ティモールには戻っていません。

2001年に僕が最初に海外に出た国シンガポールでプレーしていたとき、日本人は4人(3人が元Jリーガー)だけでした。しかし、現在では把握しているだけでアジア各国のチームに100人以上の日本人サッカー選手が所属しています。

FIFAランキングでその国のレベルを図ろうとされがちですが 、必ずしも日本代表選手だから活躍できるわけでもなく、逆に日本でプロになれなかったから活躍できないわけではありません。

東ティモールで、試合前にチームで食事。並ぶのは地元料理「ミーゴレン」

海外では、プロ選手はお金がいいところにいく人も少なくありません。例えばJリーグが生まれた当時、ブラジル代表の選手がこぞって来日したのはお金が良かったからです。家族や多くの身内を養わないといけない選手もいます。だから、給料が1円でも高い場所に行きたいのです。アジアの国では、いまでは中国はお金がいいので、現役の各国代表選手クラスが行ったりしています。

国が変わればサッカースタイルや環境も違うので、チームメイトと意思の疎通ができる語学力や、環境の変化に対応する適応能力が求められます。また日本人が海外でプレーする場合は「助っ人外国人」扱いになるので得点やアシストなど数字を求められます。黒子的な存在は評価されない傾向にあるのが海外サッカーの特徴ともいえるのかもしれません。

そんなこともあり「縁の下の力持ちに」という願いが込められ付けられた「壇」という僕の名前に逆らうように、海外では貪欲に数字にこだわりプレーするよう心掛けています。

東ティモールでは、チームの移動はトラックの荷台で

僕はこれまで、1年1カ国という独自のルールを設け海外を渡り歩いてきました。ほとんどの国で複数年契約や契約延長する話があったのですが、そのポリシーを貫くために断り、また新たな国にチャレンジしています。

チームからポルシェを支給されるといったJリーガー時代より厚待遇の契約を結んだり、熱狂的なサポーターで埋め尽くされた超満員のスタジアムでプレーした国もあります。一方で、「服を着ているチーム」vs.「上半身裸チーム」で紅白戦をしたり、試合中にヤギの集団がピッチの芝を食べている中で公式戦を戦ったりした国もあります。

良い面も悪い面も併せ持っている発展途上のアジアサッカーですが、ものすごいポテンシャルを秘めていると実感しています。

ともかく僕は、自分の足で道を切り開きアジア各国をプロサッカー選手として放浪しています。

(構成 GLOBE編集部・中野渉)