南スーダンPKO撤収 「常任理を目指すには持続力が足りない」

日本が初めて自衛隊をカンボジアの国連平和維持活動(PKO)に派遣して今年、25年を迎えた。当時、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の事務総長特別代表としてPKOの陣頭指揮をとった国際文化会館理事長、明石康(86)に、PKOの経緯や現状、南スーダンからの自衛隊撤退を決めた日本の関わり方について聞いた。
国連にとっては1948年、中東パレスチナに置かれた休戦監視機構以来の伝統です。軍人が主体ですが、非武装か軽武装で本質的には外交官的な活動をし、停戦が崩れないように監視して安保理に報告する。私はこれを第1世代と分類しています。インドとパキスタンの休戦ラインやキプロスなどでいまでも継承されている本来的な役を担うPKOです。
国連の手で停戦、難民帰還、選挙の実施と行政監視、人権保護から権力の移行まで行った92年のカンボジアPKOは、第2世代の典型例です。軍人だけでなく、警察官や行政官、選挙や難民救済、民主化支援、復興支援の専門家など、文民が極めて多面的な役割を担いました。モザンビークや東ティモール、コソボ、ハイチなどでも同様です。
カンボジアPKOは日本とドイツ、中国にとっては初参加でした。ドイツは野戦病院をつくり、中国は日本と同じく施設部隊が参加しました。日中ともに犠牲者が出て、つらい経験もしました。その後、日本は米国と協力する形でイラクやインド洋の給油活動に自衛隊を派遣し、中国はいまやアフリカを中心に国連PKOに2500人規模を送っています。ドイツはアフガンの国際治安支援部隊(ISAF)に大規模に参加し、二ケタの犠牲者が出ました。
国連は戦うための軍備も、訓練もされておらず、本格的な戦争は戦えません。93年からのソマリア派遣で、米海兵隊の遺体が首都モガディシオで民兵に引きずりまわされた記憶は、国連も米国も忘れられません。米国が勝手に行動した面もありました。ガリ事務総長(当時)は95年、ソマリアの失敗を繰り返すまい、と告白しました。国連が武力介入をして人道支援を実現しようとした「平和強制」を行った第3世代はこの1件だけです。
現在は、破綻に直面したアフリカの一部の国で「強力なPKO」とも呼ばれる第4世代のPKOが展開しています。南スーダンやコンゴ、ダルフール、マリなど、今のPKOの4分の1ほどがこれに当たります。PKOは紛争の平和的解決を定めた国連憲章第6章に基づいていますが、いまは安保理の決議が武力を伴う第7章に言及するケースが多くなっています。アフリカ連合(AU)など、第8章下の地域機構も国連に不可欠の存在になっており、周辺国の役割も極めて大きくなっています。
PKOの前提である政治環境がしっかりしていなかったからでした。シリアの停戦合意は薄氷を踏むようなもので、背後を支えるロシアと米国の相互信頼もかなり怪しく、クルドやトルコの果たす役割など、どのカテゴリーに分類していいのか必ずしもはっきりしない面もありました。テロも国連と国際社会全体にとって頭が痛い問題です。
六十数カ国と一緒に日本が汗をかいたことは、日本もある程度危険度を伴った行動に参加する気構えを見せた意味で決して間違いではなかったと考えます。ただ、安全保障理事会の常任理事国を将来目指す国としては、持続力が足りない気がします。
日本は拒否権を使うことは恐らくないので、大事なのは安保理に常時参加し、意見を述べ、政策決定に参加することです。さしあたっては準常任理事国を目指し、そこでいい仕事をし、この国は常任にしないとおかしい、と多くの国が考えるようになればしめたものです。また常任理事国ではなくても、カナダやノルウェー、スウェーデン、チュニジアなどはかつて活発な外交をして、国連の「火消し役」と言われました。
米国で問題のあるトランプ政権ができ、これからは国連と相当ぶつかることも出てくるでしょう。日本は、米国の同盟国だから何でも従わざるを得ないということではなく、日本にとっての多国間外交、世界とのつきあい方を独自に考える時期になっていると思います。