――今なぜこの事件をドキュメンタリー映像にしようと思ったのですか。
事件当時の記憶というのは正直、うっすらという感じですが、僕にとってこの事件に関心を持つ最初のきっかけになったのは、事件について書かれたノンフィクション「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」(リチャード・ロイド・パリー著)という本です。
日本で出版されたのは2015年で、ほぼそれと同時にアメリカの映画会社が映画化する権利を買ったというのが話題になったので僕も読んでみたんです。
そのとき初めてちゃんと事件の全容が分かり、興味がわいて調べてみると、事件を扱った別のノンフィクション「刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課『ルーシー事件』」(高尾昌司著)の存在を知って。
制作のため、高尾さんから話を聞いて知ったのですが、当時捜査に当たった元刑事たちは事件から20年以上たった今でも、ルーシーさんの遺体が発見された神奈川県三浦市の海岸近くにある洞窟にお参りに行ってるんですね。彼らにとっては今も進行中の出来事なんですよね。彼らがどんな思いで被害者と向き合ってきたのか、それも含めて描きたいと思いました。
僕は元々、ニューヨークに留学して映画制作を学ぶなど、海外在住の経験が長くて、日本と海外の「文化の衝突」というか、そういう要素があるものにひかれることが多いんですね。
その意味で、この事件はまさにそういったことが含まれていると思っていて、自分のユニークな経験などを踏まえた独自の視点で描けるんじゃないかなと思ったんです。
――海外と日本の価値観や文化の違いを対比させるというテーマ設定は、監督の前作「サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌」もそうでしたね。監督のライフワークのような気もしますが、今回の作品では例えばどんな部分がそれに該当しますか。
一つは先ほど言った、元刑事たちの「死者との向き合い方」ですね。元刑事さんたちに話を聞いたところ、毎年お参りをしているんだそうです。行く際に同行しましたが、彼らは洞窟を清掃して、花を供えて。元刑事の中にはイギリスまで行って、ルーシーさんの墓参りをした人もいます。
こういう行為はすごく日本的だなと思いました。事件の被害者に対して、しかも現役を引退した後もここまでやるだろうか、と。もちろん、事件自体が社会の耳目を集めたので彼らにとっても衝撃は強かったのでしょうが、それでもこうして毎年、遺体現場で花を捧げているのは海外の警察官ではやらないのではないでしょうか。
それと、イギリス人のプロデューサーとも話し合ったんですが、「ホステス」という職業がイギリス人としてはよくわからないと。ルーシーさんは事件当時、六本木のクラブでホステスとして働いていたのですが、イギリスでは事件発覚後、ホステスは売春婦なのかとか、何かスキャンダラスな仕事をしていて、やくざの犯罪に巻き込まれたんじゃないかとかいう臆測がメディアで出ていたようです。なので、ホステスはちゃんと説明しようと思いました。これについてはNetflixからも注文がありました。その上で、当時の国内外の報道のされ方の違いを描いたつもりです。
作品でも出てきますけど、監視カメラもそうです。ティムさんが「監視カメラの映像を調べたら娘がどこに行ったかすぐわかるだろう」みたいなことを言うんですね。当時、イギリスにはすでに監視カメラがまちじゅうに設置されていました。
ところが日本ではプライバシーの観点からまだ導入は進んでいなくて。テクノロジー大国の日本で「なぜ?」と思いますよね。おまけにロンドンに設置されている監視カメラは日本製なのに。この辺も細かいですが、両国の文化の違いが出ていると思います。
あとはルーシーさんの父親のティムさんの動きですよね。娘がいなくなったことを知り、家族で来日して、情報提供を呼びかける記者会見を開いたり、ビラ配りをしたり、懸賞金をかけたり。
メディアに積極的に露出するというのは当初から考えていたようで、そういう意味では明確な戦略を持っていて、それだけしないとちゃんと捜査されないのではないか、娘を探し出すために、父親としてできることは全部やりたいという気持ちの表れなんでしょうが、日本人なら、被害者の父親がここまでやることはまずないでしょう。この辺の行動論理の違いは非情に興味深かったですね。
ティムさんは「ニュースはエクスペンダブル(消費される)で、世間の関心が薄れたらまずいから」と言っていました。でもそういう行動は結果としてプラスだったのではないかと思います。事件の存在を知らしめたわけですし、現に僕たちもこうやって20年たっても作品という形で振り返り、事件を風化させないということにもつながっているわけですから。
――ティムさんは当時のイギリス首相、ブレア氏が来日したときにも助けを求めましたね。森喜朗首相(当時)との会談で伝達され、日本側としてはプレッシャーがかかったでしょうし、しばしば「外圧」によって物ごとが動いてきた日本らしいなとも思いました。
捜査の一線にいた刑事たちはともかく、上層部は相当プレッシャーをかけられたようです。その後、捜査員を大量投入したこともやはり影響はあったのではないでしょうか。結果的には被害者も多数いることがわかり、大事件になったわけですが、警視庁としても当然、トッププライオリティーにしていたのは間違いないでしょう。
――事件の裁判では、一審は被告に無罪を言い渡しました。二審は死体損壊と遺棄を有罪と認めましたが、準強姦致死については「単独で実行したとするには疑いが残る」として無罪としています。捜査員や遺族にとってはショックだったのではないですか。
状況証拠があれだけあって、ほかの女性たちの証言もある中で、ルーシーさんに対する罪状を認めなかった一審はかなり不思議だったですね。作品の取材で話を聞いたある外国人のジャーナリストによると、彼らは当時、「陪審員もなく、裁判長が勝手に決めるとは、日本の司法システムはどうなっているんだ」と思ったようです。
あと時間ですよね。あれだけ裁判に時間がかかるのもイギリス人は理解できなかったようです。
まあ、司法もそうですが、そもそも捜査手法についても、海外ならもっと家族と密に連携して、捜査の枠に家族を入れて協力してもらいながら進めると、イギリスの捜査官も言っていました。それが日本だと、情報が漏れることを懸念して、そうはならないですよね。メディアを通じてその情報を容疑者が知ったら、(秘密の暴露)立件が難しくなるなどの理由で。
――事件はいわゆる性犯罪にあたります。今でこそ法改正がなされ、厳罰化や被害者に男性も含めるなどされましたが、当時は立件のハードルは高かったかと思います。その意味で、作品は改めて性犯罪をめぐる問題点を浮き彫りにしたように思います。
そうですね。その意味で言うと、作品にも登場する2人の女性の元捜査員の話が印象的です。結局、被害に遭ったのはルーシーさんだけでなく、何らかの証拠が残っているもので300人とか400人、ビデオで撮影されたことで確認された被害者だと200人。戦後最大の性犯罪かもしれません。にもかかわらず、立件できたのは数人。女性の捜査員2人は被害者と向き合い、証言を聴いていただけに、犯罪手口の卑劣さや立件の難しさに対する怒りしかなかったと語っていました。2人のうち1人が言った「強姦というのは殺人に等しい」という言葉は、ものすごくインパクトがありました。
――Netflixでの作品発表となったのはなぜですか。
僕らは元々、日本に限らず、全世界に発信していきたいということで制作しているので、それを考えるとNetflixが一番フィットしていると思い、最初に話を持っていきました。それが3年前のことです。
――今後はどんな作品を考えていますか。
ドキュメンタリーもやっていきたいのですが、今後フィクションもやれたらと思っています。元々映画の勉強をしていたということもあるので、一度はチャレンジしてみたいです。
ただ、近年においてはドキュメンタリーの方がすごく面白くて、この10年、15年で完全にひっくり返ってしまいましたよね。おそらくフィクションで現実を超える面白いものは作れないんじゃないかと思うぐらい。とはいえ、今までにないやり方や視点で面白いものが作れればと思います。