提出資料は膨大かつオール英語
ISEFは一流研究者の登竜門と位置づけられ、各国の大学入試(特にアメリカ)では、出場歴は高く評価されているが、その分、出場への道のりは険しい。
まず、アメリカの各州や各国のコンテストを勝ち抜く必要がある。全コンテストをあわせると数百万人が参加するとされるが、今年、ISEFの舞台に立ったのは64の国・地域から選ばれた1638人だった。
日本からISEFを目指すには、二つのルートがある。「JSEC(高校生・高専生科学技術チャレンジ)」(朝日新聞社・テレビ朝日主催)と「日本学生科学賞」(読売新聞社主催)だ。いずれかの大会で高い評価を受ければ、日本代表に選ばれる。
今年のISEFは、テキサス州ダラスで5月14日から19日にかけて開かれた。JSECからは8研究14名、日本学生科学賞からは3研究4名、合計18人が挑んだ。
筆者はJSECの担当者として、日本代表の準備を支援し、アメリカ派遣に同行した。コロナ禍の2020年~2022年は、残念ながらオンライン参加を強いられていたため、渡米は4年ぶりだ。
JSECをへて派遣されたのは14人(男子3人、女子11人)。彼らが高校生活をかけて取り組んできた研究のテーマは以下の通りで、幅広い分野に及ぶ(学校名は2022年のJSEC参加当時)。
- バイオリンのハーモニクス奏法における倍音の持続現象に関する数理的研究(物理学・天文学)
田中翔大さん(市立札幌開成中等教育学校) - 光により誘導される根の緑化の発見(植物科学)
河野百羽さん(東京大学教育学部附属中等教育学校) - 空気の微細な気泡と海水の鉄電解を用いたアンモニア製造法(エネルギー)
安藤優花さん、石垣美月さん、相原瑛莉星さん(静岡理工科大学静岡北高) - 植物乳液の防虫効果と利用法(植物科学)
坂手遥さん、横山麗乃さん、渉結名さん(島根県立浜田高) - 忍具「些音聞金」の解明と応用~忍具の謎を解き明かし、現代に役立てる~(機械工学)
鶴丸倫琉さん、柴崎湧人さん(山口県立徳山高) - 炎光光度法を用いたエアロゾル粒子の濃度測定と可視化手法の開発(環境工学)
水谷紗更さん(東京都立小石川中等教育学校) - 心地良い「音楽」を「数学」で奏でる(行動・社会科学)
小笠原優海さん(大妻多摩高) - 赤い紅の『見える緑』『見えない緑』『光る緑』~墨を用いて紅の緑色光沢を生み出す伝統的な手法の解析~(材料科学)
箕浦祐璃さん、光吉音葉さん(文京学院大学女子高)
毎年12月に開かれるJSECの最終審査会で評価され、日本代表に選ばれると、最初は喜んでやる気にあふれるメンバーが多いが、実際は、すぐに大変な作業に直面することになる。今年のメンバーも、例外ではなかった。
苦労する原因は、準備の膨大さだ。整える資料は、主なものだけでも、アブストラクト(研究の概要)、リサーチペーパー(研究計画書)、ポスター、スライド、複数の事務書類など数多く、すべて慣れない英語で書く必要がある。
ISEFのルールは日本の多くのコンテストより厳格で、書類の記載ミスや論理の矛盾があると事前のチェックを通らない。
また、動物や危険性のある物質を使った実験では、高い研究倫理や安全対策も求められる。山口県立徳山高の鶴丸倫琉さんは「書式や慣例など、どれもが日本で行われる大会とは勝手が違い、何を指摘されるのかが全くよめず、承認を得るまで安心できなかった」と振り返る。過去のISEF出場者のアドバイスや、専門家の指摘を受けて、推敲を重ねる日々が続いた。
アメリカでの審査は、ブースにポスターを展示したうえで、大学教員などの審査員に対面でプレゼンし、質問を受ける形式だ。考えられる限りの想定質問をつくり、どう答えるかを練っていく。
12月から5月まで、英語との格闘の日々が5カ月間続く。自動翻訳が発達して楽になった面はあるが、それでも英語圏の高校生に比べるとハンデは重い。
また、この間に実験を重ねて、研究内容を発展させることも重要だ。場合によっては重要な結論が変わり、資料を書き直すこともある。文京学院大女子高の箕浦祐璃さんは「準備期間中、自分の未熟さに嫌気が差すこともあった。他のチームは研究の準備を着実に進めているのにと思うと、辛くて辛くてたまらなかった」という。
高校生には、当然ながら、それぞれ学校の授業や行事、大学受験の準備もある。例年、春先にかけて、学校生活と並行した準備に疲れ、やる気がなえかけるチームも出てくる。
その対策としてJSECでは、4月に研修会を開いている。今年は協賛企業のソニーの協力を得て、東京・品川の同社本社で2日間実施。JSECの審査を担う大学教員や同社社員らと英語で質疑応答する。
全チームがそろって研修をすることで、お互いにできばえや不足点がわかり、学び合えるのもメリットだ。日本代表は、この研修で一気に真剣モードになり、本番に向けて火がつく。
その後も、みんなで作ったLINEのグループなどを活用し、各チームの状況をケアしつつ励まし、常に楽しい雰囲気、「どんなことを言ってもこのメンバーとなら大丈夫」という場づくりに努めた。徐々に、14人が苦労を共有する一つの「チームJSEC」という意識が芽生え始めていった。
フェスのような交流会も
長い準備期間を経て、いよいよ本番。5月14日朝、全員が無事、羽田空港にそろった。ISEFが開かれる都市は毎年変わり、今年はテキサス州のダラスだ。
日本航空の直行便がフォートワース空港に着くと、機内アナウンスが流れた。「ISEFにご参加される日本代表の皆様のご健闘を乗務員一同、心よりお祈り申し上げます」。いよいよ、高校生活をかけてきた研究を、世界で発表するときが来たのだ。
エールに励まされた14人は、すぐに会場であるコンベンションセンターへ向かい、準備がスタートした。
ISEFでは、各チームに一つ、発表用のブースが与えられる。指定されたサイズでポスターパネルを展示し、プレゼンテーションと質疑に備える。
準備を終えるとチェックを受けるが、例年この段階で複数のチームが失格となるため、ホール内には緊張感が漂う。幸い日本代表は、再検査が1件あったものの、全員無事にクリアした。
一方、楽しいイベントも多い。初日の夜は、生徒だけが参加できるピンバッジ交換会で盛り上がり、2日目の夜は華やかな開会式。3日目の夜は、ミキサーイベントと称する交流会がある。
日本のコンテストの多くは、厳粛な雰囲気のなかで式次第に従うケースが多いが、このあたりはいかにもアメリカらしい。DJが入ってクラブ風の音楽がガンガンかかり、まるで大きなフェスの会場に来たような賑やかさで、世界各国からの出場者は大声で騒ぎっぱなしだ。
チームJSECのメンバーも、すぐに雰囲気になじみ、侍などの仮装をしたメンバーが人気者となったり、一緒に踊り騒いだりして、各国の代表らと打ち解けていった。
それでも審査日の前の夜になると、否応なく緊張感が高まりはじめる。「最後のプレゼン練習をやろう」とメンバー間で自然に練習が始まり、お互いにほめたり、突っ込み合いをしたりと、全員の気持ちが高まっていく。
なかには、ここまでの努力を振り返り、感極まって涙するメンバーもいて、チームとしての結束はさらに強くなった。
ついに審査日を迎えた。それぞれが、自分のブースへと向かう。大人は、通訳支援者を除いて、審査が終了するまで会場には入れない。審査は、数人の審査員が順番にブースを訪れる形式で行われる。
昼食をはさみ夕刻となった頃、大きなホーンが鳴り響き、全ての審査が終了したことが告げられた。会場から出てくるメンバーの表情からは、充実感、興奮、安堵など様々な思いがあふれている。
翌日は一般公開日で、地元の学生らが来場する。この日はお祭りのような雰囲気で、チームJSECのブースも人だかりになった。
同日夜から、表彰式が始まる。ISEFの賞は、大きくわけて二つある。一つはスペシャルアワード(特別賞)で、協賛団体や企業・大学などからの表彰だ。
もう一つはグランドアワード(優秀賞)で、研究分野ごとに一定の割合で1等~4等が選ばれるとともに、大会全体を通して優秀な研究はさらに大きな賞が授与される。例年、何らかの賞を獲得するのは、出場者の2、3割程度と狭き門だ。
先に発表されるのはスペシャルアワード。全員が結果発表をドキドキと待つ瞬間が近づいてきた。発表はアルファベット順で、最初は「アメリカ音響学会賞」だ。
「The recipient of 1st award is :from Sapporo Japan Shodai Tanaka」
(1等受賞者は、日本の札幌市からの田中翔大さん)
バイオリンの奏法を数理的に研究した独創的な成果は、音響の専門家から最高の評価を受けることができた。アナウンスされた瞬間、日本代表から歓声があがり、私たちスタッフからも声にならない声が出た。
さらに、アンモニア製造法を研究した静岡理工科大学静岡北高の3人も「上海青少年科学教育社賞」を受賞した。
翌日、最終日に発表されたグランドアワードでも、チームJSECは三つの賞を獲得。最終的な受賞結果は以下の通りとなった。
- 市立札幌開成中等教育学校の田中翔大さん
物理学・天文学部門で優秀賞3等、特別賞(アメリカ音響学会1等) - 文京学院大学女子高の箕浦祐璃さん、光吉音葉さん
材料科学部門で優秀賞4等 - 静岡理工科大学静岡北高の安藤優花さん、石垣美月さん、相原瑛莉星さん
上海青少年科学教育社賞
垣間見た、各国の育成熱
ダラスを去る最後の夜、メンバーそれぞれが食材を持ち寄り、即席の「メシパ」(ご飯パーティー)が開催された。全てが終わって解き放たれ、大騒ぎで過ごしている。帰国したら、再び会う機会はなかなか訪れない、そういった寂しさを紛らわすかのように、思い出話で爆笑が繰り返された。
一方、あとから聞いたところでは、受賞を逃したチームの中には、部屋に戻ってから、悔し泣きで眠れなかったメンバーもいたという。世界最高の舞台で味わった悔しさをばねに、成長して欲しいと願っている。
私は初めてISEFの会場を訪れたが、現場で強く感じたのは、中国やASEAN諸国、中東諸国などが国をあげて指導、支援していることだった。どの国も、科学技術人材の育成に力を注いでいることがよく理解できた。
出場者の多くは「人生を変えた経験だった」「仲間の大切さを実感した」という。帰国後に感想を書いてもらったところ、島根県立浜田高の横山麗乃さんはこう記した。
「ISEFは、高い志を持った世界中の同世代が一堂に会する、まさに夢のような場所でした。たった1週間でしたが、間違いなく私の人生を変えてくれた」
また、静岡北高の石垣美月さんの感想はこうだった。
「世界大会に出場したという確かな自信が、私に勇気を与えてくれる」
大妻多摩高の小笠原優海さんは「チーム JSECのみんなは本当に優しく、面白く、一丸となってISEFに臨むことができた」、河野百羽さんは「私は誰かと関わることに消極的な性格だったが、今は『気持ちがあるなら何にでも積極的になれ』と言いたいです」と書いてくれた。
田中翔大さんは「みんなが異なる国に住み、異なる言葉を使っているけれど、プレゼンする時のまなざしや情熱は変わらなかった。こんなに多くの人をつなぐ『科学』の素晴らしさを感じ、今まで認識してきた世界がいかに小さかったか実感した。ISEFは新しい世界への扉を開いてくれた」と振り返った。
2024年のISEFは、ロサンゼルスで開かれる。JSECからは来年も、8チーム以上の研究を派遣する予定だ。