実写版の映画「バービー」は女性をエンパワーメントするフェミニズム映画として大絶賛されている。アメリカで7月21日に公開された本作は、8月初旬に世界興行収入が10億ドル(約1400億円)を突破。これは女性監督作品としては初めてのことで、2023年公開映画の中で抜きんでたメガ・ヒットとなっている「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」に次いで現在第2位につけている。
アメリカでは原爆を開発した物理学者の伝記映画「オッペンハイマー」と公開日が重なったことから(日本公開日は未定)、「バービー」と「オッペンハイマー」を掛け合わせた「バーベンハイマー(Barbenheimer)」という造語がはやり、バービーとキノコ雲を合成するなどしたミーム画像がSNSに出回った。
それを「バービー」の米国公式ツイッター(現X)アカウントがリツートしたことから主に日本人からの強い批判が噴出。この事態に対し、日本での「バービー」配給元である映画会社ワーナーブラザースの日本法人がアメリカ本社への抗議メッセージを発し、アメリカ本社が謝罪声明を出す顚末となった。
原爆とは全く関連のない「バービー」を通して、くしくもアメリカの原爆軽視があらわになってしまったが、映画作品としての「バービー」は文化社会的に極めて優れており、以下、作品の隠れたメッセージを解読する。
60年以上の歴史、低迷期を経て人気回復
バービー人形の歴史は作品中でもその一部が示されているが、1959年にルース・ハンドラーという女性が考案したものだ。赤ちゃん人形が主流だった当時、ルースは大人の外観の人形をデザインし、娘の名前バーバラの愛称であるバービーと名付けた。以後、マテル社のバービーは玩具の枠を超えてアメリカン・アイコンとなり、世代を超えて少女と女性たちに愛され続けた。
しかし2000年代になるとクラブ風のファッションとメイクアップを施し、人種も多様化された「ブラッツ」ドール、続いてYouTube動画と連動した「L.O.L. サプライズ!」ドールが大ヒット。それらに比べると昔ながらのおとなし目の顔立ちやメイク、衣装のバービーの人気は目に見えて衰えていった。
そんなバービーの起死回生が始まったのは2016年だ。
肌の色、髪の色や質、カーヴィーと呼ばれるぽっちゃり体形や高低さまざまな身長、白斑症や車イス、LGBTQなど続々とバラエティーを広げていった。今ではバービーは全175種にも及び、2021年の売り上げは過去最高の17億ドル(約2410億円)となり、今回、満を持しての実写化と相成った。
気鋭の女性監督を起用、女性の共感を呼ぶストーリー
「バービー」は本国アメリカではGAP、ZARA、フォーエバー21といったファストファッション・ブランドを筆頭に、靴やアクセサリー、化粧品はもちろん、バーガーキングなど飲食や歯ブラシなどの日用品、果てはグーグルやXbox、さらにはAirbnb (エアビーアンドビー)に至るまで、なんと100ブランド以上とのタイアップを実施。
ピンク色の商品を全米にあふれさせたプロモーションはまさに圧巻だ。映画館には全身をピンクのファッションで固めた若い女性や女児のグループ客が押し寄せ、ウーマン&ガール・パワーの炸裂となった。
女性客たちは主役マーゴット・ロビーを始めとするバービーたちのスーパー・ハッピーなライフスタイルと、めくるめくファッションにワクワクし、かつ子供の時期に実体験し、忘れられない思い出となっている人形遊びにまつわるジョークに大笑いする……が、やがてバービーが迎える心境の変化、一大決心、落胆、絶望からの自己回復に至るプロセスに大いに共感し、涙する。
女性監督で俳優でもあるグレタ・ガーウィグは監督した「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」(2019年)と「レディ・バード」(2017年)が共に高く評価され、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、全米映画批評家協会賞の監督賞や脚本賞にノミネートまたは受賞をしている。
自立した女性の内面を細やかに描くこれまでの作風から「バービー」を手がけるのは意外との声もあったが、ガーウィグは作品を作る際に「自身の経験に基づいた部分から始める」と言い、年齢がかなり上がるまで人形遊びに熱中した過去を語っている。
主演のマーゴット・ロビーはDCコミックのスーパー・ヴィラン・チームを主役とする「スーサイド・スクワッド」(2016年)のハーレイ・クイン役で知られるが、プロデューサーでもある。
「バービー」についてはロビーが映画化権を買い取ってプロデューサーを務め、監督・脚本・制作総指揮をガーウィグに依頼。バービー役は「ワンダー・ウーマン」(2017年)を演じたガル・ガドットに打診したところスケジュールが合わず、それが理由で自身が演じたという経緯がある。
このように、どこを切り取っても女性が対象に思える「バービー」だが、実のところ、「バービー」は男性こそが必見の映画だ。
キャッチフレーズが表すボーイフレンド、ケンの悲哀
ライアン・ゴズリング演じるケンはバービーのボーイフレンドだが、主役はあくまでバービーであり、ケンはバービーなくしては存在し得ない。
ケンは自分が引き立て役であることを十二分に理解しており、少々気に食わないことがあってもバービーの前では明るく振る舞う。バービーはビーチやパーティーではケンと仲良く踊るが、パーティーが終わると笑顔で立ち去り、他のバービーたちとの女同士のパジャマ・パーティーに突入する。
ケンはいつも置き去りにされるのだ。
このプロットを表しているのが、キャラクターたちのキャッチフレーズだ。
マーゴット・ロビー演じる主役のバービーが「バービーがすべて(Barbie is everything.)」であるのに対し、ケンは「彼はただのケン(He's just Ken.)」。
このわびしさが笑いを誘う重要な要素ではあるのだが。
ライアン・ゴズリングは2017年のアカデミー賞作品賞にノミネートされたミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」で主役のジャズ・ピアニストを演じ、同賞主演男優賞にノミネート、同年ゴールデングローブ賞ではミュージカル/コメディー部門の主演男優賞を獲得。だが「バービー」については、42歳のゴズリングはケン役には老け過ぎだという声がSNSにあった。
ところがふたを開けてみると、髪をプラチナ・ブロンドに脱色し、鍛えあげた身体をプラスチック風にツルツルに脱毛し、パステルカラーのシャツの前をはだけて淡いピンクのビーチを徘徊するケンの哀愁を体現するには、その年齢も込みでゴズリングこそが最適役だったのだ。
※このあと若干のネタバレ注意!
ケンが人間の世界で獲得した「有害な」アイデンティティー
以下、若干のネタバレとなってしまうが、映画の半ば、ケンは人間界で「有害な男らしさ(toxic masculinity)」を学んでしまい、それまで持てなかったアイデンティティーとして取り込んでしまう。
それが高じ、ライバルである「他のケン(another Ken)」との対戦になる。
そのシーンでゴズリングがしみじみと歌い上げる「I'm Just Ken(オレはただのケン)」という曲が、8月に入って突如、ビルボードHot 100にチャートインするという珍現象も起きている。ケンのわびしさ、切なさ、寂しさが笑いと共に観客の耳と心に焼き付いてしまったのだ。
なお、「他のケン」を演じているのはシム・リウ。マーベル初のアジア系スーパーヒーロー「シャン・チー/テン・リングスの伝説」(2021年)で主役を演じた中国系カナダ人俳優だ。予想されたよりも出番が多く、かつアジア系としてのジョークもある。
他にイギリス人の黒人俳優キングズリー・ベン=アディルや、ルワンダ系イギリス人の黒人俳優チュティ・ガトゥによるケンもおり、キャッチフレーズはそれぞれ「彼もケン(He's Ken too.)」、「またケン!(Ken again!)」となっている。
バービーたちは大統領、最高裁判事、医師、著名作家、ノーベル賞受賞物理学者などそうそうたる肩書がキャッチフレーズとなっており、それとの対比によってケンたちの主体性のなさどころか、無職ぶりまでもが意図的に強調されている。
空っぽのケン、かつて女性が置かれた立場を描写?
ケンの主体性の無さは、現実世界でかつて女性が置かれていた立場の転写ではないかと思われる。
男性が世界・社会・家庭をコントロールする家父長制が厳然と敷かれ、女性は内助の功を求められるのみで、自立どころか声を上げることすら許されなかった。ゆえに女性はアイデンティティーを確立することもままならず、苦しんできた。
これは人間界の歴史の成り行き上、そうなってしまった事象で、バービーランドの歴史は誕生の瞬間から逆だった。女性(バービー)が主役の世界にあって 男性(ケン)は女性のアクセサリーであることを選択の余地もなく強いられ、自己を喪失した。
「バービー」を見た男性たちの中には、ケンが現実世界の女性のメタファーであることに気付かず、そのまま男性の描写だと思い、怒りを発した者たちがいる。
極右や保守派から猛反発も、作品は大ヒット
カップルで「バービー」を鑑賞し、男性が極度に気分を害し、結局は別れてしまったという女性の書き込みがSNSで話題となった。映画をキッカケに彼氏を捨てたという女性の書き込みは他にもいくつもあった。
さらに著名な極右コメンテーターのベン・シャピロは自身のYouTube番組でバービーとケンの人形に火をつけて燃やし、40分以上にわたる「バービー」批判を繰り広げた。
いわく同作品は「woke」(意識高い系)であり、「最悪の映画の一つ」である、監督も主演も女性であることから家父長制の映画ではない、医師バービー役のトランスジェンダー女優ハリ・ネフが「普通に扱われている」などとまくし立てた。
批判は保守派の女性からも出た。
やはり極右の下院議員マット・ゲイツと、その妻ジンジャー・ゲイツは共にピンクのファッションをまとってワシントンD.C.でのプレミア上映会に出席した。
映画を見たジンジャーは、作品が「信仰や家族という概念に一切触れず」「男女が積極的に協力することはできないという考えを常態化しようとしている」「ケンはテストステロン値(注:男性ホルモン)が低い」などとツイートした。
加えて、バービーの友達で、常に妊娠している「ミッジ」の扱いが不公平であるとも書いている。
だが、ニューヨークの映画館ではカップルで「バービー」を見て、映画の最初から最後まで、あちこちにちりばめられたジョークでゲラゲラ笑っていた男性もいた。こうした男性客も少なからず存在してこその興業収入10億ドル超えの世界的大ヒットなのだ。
さて、映画のストーリーに話を戻すと、エンディング・シーンの後、バービーとケンは一体どのように新たな関係性を築いていくのだろうか。非常に気になるところではある。
【追記】ベテランのコメディアンで俳優のウィル・フェレルがCEO役を務めるマテル社の重役会議のシーンは、日本人女性にはことのほかウケると思われる。その理由は、見てのお楽しみということで――。