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断食だけでないラマダン 喫煙や性行為は禁止、善行を積む…アウファさん「自分磨き」

World Now 更新日: 公開日:
アウファさん
アウファさん=東京・築地、関根和弘撮影

ムスリムにとって一大イベントであるラマダン月が始まりました。約1カ月間、日の出から日没まで断食をする行事ですが、そこにはイスラムの深い教えや精神性があります。生まれも育ちも東京のインドネシア人ムスリムのクリエーター、アウファさんが思いをつづります。

まずは自己紹介

こんにちは、クリエーターのアウファです。私はインドネシア人の両親のもと日本で生まれ育ち、幼稚園から大学まで、日本の学校に通っていました。そして、生まれながらのムスリム(イスラム教を信仰している人)です。

現在はアパレル企業のカメラマンとして働いているかたわら、写真や動画の作品を1人でつくる「自撮家(じどりか)」としても活動しています。

今回は私の大きなアイデンティティーの一つになっているイスラム教について紹介しようと思います。日本におけるムスリム人口は23万人程度です。ほとんどの人は教科書やニュースで名前を目にしたぐらいで、ムスリムに実際出合うことは少ないのではないでしょうか。

イスラム教では礼拝が義務だったり、豚肉を食べることや飲酒が禁止されていたりします。さらには女性の信者は、肌身を包み隠すことなど、たくさんの教えがあります。

周りからはよく「色々決まりがあって大変なイスラム教をよくやっていけてるよね」と言われます。確かに、やるべきことをただ文字にして列挙すればそう思われてもおかしくはありません。人生の自由度が低いとか、窮屈な信仰だとか思われるかもしれません。

そうした受け止め方は全く間違いではないと思います。信者自身がやることにメリットを感じなければ、本当に面倒だろうし、やる意味なんてないでしょう。

ただ、そうした一側面だけをもって「イスラム教の人は可哀想」と考えてしまうのはもったいないことだと思います。そこで私が日々、ムスリムとしてどんな生活を送っているのかを紹介することで、イスラム教について皆さんにもっと知ってもらおうと思います。

ちょうど今、イスラム暦ではラマダン月です。私も断食をしています。まずはこのラマダンから紹介しましょう。

ラマダン、小学校の低学年からやる人も

ラマダン月は年に1度やってきます。期間は1カ月。イスラム暦で重要な月の一つです。

ラマダン月には断食をします。断食は、イスラムの教えである五行六信(五つの行うべき義務と信じるべき六つの信条)の五行の一つであり、ムスリムにとっては一大イベントです。

イスラムにおける断食のやり方は、日昇から日没までの間、飲食を断ちます。食べ物を摂取することはもちろん、実は水を飲むことも我慢しなければなりません。

断食が義務になるのは思春期からと言われていますが、小学校の低学年から始める人が多いと聞きます。

ラマダン期間中、筆者の実家で日没後に食事を取る人たち。この食事をイフタールと言う=2023年4月、本人提供

食事制限だけではない、精神的な意味

断食についてイメージしやすいように説明すると、やっていることは最近流行りのオートファジーダイエットのような感じです。

オートファジーダイエットとは、16時間食事制限をする断食方法で、細胞の浄化、免疫力の向上、自律神経の安定などがあるとされています。

ただ、ラマダンの断食の場合は、食べ物の摂取量を減らすことよりも、精神的な健康と心の成長を図ることが大きな目的です。

そして、ここで重要なのが、ラマダン中の慣習は、実は断食に限らないということです。ほかに意識しなければならない行動がいくつかあります。

例えば、喫煙や嘘をつくこと、けんかをすること、性的関係をもつことなどは禁止されています。禁止を破ると、断食が無効とみなされてしまいます。

一方、期間中の善行は大変推奨されていて、人に食べ物を分け与えるなどといった、施しをすることは、普段以上に評価されます。天国に入るためのポイントが稼ぎやすくなる時期なので、私はこれを「善行バーゲンセール」とか、 「ポイント○倍セール」と呼んでいます。ムスリムは、これらを意識しながら、できるだけ心穏やかになるように生活します。

この期間は、とにかく進んで善行を積んでいこうと、多くのムスリムが活発になります。日中、空腹に襲われている時は、正直自分でも心配する程の姿をしているので、見た目から想像しにくいですが、心はかなり活気にあふれています。

インドネシアや中東など、イスラム教徒が多く暮らす国々では、街並みが「ラマダン仕様」になってにぎやかになります。いわゆるクリスマスのような感じです。

断食という行動ひとつを取っても、得られるものは本当にたくさんあります。「お腹がすごくすいた、とりあえず何かを食べて飢えをしのぎたい」という思考に支配された時は、ほかのことは本当に、結構どうでもよくなったりします。

そして、食べ物を当たり前に食べられることや、健康でいることに対して感謝したり、貧しい人の気持ちを考えたりと、普段忘れていたような価値を思い出すことができます。

私たちは、本当にせわしない日常の中にいます。世間の流行、富、地位、名誉、人間関係、最近で言うと、SNSで人の投稿を見て覚えるあの疲労感……。

気付けば、得体の知れない「何か」に追われ続けて、心がすり減った気分になることはあると思います。

時には精神的な「デトックス」が必要不可欠だと感じますが、自分の内面と精一杯向き合う機会をなかなかつくれない、あるいは、やり方がよくわからなくて、結局ないがしろにしてしまうことがあります。

そう考えると、ラマダンはいい意味で、自分を強制的に管理できるチャンスになる。つまりラマダンは、このひと月の忍耐を通して、心身ともに美しくなった自分に出会うための“自分磨きの期間”というわけです。

世界にいる18億人超のムスリムが一斉に、同じ時期に実践するのはなかなかに「鳥肌もの」ですし、「みんなも、いまこの瞬間に自分自身と戦っているのだ」と思うと安心もします。

ラマダンは、普段の信仰以上に、無視し続けた「心の声」というものに耳を傾けながら取り組むことができるので、私にとっては非常に重要な時期です。

ラマダン明けの祭り「イード・アル=フィトル」を祝うムスリム(イスラム教徒)たち
ラマダン明けの祭り「イード・アル=フィトル」を祝うムスリム(イスラム教徒)たち=2023年4月、インドの首都ニューデリー、SOPA Images/Sipa USA via Reuters Connect

私の経験談

断食を始めるようになったのは小学校1年生の頃です。はじめは体を慣らすために、朝食を抜いて正午まで断食をしていました。

フルタイムの断食をするようになったのは小学校3年生からです。給食の時間は、机を囲んで友達と話しながらひとときを過ごし、学校の給食は弁当に詰めて持ち帰って食べていた。

肉体的な疲れはありながらも、相手が自分に関心を向けてくれる貴重な機会だと思うと、この立場が非常に「おいしい」と思っていたので、むしろ楽しんでいました。

中学高校のラマダンは秋の運動会と時期が重なってしまっため、水分補給ができないことは本当に過酷でした。それでも何だかんだで乗り越えられました。

最後まで断食をやり遂げられたのは、「断食をする理由はいまいち分からないけれど、やり切ったらカッコいいから」という非常に単純な誇りからくるものでした。

ムスリムの精神性

自分がムスリムとしての「軸」を貫いていけるのは、信仰によって自分の人生が助けられていることがあまりにも多く、自分自身で信仰する意味や価値を見いだせているからです。

自分にとってイスラム教の信仰とは、受験勉強や筋トレのようなものです。これらに共通して言えるのは、日頃の基礎の積み重ねが鍵で、結果がすぐに現れるものではありません。

忍耐強くやっていくことが大切です。普段私が欠かさずに行っている信仰は、天国に入るための「受験勉強」であり、清い心をつくるための「筋トレ」だと思うのです。

今回はラマダン月の慣習について紹介しましたが、これはイスラムの教えの中のほんの一部にすぎません。

このほか、豚肉やお酒の飲食禁止や、女性の髪や肌身を隠すようにする教えがよく知られていますが、これも本当に一部です。他にも、人間関係についてや煩悩との向き合い方、かつての預言者の生き様から学ぶ人生の教訓など、イスラムが教えてくれるものは挙げるときりがないほどです。

イスラムはこの世界の奥深さを、実践を通して気付かせてくれます。自分の生きる道がより自由で、より彩りあふれるものにするための、意味のある忍耐。私はイスラムの教えをそうとらえて今を生きています。

アウファさん
アウファさん=東京・築地、関根和弘撮影