「大ちゃんはもう、気持ちの整理ができているんだろう。すがすがしい顔だった」。北京五輪銅メダリストの朝原宣治(40)はトラック脇でレースを見つめ、ともに世界を転戦した男の引退を直感していた。
為末にとって、最初のハードルに引っかかって転倒するのは競技人生で初めてのことだ。「練習時間の半分以上を割き、こだわってきた第1ハードルで転倒した。もう終わった」
最近は、アキレスやひざに故障を抱え、ハードルを跳び越えて着地すると足がねじれる症状にも苦しんでいた。転倒後に立ち上がって完走したのは、「記憶を残す儀式だった」という。
「世界選手権の銅メダル二つで騒がれたけど、世界一は遠かった。僕の競技人生の25年は敗北だったんですよ」。引退から1カ月以上たった7月下旬、そう語った。「だからこそ、次の勝負では世界一にならないといけない」
■「金もうけ」への批判
「次のミーティングはいつ?」。転倒の2時間後、為末は起業家の丹埜倫(34)にメールを送った。為末をビジネスの世界に誘った人物である。
公営の遊休施設や廃校などを全面改装し、地元の野菜や魚介類を使うレストランやカフェを新設。少年サッカーチームや大学のクラブの合宿、企業の研修などに使ってもらう。丹埜はこれを「合宿ビジネス」と呼んでいる。
丹埜は会社を立ち上げ、東京都千代田区が千葉県鋸南町にもっていた保田(ほた)臨海学園を買収。2007年、合宿施設「サンセットブリーズ保田」をつくった。年間1万8000人ほどが利用している。臨海学園時代の約30倍だ。
為末が丹埜と知り合ったのは、08年の北京五輪の後。「いっしょにやろう」という丹埜の誘いに、為末は「ロンドンへの挑戦が終われば事業に加わる」と返答していた。転倒によって、そのときが少し早くやってきたことになる。
「倫ちゃん、俺、顧問とかアドバイザーとか、責任ない立場でやるつもりはないから」。為末は、そう訴えた。
丹埜は為末を取締役に迎え、さっそく2カ所目の合宿施設の計画に加わってもらった。廃校になった神奈川県箱根町の中学校を再利用する。丹埜は言う。「大さんには、冷静に状況を分析する力と、爆発的な実行力が備わっている」
為末は、丹埜と知り合ったからビジネスに転じたわけではない。
8年前のアテネ五輪後、為末にインタビューしたことがある。五輪では風でバランスを崩して準決勝で敗退し、翌年のヘルシンキ世界陸上に向けて練習を進めていたころだ。コーチなしで黙々と母校・法政大学のトラックを走っていた。
そのとき熱く語っていたのは、エドウィン・モーゼス(56)へのあこがれだった。「ハードルの神様」と呼ばれる元世界記録保持者は、引退後に経営学修士号(MBA)を取得。経営コンサルタントをしながら、陸上選手を強化するファンドの幹部に就いていた。為末は「僕も練習が終わると理論経済学の専門書を乱読している」と話していた。
この後、為末はヘルシンキで2度目の銅メダルをとる。絶頂期だった当時すでに、将来はビジネスの世界に転身することを思い描いていたわけだ。
一昨年、五輪経験のある陸上選手らと、スポーツ選手の引退後のキャリアを考える一般社団法人アスリートソサエティをつくった。代表理事として、スポーツとビジネスを結びつける道を探っている。
プロに転向して賞金のために世界を転戦し、競技場の外ではビジネスや株式投資に取り組む。そんな為末に、「アスリートが金もうけをするなんて」との批判もあった。レースで負けると、「走りに専念していないからだ」と言われた。
こうした声を聞くと、為末は「日本のスポーツ界には、まだ精神論が横行している」と感じる。自分は金もうけのためだけにビジネスをしているわけではない。たとえば箱根の合宿施設では、地元の高齢者や子どものためのスポーツクラブをつくり、アスリートソサエティのメンバーをコーチとして派遣するアイデアがある。自らのビジネスが地域やアスリート仲間のメリットになる。「僕の究極の目標はそこにある」
■迫りくる死
「たこ焼き屋をやりたかった」。03年、サラリーマンだった父・敏行が54歳で亡くなる直前、母・文枝にそう漏らしたと聞いた。何かをやり残したまま死にたくない、と思うようになった。
54歳まであと20年。その歳になるまでにビジネスで世界一になれているだろうか─。そう思うと、死が現実感をともなって迫ってくる。「だから人生をすべて前倒しに考えている」
やってみたいことはほかにもあった。
祖母が広島で原爆を経験しており、為末は被爆3世にあたる。「広島市長や広島県知事になって、世界の紛争地で仲裁役になれないか」。大学院で紛争解決学を専攻した妻(34)の影響もあり、そんな未来を思い描いたこともある。
だが、スポーツとのつながりをもち続けたい、という気持ちは抑えられなかった。
7月上旬、法政大学の講義に招かれ、スポーツビジネスを学ぶ学生約200人を前に宣言した。「僕は政治家にも指導者にもならない。地域とスポーツを結びつけるビジネスを始めます」
1足のランニングシューズを残し、現役時代のスパイクは学生時代の恩師に贈った。段ボール箱四つのウエアなども処分した。もう後戻りできない。「ビジネスでは誰も越えたことがないハードルを越える。それが僕の人生」
■Self-rating sheet 自己評価シート
ビジネスの世界に飛び込んだ為末大さんは、自分にどんな「力」が備わっていると考えているのか。編集部があらかじめ用意した10種類の「力」に順位をつけてほしいとお願いしたところ、独自に考えた「敗北力」をトップに据えたランキングをいただいた。
「敗北力」という言葉を取材で何度も口にした。世界陸上で2回も銅メダルを獲得した原動力は「惨めな敗北を冷徹に見つめ直すこと」だった。二つの世界陸上の前には、それぞれシドニーとアテネの五輪での失敗があった。高校時代にハードルに転向したのも、後輩に負けたことがきっかけだった。
2位と3位の「運」と「勘」。ヘルシンキの世界陸上のとき、現地では珍しい雨が降った。他の選手たちが動揺するなか、平常心でトラックを駆け抜けた。民放のクイズ番組で賞金1000万円を獲得したこともある。「最後の3問は、完全に勘だったんですよ」
好物…広島市の実家で母親がつくってくれるカキフライが好物。地元のオタフクソースとマヨネーズをまぜたものをかけて食べるのが為末家流だ。「陸上界では常に異端児で、いつも浮いている感覚があったけど、家だけはいつも自分が落ち着ける場所だった。カキフライは幸せの味」
愛読書…オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが「遊び」について論じた「ホモ・ルーデンス」。レースの敗因を分析するとき、「自分は義務感で走っていないか?」と自問するきっかけをつくってくれた。「陸上でもビジネスでも、『遊び』が大事。夢中にかなうものは何もない」
趣味…米サンディエゴでラテンのダンス「サルサ」にはまった。骨盤の使い方がハードルを跳ぶ動作と似ているという。「もう一度、子どものころに戻って、ハードルをやり直すとしたら、サルサを10歳ぐらいで始めたい」