「ブラジルのトランプ」日本を語る
10月下旬、東京・羽田から米ロサンゼルス経由で飛行機を2回乗り継ぎ、やってきましたブラジルの首都ブラジリア。合わせて約30時間の長旅に加え、日本との時差は11時間。ヘロヘロになりながらも、国会議事堂の隣にある黄色い外壁のビルに向かった。日本でいえば、東京・永田町の衆院議員会館だ。
議員事務所が軒を連ねる長い廊下を歩いていると、行き交う人々の表情からただならぬ雰囲気を感じた。それもそのはず、この日は、汚職事件で起訴された現職大統領テメルの刑事裁判開始をめぐる採決が下院で予定されていた。はたして、こんな日に彼は会ってくれるのか。やきもきしながら、事務所前の廊下で待つこと40分。黒いスーツ姿の長身の男が大股で近づいてきた。ボルソナーロだった。
「あんた、(日系)ブラジル人じゃないな。本物の日本人か!」。そう言って私の肩を抱き寄せると、事務所に招き入れた。人なつこい笑顔を絶やさず、自分のジョークに高らかに笑う。その姿からは少なくとも、犯罪対策のため「善良な市民に銃を与えろ」などと訴える軍人出身のマッチョなイメージは感じられない。
彼は書斎のデスクにどっかと腰を下ろすと、出前のパスタをもさもさとほお張りながら、こう言った。「日本はあんなに小さい国なのに、世界3位の経済大国になった。もし、あんたたちの国がブラジルだったら、もっとすごい経済発展をしていたはずだ」
彼は今、ブラジルで最も勢いのある政治家のひとりだ。2014年の前回大統領選では名前すら挙がらなかった一議員が、民間調査会社ダタフォリャが最近行った世論調査でいきなり支持率17%を獲得。10年まで2期8年にわたり大統領を務めたルラ(72)の35%に次いで、2番手につけたのだ。
しかも、ルラは7月、収賄と資金洗浄の罪で禁錮9年6カ月の一審判決を受けている。控訴中の二審で有罪判決が出れば、大統領選に出馬できない。民間調査会社IBOPEは10月末、もしルラが出馬できなかった場合、ボルソナーロは支持率18%で、中道左派系の元環境相と同率首位に立つという調査結果を発表した。
ここにきて彼を見る周囲の目も変わり始めている。側近の一人は言う。「ランチはいつも外で食べていたが、最近は出前で済ますことが多くなった。外に出たとたん、スマホで一緒に写真を撮りたがる支持者が殺到して、なにもできなくなってしまうから」
そういえば、事務所の外の廊下には、面会を求める人の列ができていた。まるで、芸能人の出待ちだ。見たところ、冗談好きの陽気なおじさんなのに、どうしていきなり人気者になったのか。本人にずばり聞いてみた。
「じつは、私もびっくりしているんだ」。彼は破顔一笑して、こう続けた。「今、ブラジルの政治家は国民の信頼が非常に低い。だが、私は他の大多数の議員とは異なる道を歩んできた。まず、それがよかったんだろう」
上り調子のボルソナーロを、ブラジルの主要メディアは容赦なくたたきを始めた。有力誌ベージャ(10月11日付)は彼の顔写真を表紙に掲げ、特集記事で「これまでブラジルにはなかった、まったく新しい現象であり、ブラジルの民主主義が直面する最大の脅威になるかもしれない」と警戒を呼びかけた。
理由の一つが、公の場でもはばからない軍事政権への礼賛だ。ブラジルでは軍事クーデターが起きた1964年以降、旧政権関係者や左翼活動家への弾圧や拷問が続き、検閲など市民は統制下に置かれたとされる。その記憶は85年の民政移管後も人々の心に深く刻まれ、公の場で軍政を支持する発言はタブー視されることも多かった。
軍政賛美の真意を問うと、ボルソナーロは書斎に飾ってある軍政下の歴代大統領5人の写真を指さして言った。「クーデターは左派の作った虚偽のイメージだ。そもそもブラジルは軍事独裁ではなかった。独裁とは、北朝鮮やキューバのような政治体制のことを言うのだ。我々の国には完全な自由があった」
あぜんとしている私をよそに、彼はこう続ける。「ブラジルには今も、軍政時代を経験した人が1000万人以上いる。彼らに聞いてみて欲しい。あの頃は平和で、治安もよく、互いに尊重し合い、雇用も守られ、今よりもずっとブラジルは前進していた、と言うはずだ」
政界へ転ずる前に、陸軍で大尉まで昇進した彼にとって、軍政時代が政治理念の根幹をなしているのだ。
これって、いわゆる「歴史修正主義」?
だが、文献をひもとくと、すべて荒唐無稽とも言い切れない指摘もある。サンパウロ大学教授も務めた故・斉藤広志氏の著書「ブラジルの政治」(1976年、サイマル出版会)によれば、「当時の軍事政権は国家の治安に関連しない専門知識が必要な閣僚ポストには、有能な民間人を登用した」とある。その中で斉藤氏は、「日本のマスコミがよく使う軍事政権という表現は、ブラジルの場合、当てはまらないか、誤解を招く恐れがある」とも記している。
ブラジル政治に詳しい神田外語大学講師の舛方周一郎氏(34)によれば、軍事政権下の1960年代後半から70年代前半に「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度経済成長を遂げたのは、軍部が反対勢力を抑え込んで資源開発など重要な国家主導型プログラムを推進し、国内の治安安定で海外企業の進出や融資を呼び込めたことが大きいという。また、その統治は国家と国民の安全保障を担う軍人のプロ意識で支えられていた部分も多い。政権の中核を担った軍部の穏健派が1974年から緩やかな政治開放を行い、権力に固執しなかったことも、85年の民政移管が比較的スムーズにできた要因のひとつといわれている。
「その意味でブラジルの軍事政権は、最高指導者が政治権力に固執する一般的な独裁体制のイメージとは異なるものだといえるのではないか」とする一方で、舛方氏はこうも言う。「ただし、軍警察による反対勢力への拷問、誘拐、殺害が行われたことも事実だ。ネガティブな批判も込めて、ブラジルの軍事政権を『独裁』と表現する人も多い」
なるほど。解釈はいろいろあれど、私たちが慣れ親しんでいる欧米の価値観と異なるものをボルソナーロが持っていることは間違いないようだ。
トランプに共感
彼の書斎は支持者のプレゼントであふれている。その中に、米大統領トランプの首振り人形があった。「ブラジルのトランプ」。そう呼ばれることについて、ボルソナーロ自身はどう思っているのか。
「私は彼よりも金持ちだよ」とジョークを飛ばしてから、ボルソナーロは真顔で言った。「トランプが選挙中に訴えた数々の提案は、私にもよく理解できる。私も『外国人嫌い』とメディアによくたたかれているから」
ブラジルは多民族からなる移民国家だ。ポルトガルから独立した19世紀以降、イタリアやスペイン、ドイツなど欧州各国のほか、日本や中東からも多くの移民を受け入れて発展してきた。だが、ボルソナーロはトランプ同様に移民に厳しい政策を主張している。他の南米諸国などから移民を区別なく受け入れ、年金や医療を受ける権利など社会保障を認めてきた左派・労働党政権の政策が国家財政を圧迫してきた、と批判する。
「自分の国に誰でも入ってきていいわけがない。自分の家に他人が勝手に入ってきてはいけないように、国境がオープンな国であってはいけない」
矛先はさらに、主要な貿易相手国で、インフラ施設運営などへの事業参入や資源権益取得を加速させている中国へも向ける。「彼らはブラジルの製品を買うのではなく、ブラジルそのものを買いに来ている」
もうひとつ、トランプとの興味深い共通点が、ソーシャルメディアを駆使した支持拡大だ。
ボルソナーロは五輪のあったリオデジャネイロ州選出の下院議員で、7期27年とキャリアこそ長いが、小政党を渡り歩いてきたいわば「一匹おおかみ」だ。長い議員生活の中で170回以上の法案を提出し、成立はわずかに二つ。政治家としての実績はほとんどなく、最近まで存在を知らなかったという国民も少なくない。
そんな彼にとって、唯一最大の「武器」がソーシャルメディア。ツイッターやフェイスブックなどのフォロワー数は現在、550万人以上。約300万人のルラを引き離し、現時点で大統領候補として名前が挙がっている政治家の中では最多といわれている。
影響を強く受けているのが若年層だ。民間調査会社IBOPEの最新調査によると、16~24歳の最大25%が、次期大統領選でボルソナーロに投票すると答えた。中心となるのが、「ボルソミニオンズ」と呼ばれる中流家庭で育った高学歴の若者たちだ。
「若者たちは携帯電話を肌身離さず持っている。(テレビや新聞などの)主要メディアは伝えるべき情報を国民に伝えていないが、私はSNSを通して直接メッセージを伝えることができる」と、ボルソナーロは言う。
もし大統領になったら、若者たちのために何に取り組むのか――。最後にそう尋ねると、彼は両手を広げて天を仰いだ。「この国には、やるべきことがあまりにたくさんありすぎる。暴力、失業、縦割り行政の非効率さ……神様、助けて下さい。そう祈りたいぐらいだ」
「ブラジル民主主義の転換点」
ボルソナーロ現象の根っこにあるものは、何なのか。
30年余りにわたってブラジル政界を追ってきた大手紙「エスタド・サンパウロ」の記者、ジョセ・トレド(51)は、「ブラジルでここ数年とくに盛り上がりを見せている、二つの保守的な考えが背景にある」と分析する。
ブラジルでは治安の悪化が深刻だ。「ファベーラ」と呼ばれるスラム街では、警察と麻薬犯罪組織の間で激しい銃撃戦が頻発。地元メディアによれば、2016年の全国の殺人事件の犠牲者は6万1619人と、過去最高を記録。1時間当たり7人が殺害されている計算だ。市民の間では、警察力の強化や死刑の導入、少年犯罪の厳罰化などを求める声が高まっている。
そこへ重なったのが、ブラジル史上最悪といわれる国営石油会社をめぐる汚職スキャンダル。発覚から3年余りで、有力政治家や企業幹部ら270人以上が起訴された。治安問題も解決できず、長年にわたり巨額の賄賂を受け取ってきた政治家たちはもう信じられない。既得権益をむさぼる悪人どもに厳罰を――。こうした人々の声に、過激な主張を訴え続け、汚職とも無縁だったボルソナーロがぴったりはまった、とトレドは見る。
有権者の世代交代が進み、軍政時代を「知識」でしか知らない若者が増えていることも、軍政賛美への抵抗感を薄くしている、とも分析。政治不信が強まり、社会に規律を求める今の風潮が、1964年の軍事クーデター前夜とよく似ていると指摘する人もいるという。
トレドは言う。「社会不安が増すなかで、若者たちにそれぞれ主張はあっても、代弁してくれるリーダーがいなかった。そんなとき、ソーシャルメディアを介して彼らの心にすっと入ってきたのがボルソナーロの過激な考え方だった。ブラジルの民主主義は今、大きな転換期にある」