私には、日本滞在中は日本食しか食べないというルールがある。中華もフレンチもスペイン料理もなし。「ラーメンや天ぷらは日本食なのか?」という反論もあろうが、あれほど独自の洗練を遂げ、完成度も高まった料理のこと、私を含め、ほとんどの人にとってもはや日本食といっていい。それに、私はラーメンと天ぷらが心底好きなのだ。この楽しみを我慢するなんて、修行僧でもあるまいし。
でもこのルール、子どもたちにはほとんど通用しない。次に出る本のリサーチで今年再び日本を訪れているわが家だが、いくら息子たちが何でも臆せず食べるといっても夕食の決断はときに一苦労。そこで頼りになる唯一の非日本食、それがピザだ。
例によって、ピザも日本独自のものをつくりだしている日本人だが、ラーメンや天ぷらに比べると何かがおかしい。スポンジのように恐ろしくぶ厚い生地にマヨネーズやエビ、アボカドがのっていたり。イタリア人にはおよそピザだとわかるまい。
かと思えば正統派でおいしいピザもちゃんとあって、現に日本人シェフは本場イタリアで開かれるピザの世界大会なんかでよく優勝していたりする。
私が東京で好きなのは中目黒「聖林館」のマルゲリータ。だが「最高の一枚」とまでは言えない。それはイタリアでしか出合えないものだからだ。単にイタリアというだけでは味の保証はなく、ローマのピザは生地が厚すぎたり、具がのりすぎたり、どういうわけか二流品だったりする。
ピザに関しては、すべての道はナポリに通じると思っていい。この喧騒と混沌の掃き溜めと化した、素晴らしき大都市のど真ん中でこそ、他を圧倒するほどおいしい真の正統派マルゲリータに出合えるのだ!……なんて。
先日、私は家族と、かの地にいた。アマルフィ海岸、ベズビオ山を経てナポリに至るまで、行く先々で食べるピザはどれもこの上なくおいしかった。ナポリの繁華街にあるガイドブックの常連、行列必至の名店からグルメおたくがネットで広めた片田舎の店まで、5日間毎食飽きることなく食べ、そのどれもが格別だったのだ。
80キロ圏内を狙え
南イタリア随一の観光地、ポンペイへと続く通りで食べたのは、行商人やひったくりでごった返し、むせかえるような人いきれの中、プラスチックのテーブルに供されたピザ。なかなかどうして、これこそが「最高」といえる代物だった。 柔らかくもコシがある生地は香ばしく焼かれ、まだくすぶっているカルデラの縁のように焦げて膨れあがっている。?めばカリッと、粗悪なピザによくある粉の半生っぽさは皆無。みずみずしいトマトソースにはフレッシュな水牛のモッツァレラチーズが浮かび、バジルの葉が踊る。
いつものようにこの味をどうにかわが家でも、とは思わなかった。実際、無理な話なのだ。まずは窯(イタリアの「フェラーラ」社製が理想的。ざっと100万円はする)がないと始まらないし、生地を寝かせる時間、小麦粉の種類や質も重要だ。水に薪、室温や湿度さえもが仕上がりを左右する。具は具で、トマトならベズビオの山肌で育ったサンマルツァーノトマトと決まっていたりする。これらがそろってもなお、感動的なおいしさは保証できない。世界一のピザに出合うには結局、ベズビオ山から80キロ圏内にあるピザ屋を訪ねるに限る。あなたにとっての「最高の一枚」がそこにあると約束しよう。
(訳 GLOBE編集部 菴原みなと)