1. HOME
  2. World Now
  3. 「閃光の後、子どもたちの皮膚がただれた」…被爆証言に日韓の学生ら涙

「閃光の後、子どもたちの皮膚がただれた」…被爆証言に日韓の学生ら涙

東亜日報より 更新日: 公開日:
18日、慶尚南道陜川郡の原爆被害者福祉会館で、73年前、広島で原爆被害に遭ったアン・ウォルソンさんが「誠信学生通信使」所属の日韓の大学生たちに証言した。早稲田大学ひらさわゆかさんは「アンさんが最後に韓国と日本が仲良くしてほしいと話された。それが私たちに与えられた義務だと思う」と話した=東亜日報より

「誠信学生通信使」両国の大学生20人、陜川郡の原爆被害者会館訪問

1945年8月6日午前8時ごろ、広島の軍糧米工場で徹夜の仕事を終えた17歳の朝鮮人の少女は、家に帰るところだった。登校中の同じ年頃の日本人学生にからかわれないよう、横道を通って工場から出た少女の手のひらに、「黒い雨」が降ってきた。一瞬の閃光の後、気が付けば空も地面も、一面黒い雨に包まれていた。無間地獄のようなところで、人々は上着を脱ぎすて、「熱い」「痛い」と叫んだ。
「日なたに立っていた子どもたちの皮膚が、どろどろに焼けただれた。その時崩壊した建物から飛んできて顔に刺さったガラスの破片は、40年たってようやく除去できた」
勤労挺身隊の招集を避けて広島に行き、「被爆者」となった少女は、終戦(日本の統治からの解放)の年の10月にやっと祖国に戻れた。

韓国人の「被爆証言」に涙を流す日本の大学生

18日、韓国人原爆被害者のアン・ウォルソンさん(90)の証言が50分ほど続いた。慶尚南道陜川郡の原爆被害者福祉会館に集まった日韓の大学生20人は、息をのんで、韓国語と日本語がまざったおばあさんの証言に耳を傾けた。証言の途中、学生たちの間からため息と泣き声が漏れた。

早稲田大学在学中のいしぐろかなえさん(20、女性)は、証言が終わってもしばらく泣いていた。韓国人の原爆被害者がいたという事実自体、初めて知った彼女は「おばあさんの声を目の前で聞いて、戦争の苦しみをリアルに感じ、重い気持ちになった。日本人を嫌ってもおかしくないのに、温かく対応してくださり、ありがたく、申し訳ないです」と話した。

この日、陜川を訪れた学生は、高麗大学と早稲田大学から来た「誠信学生通信使」。日韓の大学生たちは、互いの国を回り、心の痛むような両国の歴史を勉強している。昨年は広島を訪れ、韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参加した。

4年間、誠信学生通信使として活動している高麗大学のチョ・ソンピョさん(25)は、「広島は原爆死没者平和祈念館や追悼施設などがとても充実していた。一方、韓国政府や市民社会は、韓国人原爆被害者についての関心が低いのが残念」と話した。

生存の韓国人原爆被害者2306人

韓国人原爆被害者は10万人(日本の警視庁推算)に上る。5万人は日本で亡くなり、4万3千人が生き残って帰国した。73年が過ぎ、生存する韓国人原爆被害者は2306人(今年8月現在)だけだ。平均年齢は82歳、最高齢の生存者は今年100歳の誕生日を迎えた。

しかし、「韓国人原爆被害者」は、影のような人生を生きてきた。70年余り、政府レベルで実態調査さえ行われてこなかった。韓国の原爆被害者協会で確認した被害者1133人を記録した陜川の「慰霊閣」も、日本の宗教団体が作ったものだ。陜川には、原爆被害者の生存者のうち半数以上が集まって暮らしている。

この協会のイ・ギュヨル会長は、「1910年の日韓併合以降、日本統治下で土地を失った農民たちがお金を稼ぐために日本に渡り、幼い少女らが挺身隊を避けて軍需工場で職に就いた。被爆者となって帰ってきたが、祖国は70年間、私たちを忘れようとした」と話した。

2011年8月、憲法裁判所は、韓国政府が原爆被害の問題解決のために努力しないのは違憲という決定を下した。以降、特別法(2017年)が作られたが、変わったことはあまりない。協会側は「特別法ができた後、実態調査のための予算が3千万ウォン(約300万円)増えたのがすべて」と指摘した。

原爆被害は子孫にも影響を与えた。病気だけでなく、「被爆者の子孫」という烙印を押された。「大腿部無血性壊死症」という診断を受けた原爆被害2世のチョンさん(56、女)は、「幼いころから足に力が入らず、よく転んだ。中学生のころから貧血になった。余生は病院で過ごさねばならない」と話した。

「社会的冷遇」も深刻だ。原爆被害3世のカンさん(28、女)は、先月、婚約破棄となった。相手の男性の親が「体に何か病気があるかもしれないのに、気持ち悪い」と、破棄を通告してきた。原爆被害2世のユさん(60、女)は、「国家が原爆被害者をきちんと治療し、管理してきたら、このような『烙印』が半世紀以上も持続しただろうか」と憤る。共に民主党のキム・サンヒ議員は、昨年特別法で抜けていた原爆被害者の子孫を支援する法案を14日、代表発議した。

(2018年8月20日付東亜日報 陜川=イ・ジフン記者)

(翻訳・成川彩)