フリーアナウンサーの富永美樹さんは「40代後半からかな、心に余裕がでてきて、50歳を超えて、人生を折り返したなという感覚があります。自分だけではなく、自分が住んでいる社会や地域、地球にちょっとでも貢献したいと考えるようになっています」と話した=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
フリーアナウンサーの富永美樹さんが、アナウンサー業を再開したのは36歳だった。8年間の専業主婦時代、テレビを見ていて、いろんなアイディアが広がり、「やっぱり人の話を聞く仕事がしたいと思った」。フジテレビのアナウンサーだった時代はこなすことが精いっぱいだったというが、「いまは試行錯誤のトライアンドエラーを繰り返しつつも、120%がんばって、90点以上は常にとっていきたい」。=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
フリーアナウンサーの富永美樹さんは、移住した山梨県でできた友人に声をかけられてガーデニングの店「niwa to ki terrace」を始めた。「地域でちょっとずつ感性の合う人と知り合って、また紹介してもらって同じ価値観をもっている人とつながっていく。そんな広がり方をしています」=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影
なぜ森林が好きなのか。フリーアナウンサーの富永美樹さんは「美樹という名前のせいか、子どもの頃から木が好きで。近くにあるクスノキにもよく登っていました」と振り返った=2024年12月、山梨県富士河口湖町のniwa to ki terraceで、藤崎麻里撮影