日本は、グローバル教育推進の一環として、国際バカロレア(IB)を推進しようとしている。2013年、政府は2018年までに国際バカロレア認定校を200校にする目標を掲げた。2016年に、「2020年までに、200校以上」と事実上目標を修正したが、今のところ準備段階の学校も含めても目標の6割程度となっている。
坪谷氏は、1957年神奈川県出身。75年に単身で渡米し、イリノイ州立西イリノイ大学に入学。85年に帰国して、通訳専門学校に勤めたのち、「イングリッシュスタジオ(現・東京インターナショナルスクールグループ)」の設立を経て、95年に「東京インターナショナルスクール」を立ち上げた。同校は、国際バカロレアの認定校となり、2012年には国際バカロレア機構アジア太平洋地区の委員(現日本大使)に就任。バカロレア本部と日本政府との橋渡し役も務めてきた。
坪谷氏はバカロレア普及以外にも、軽度発達障害の子どものための学校や、働く母親のためのオールイングリッシュの学童保育を開設するなど精力的に活動している。バカロレアの意義や課題、そして坪谷氏を動かす原点は何か。インタビューを2回にわたって、お届けする。
バカロレアは「違いを認める学び」
――まずはじめに、バカロレアの歴史や理念について、教えて下さい。
バカロレアは今から50年前の1968年にスイスのジュネーブにあるインターナショナルスクールで生まれました。
そのころのジュネーブは世界の国際機関が集まる都市で、そのインターにはいろいろな国の子が通っていた。一番困ったのが高校3年生になった時。各国の子どもが自分の国の大学に行こうとしたら、国によって試験が異なる。でも、ひとつの学校で何十カ国もの試験の対応はできない。それで世界共通の成績証明書のようなものをつくれないだろうか、と先生たちがプログラムを考えたのです。
世界各国の子どもが対象なので、一国主義ではなく、世界平和に寄与し、多様な価値観や文化を理解し、尊重することがバカロレアプログラムの理念になった。人の違いを認め、よりよい平和な世界に貢献する、探求心や好奇心、思いやりに富んだ子どもを育成すること。そして生涯にわたって学び続けること。学びというのは学校で終わりではなく、生涯にわたって続くものだから、学び方を学ぶというのがバカロレアのミッションなんですね。
今、バカロレアは4つのプログラムがあります。
- 幼稚園から小学校の過程におけるPYP(プライマリー・イヤーズ・プログラム)
- 中学校におけるMYP(ミドル・イヤーズ・プログラム)
- 大学入学準備コースのDP(ディプロマ・プログラム)
2012年にはCPという社会人や専門学校に行く人のためのキャリアプログラムもできました。必ずしもすべての生徒が大学に行く必要はないよね、と。
――大学への入学準備プログラムのDPでは、どんなことを学ぶのでしょうか。
DPでは、母国語、外国語、社会、理科、数学、芸術など理系、文系を問わず6科目を学び、さらに「コア」という必修要件があります。
自分が研究した成果をまとめる課題論文(EE=ExtendedEssay)は、大学の卒論のイメージに近い。このほか、
- 論理的・批判的思考力やコミュニケーション能力を養う「知識の理論」(TOK=TheoryofKnowledge)
- 創造的な芸術活動、身体運動、奉仕活動(CAS=Creativity/Action/Service)
も必修です。
例えば私の長女の場合、CASは、ミュージカル(芸術)、サッカー(運動)、ペルーの貧困地区でストリートチルドレンのお世話(奉仕)という組み合わせでした。次女の奉仕活動は、タイで野犬の世話をしたり、横浜の寿町に一週間に一度行って炊き出しをやったりしていました。バカロレアの試験は、2年間の活動で点数がつくのも大きな特色だと思います。
――アメリカの大学入学の際に考慮される標準テストであるSATは何回も受けられますが、DPは2回までですね。SATは一番良い点数が認められますが、DPもスコアの良い方を選べるのでしょうか。
DPを2回受ける生徒はほとんどいません。DPの試験は、他の大学進学適性検査と違って、3週間近くに及ぶ非常にアナログな試験なのです。例えば、歴史の試験は、戦争の原因と影響というような大きな設問が出てきて、その中から2つ選択して、90分で書かなければいけない。外国語だったら、メディアと文化、リテラシーの問題などがあります。美術は自分の作品を展示して、外部の先生にプレゼンテーションする。採点する試験官も世界中に5000人以上います。
――どのぐらいのスコアをとると、海外の大学に進学できるのでしょうか。
6科目がそれぞれ7点満点で、これにEE、TOK、CASで最大3点の評価が加算されます。45点満点です。基本的に1科目4点以上で24点をとれば、DPの修了書がもらえます。世界の約3000の大学がIBスコアを導入していて、イギリスの難関大学では、40点を求めるところもあります。それぞれの大学や学部が何点以上という目安を出しています。
――24点以上で資格を取得するのは、かなり難しいのでしょうか。
世界的に、修了できるのは全体の8割程度です。ひとつの科目ですごく優秀な成績をとっていれば、入れる大学もあります。24点に達しない場合、アメリカのコミュニティーカレッジや短大に入る生徒も多いですね。2年間頑張れば、4年制大学に転学できますから。日本人は優秀なので、9割程度が24点以上とれると聞いています。
バカロレアのプログラムが世界中に広がったのは、この30年間、平均点がぶれないことがあるように思います。毎年30点前後で安定しており、IBは信頼を得ています。
素晴らしい日本の教育に足りないもの
――そもそも、坪谷さんがバカロレアを導入したいと思ったのはなぜですか。日本の教育に不満を感じていたからですか。
日本人は自虐的に自分を卑下するところがありますよね。「日本の教育はダメだ」という人は多いですが、私は素晴らしいと思っているのです。だから、すべてバカロレアにすべきとはつゆほども思っていません。
国際学力調査(PISA)の結果をみても、日本は長年、OECDの加盟国や地域のなかでも上位のほうにいます。他の上位の国や地域をみると、シンガポールや上海、ノルウェー、北欧の国など日本より圧倒的に小さく、生徒数が少ない国がほとんどです。日本のように、これだけ子どもの数がいて、基礎学力が底辺にいたるまで高い国は世界でも類をみないと思います。だれもがおつりを計算できるし、新聞や雑誌を渡せばみんな読める。海外ではあまりないことです。それに、日本の学校は社会性を身につけさせてくれる。小学生の時から金持ちの子もそうではない子も、勉強のできる子もそうでない子もみんな一緒に掃除したり、給食当番をしてみんな一緒に食事をしたり、学校のペットの世話をしたりするのが学校の教育の一部になっています。
ただ、日本人に一番欠けていると思うのが、自己肯定感です。「自分はダメな人間だと思うことがある」と思う高校生が7割もいるという調査結果があります。日本人は自分のことを人の前であまり良く言わない習性があるけど、15、6歳で、自分がダメな人間だと思っているのは大きな問題だと思います。
バカロレアで育つと、得意なこと、好きなことが出てくるケースが多いです。それを生かして、社会に貢献したいという意識が芽生えるんですね。私の娘の友人でイギリス人の女の子がいて、その子は成績がよく、DPのスコアもオックスフォード大学に行けるレベルでしたが、その子が選んだ道は老人専用のメイクアップアーチストでした。その子はおばあちゃんに育てられ、帰郷した時におばあちゃんにメイクをしてあげたら喜んで、おばあちゃんのたくさんのお友達にもメイクしてあげたら、みんなが少女のように華やいだ、と。その子はこれを通じて、世の中を明るくしたいと思ったのです。
日本の偏差値教育のなかで育ってくる子は、自分はどのぐらいの偏差値だからどこどこ大学の何々学部だなという風に決めることも多い。自分は何が好きで、何が得意なのかを見つめることが少ない。勉強もやらされている感があるし、自分がやっていることに責任を持たない。「だって、先生や親がこう言ったから」と責任転嫁しますよね。ですから、私はバカロレアが起爆剤となって、そういった価値観の転換が起きるといいな、と思ったのです。
――私は仕事で合計7年半、アメリカに住んでいましたが、確かに、日本人とアメリカ人の大きな違いが「自己肯定感」にあるように感じました。アメリカ人は、学校でも家庭でも子供をとにかく褒める。褒めすぎにも思えましたが、日本人は逆に叱りすぎなのかなあという気がしました。
そうですね。私が留学したとき、「ピアノが得意だ」とみんなの前で言う子がいました。どれほど上手なんだろうと期待したけれど、弾けるのは「猫ふんじゃった」だったんですね。それは自己肯定が行き過ぎている例で、アメリカ人には「自己愛」が強すぎる人が多いという感覚はあります。「自己肯定」と「自己愛」は違います。バカロレアが素晴らしいと思うのは、必ずファクトから入るところ。例えば、歴史は各国の思惑が入って歴史となるから、戦勝国からみた歴史と敗戦国からみた歴史は違う。ファクトをファクトとして客観視する力を身につけることが大切だと思います。
※来週公開するインタビューの後編では、バカロレアを日本に導入する際の課題について詳しく聞きます。