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妊娠中のワクチン接種で「炎上」経験 脳科学者・内田舞さんの差別と分断の乗り越え方

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内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影
内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影

人種差別に直面した欧米での子供時代

――なぜ「ソーシャルジャスティス」、つまり「社会正義」という本を書こうと思ったのか教えてください。

「ソーシャルジャスティス」という考え方は、もしかしたら生まれ持ったものかもしれませんが、私が小さい頃から持っていたものだと思うんです。小学校の頃にアメリカとスイスに住んだ経験が大きく影響しています。

ポジティブな経験が多かったのですが、人種差別や女性差別もありました。特に1990年代初めのヨーロッパでは、いわゆる白人至上主義が存在していて、日常の言葉の端々にアジア人は白人に比べて下の存在だとにじませた発言がある環境でした。スイスの公用語のドイツ語を話せないことで、公園で子供たちに囲まれてつばをかけられたこともありました。

私がどんなことを考えて、何に興味を持っている人間なのかとは別に、他人が私に投影するイメージがあって、それが良いものであれ悪いものであれ、私がコントロールできない部分あると、89歳ぐらいの時に経験しました。

いい思い出ではないけれど、このような経験を毎日している人がいることを知るきっかけになりました。自分自身がした嫌な思いは他の人にもしてほしくないと思いますし、その人がどういう人かということと全く関係なく、誰かが苦しい思いをしたり、虐げられたりすることはなくしたいという気持ちが強くありました。ですから日本に帰国して通った小学校でいじめなんかがあると、必ずそれを止めに入るような役目をしていました。それが多分、ソーシャルジャスティスということだと私は思うんです。

その後の人生でも、幸せなことがたくさんある一方で、差別を感じる瞬間も多々ありました。それをどのように乗り越え、なくしていくかを考えたときに、人と人とのコミュニケーションが一番大切だと感じます。みんな違う経験をしながら生きていく中で、全く違う考え方を持っていると思っても実は根元の部分が同じだったりしますよね。

「コミュニケーション」ってシンプルな言葉ですけれど、その言葉の共鳴・共有が重なれば重なるほど、自分自身も、そして社会も前進できると感じることが、これまで何度もありました。ですからこの本は、コミュニケーションの大切さ、そして人との共感、共有の大切さを伝えたいと思って書きました。

妊娠中の新型コロナワクチン接種経験を発信して受けた中傷

 ――なぜSNSで「炎上」が起きるのか、ご著書では心の中のメカニズムを丁寧に解説していますね。コミュニケーションの大切さを示すケーススタディーなのでしょうか。

まさに、いい例だったんです。20211月、ちょうど3人目の息子を妊娠している時に新型コロナワクチン接種を受けました。アメリカの医療従事者なので、接種の順番が回ってくるのが世界を見渡しても早かったんです。

ワクチンを接種するべきか、その数カ月前から調べましたが、接種するリスクは非常に低いのに対して、接種しないリスクがずっと高いことはデータからも明らかでした。妊婦さんが感染すると重症化のリスクが高く、死亡するリスクも2倍ほど高くなります。特にアメリカは感染大国だったので、感染した場合の重症化を防げることなら何でもやろうと思っていました。

新型コロナのmRNAワクチンの仕組みを考えても、胎児に影響を及ぼすリスクは非常に小さいので、ワクチン接種は私にとっては自信を持った判断だったんですが、妊婦さんが新しいワクチンをちゅうちょする気持ちはよく分かるんです。不安もあって当然だけれど、自分や子供を守るために良い判断をしてほしいと思っていた矢先、所属しているハーバード大学付属病院から依頼があり、妊娠中にワクチンを接種した写真とともに私の思いを文章にして発信しました。

内田舞さんの著書「ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る」(文藝春秋)の書影。表紙には2021年、妊娠中に受けた新型コロナワクチン接種直後の自身の写真を使った。
内田舞さんの著書「ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る」(文藝春秋)の書影。表紙には2021年、妊娠中に受けた新型コロナワクチン接種直後の自身の写真を使った。

それがなぜか日本でバズっちゃったんです。びっくりしました。毎日のように日本から取材依頼が来て、20211月から3カ月余り、毎日テレビに出ていたんです。日本での注目度には理由があるなと感じました。一番大きいのは、ワクチンへの忌避感が日本全体に広がっていた点。それに加えて、日本人で女性で、ハーバードの教授職を持っていて、医者で、さらに妊娠していて3人目らしいという、その存在自体がちょっとびっくりされる存在だったということも、取材を受ける中で感じました。

ほとんどの人が私を温かい目で見てくれたんですが、その頃に受けた中傷の言葉が、なかなかとげのあるものだったんです。一番嫌だったのが、「死因は母親のワクチン接種」と書かれた偽の「死産報告書」を送りつけられたことでした。もちろん、(その後に生まれた)子供は元気に育っているんですけれど、「あなたの子供は絶対に死ぬ。健康に育つわけがない」と言われたら、妊婦としてもう泣きたくなりますし、実際、泣きました。

「向こう側」にいる相手と自分の共通点を見いだす

SNSって、私に対して1人が発信したコメントを、私以外のたくさんの人が見ているんです。コメントを見て不安になっている妊婦さんがたくさんいるのはかわいそうだと思いました。そこで私は、みんなに情報を届けて、どんな判断をしたとしても、私は手を握ってサポートするよと、そんなメッセージを送り続けようと思いました。

その時、(中傷コメントを発信してくる)相手についても考えました。

「分断」って、赤と青のように2色に分けられたようなイメージを持ちがちなんですが、実はそんなにはっきりした「線」があるわけではなく、たくさんの色のブレンドと濃淡のグラデーションがあるものなんです。そう考えたときに、「向こう側」にいて、ワクチンを忌避する人がどういう人かを考えると、私と同じように自分自身と自分の大切な人を守りたいと思っている人たちで、そのためにちょっと違う表現と違う情報を入手してしまっただけで、共感できる部分もあるんだと感じることができたんです。

内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影
内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影

共感できる部分があると、そこから会話を始めることができます。相手を説得するというわけではなく、ただ私の経験と科学的知見を共有すること、そしてみんな自分自身と大切な人を守りたいんだよね、というその共感を共有する感じです。それが分断を越えるということなのかなと思います。

分断を越えることは、分断を「なくす」こととは全く違うと思うんです。そして、色の濃淡やグラデーションを「同じ色」にするものとも違うと思うんですけれど、そのグラデーションを少し動かしたり、色の交わりを少し始めさせたりする、それがThem(彼ら)とUs(私たち)をつなぐ私の役割なのかなと、そんな思いでやっていました。

「炎上」を鎮めるのは、一息ついて「論理のねじれ」に気づく力

――なぜその人がSNS上でそんなコメントをしたかを突き詰めて考えられれば、少なくとも「炎上」に加担しなくなる気がします。

そうなんですよ。ソーシャルメディアはとにかく速いペースでいろんなものが流れてくるので、ついその時の感情に従って「いいね」を押してしまったり、リツイートやシェアしたりしてしまうものですけれど、今見えていることがらの背景を理解しているとは限りません。炎上という大きな波が起きると、大抵は問題や意見の本質から離れて、「この人をたたきたい」と、そのことばかりになってしまうことがあるんですよね。

「この人をたたきたい」という思いがソーシャルメディアのバブルの中で膨れあがると、揚げ足を取ったり言葉尻を捉えたりして、どんどん本質から離れていきます。一息ついて「論理のねじれ」に気づく力が大切だと思います。

内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影
内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影

――一息ついて考える。それはまさに内田さんの研究テーマでもある「再評価」ですね。

そうなんです。再評価はどんな場面でも大切な考え方だと思っています。再評価とは具体的には、ネガティブな感情が湧き出た時に一度立ち止まって、その感情や、その感情にまつわることを再度評価してみるということです。そして本当にそこでネガティブな感情が湧くべきなのかを考えたり、ネガティブな感情の背景にはどんな考えがあるのかを考えたりして、できる限りポジティブな方向に感情を持っていく思考過程のことを「再評価」と呼びます。

私はそれを脳科学的に研究していて、自分の感情を顧みる時や感情が湧き起こっているときに、脳の中ではどんなことが起きているか、脳のどの部位がどんな機能を発揮しているかをリアルタイムで見る実験や研究をしています。再評価に関わる脳の部位は主に二つあって、感情を生むのが「扁桃(へんとう)体」、感情を論理的にコントロールするのが「前頭前野」という部位なんです。その二つのコラボレーションによって再評価が行われるということを論文にした研究業績があります。

これを日常生活に当てはめてみると、人間は感情がとても大切な動物なので、どんなものにもうれしいとか悲しいとか、イライラするとか不安だとか、様々な感情を湧かせながら生きていくものなんです。ただ、今まさに強く起きている感情が、常にその場にそぐうものかといえば、そうでもないこともあるんです。

同調することや承認欲求そのものは、人間の自然な脳機能

――そうすると、自分の中に「炎上」させたくなる気持ちがわき起こった時は、再評価が大切ですね。

例えば、炎上に自分が乗ってしまうような時は、自分に見えるSNS上の世界が世界全体に見えてしまうことがあるんですよね。これを「フィルターバブル」といいますが、そのバブルから一歩外に出てソーシャルメディアを閉じた途端に、全く関係ないことの方が世界では重要視されていることに気づくこともあるんです。

人間は社会的で、人とのつながりを大切に思う動物です。旧石器時代や石器時代では、誰と同調しているかとか、部族のリーダー的な人物から信頼され、承認されているか否かが生存に関わる問題だったので、私たちの脳はその中で生き残れるように進化してきたし、いまだに同じ傾向を持っているんです。だから、同調したくなったり、承認が欲しいと思ったりすることは非常に自然な脳機能の一つで、それ自体は恥じる必要も拒絶する必要もまったくありません。もう受け入れるしかないんです。

でも、その感情が湧いた時に、感情を先行させて行動に移してしまうと、他人や自分を傷つける結果になってしまいやすいので、ソーシャルメディアの速い展開の中で、一度立ち止まって一息つく癖をつけることはとても重要だと思います。 

内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影
内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影

――高い自己評価を持つことも、「炎上」に向き合う上で大切だと説いています。

そうですね。私はそれを「外的評価」と「内的評価」という言葉で表現しています。

私はアスリートの診察をすることが多くて、オリンピックを目指すような若いアスリートと話すときに、たいてい最終的にこの話になるんですよ。アスリートに限らず、誰しも外からの評価にさらされることは常々ありますが、アスリートの場合、順位やメダルの色、点数、メディアの注目度、それからフォロワー数が外的評価に当たります。それを欲しいと思うのは、これまた自然な気持ちであって、そのために頑張りたいと思うことはとても良いことだと思うんです。

しかし、外的評価には自分のコントロールの及ばないアップダウンがあります。けがをして外的評価がぐんと下がってしまうこともあります。

それとは逆に、内的評価は、自分が自分自身を大切に(appreciate)できるかどうかです。簡単にアップダウンしません。内的評価は、自分の生きがいだったり、これだけの経験を経て自分は成長してきたんだと顧みる中での自尊心だったり、自分には自分なりの意味があると自分をリスペクトする心です。その内的な評価をできる限り高い、良い状態に保てさえすれば、外的に何を言われたとしても自分の心に「矢」が届かなくなるので、内的評価は大切にしなくてはいけないと思っています。

――内的評価が高ければ「炎上」しても自分の心を守れますし、そもそも「炎上」に加担するような瞬間的な行動を取らなくなるのかもしれませんね。

まさにそうなんです。承認欲求や同調圧力って、自分は自分でいいんだと思うと、あまり大きな力ではなくなるんですね。もちろん人間として承認欲求がなくなることはないと思うんですけども、「別にここで何と言われても、私は私だから」と思えると、意味のない炎上に乗らないし、炎上に巻き込まれた時も、自分の心を守ることができると思います。

「キャンセル・カルチャー」は社会の前進に貢献しない

――ソーシャルメディアで過去の言動を理由に著名人らを批判や排除、ボイコットする「キャンセル・カルチャー」に反対されていますね。

そうですね。世の中には起こるべきして起こった炎上もありますが、炎上の流れとして、その人が発した言葉のイシュー(問題)について解決したいというよりも、一つのことを取り上げて、「この人を追放したい」という方向に流れるんですよね。 その人を追放したとしても、ほとんどの場合、何の解決にもなりません。炎上の中で、重なった罪が明るみに出た人が法的に処罰されることはあるかもしれませんが、それはまた別の話です。

その人の評判をとにかく汚して、この人の発言権をなくそうというのがキャンセル・カルチャーの一端だと思いますが、それは果たして本当に社会を前進させるものかといったら、そうではないと思うんですよね。本来は、炎上によって取り上げられたイシューが前進するようにみんなが考えなければならないのに、その人の発言権を奪うことが最終的な目標になってしまう、非常に危険な考え方だと思っています。

立ち止まって考えると、炎上するほどのことじゃなかったということもたくさんあります。一つの意見について自分とはちょっと考え方が違う人でも、その他でたくさん社会のためにいいことをしていることもあります。

人間、過ちがない人はいませんし、その過ちについての認識も時代とともに変わってきています。30年前には許されていたことで、本来許されるべきではなかったということもあるんですけれども、「この人は30年前にこういうことがあったから、今の意見も全く聞くべきではない」というのは、私はやっぱり社会を前進させることにはつながっていないのではと思うんです。

内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影
内田舞さん=2023年4月19日、東京都千代田区、関根和弘撮影

――社会を前進させるとおっしゃいましたが、内田さんが考える目指すべき社会とはどんな社会ですか。

社会を前進させるとは、具体的には権利を与えられてない人が権利を勝ち取れたり、与えられた権利をうまく行使できない人が権利を行使できたりするようになることだと考えます。

例えば日本では、医者の私に関わることとしては、医学部の入試スキャンダルがあり、女性が女性であるだけで点数を操作されていました。まったく不平等な話ですが、それが象徴しているのが、女性医師の生きにくさだったり、男性医師に要求される長時間労働だったりして、男女どちらのジェンダーを当てはめても損するような状況があります。それに関して、男女平等に休む機会と責任を与えられる機会を持つとはどういうことなのか考えていかなくてはいけません。

それから日本の夫婦別姓も、それぞれのキャリアやアイデンティティーを保つという点で選択肢があるべきだと思います。現状では女性が96%の割合で名字を変えていて、何かの責任をジェンダーがこれだから、というふうに全部負わせるのは平等ではないと思うんですよね。

あとはLGBTQ+の方が自分らしく生きることと、自分の愛するパートナーとカップルとしての権利を認めることも、社会を前進させることにつながると思います。

マクロな差別につながる「マイクロアグレッション」の危険性

――目指すべきは、女性も男性も、すべての人が自分らしく生きられる社会ということですね。ご著書では、母親に恥を感じさせることを指す「Mom Shaming(マムシェイミング)」など女性に向けられた現実についても章を割いています。マムシェイミングを始めとする「マイクロアグレッション」の危険性について教えてください。 

マイクロアグレッションは「小さな攻撃」と訳されますが、社会の中で共有されているバイアスが、誰かを攻撃する小さな言葉になることを指します。

例えば、アメリカの人種差別の文脈で、黒人で学術的に成功されている方に向かって「黒人ぽくないね」というようなことを言ったりすることもマイクロアグレッションです。それは、黒人はアカデミックに成功するはずがないというバイアスがある中で発した言葉だからです。

私が受けたマイクロアグレッションの例として、私に「最初は『勝ち組女性』かと思って疑っていましたが、話を聞くごとに信頼感が増しました」というようなことを書いてくださった方がいました。これ、応援のメッセージなんですよ。おそらく私のハーバード大学での肩書やイエール大学での教育や経歴を指して「勝ち組」と言っているのだと思いますが、どうして「勝ち組女性」と分類された途端に「疑われる」ことになるのかな、と。もし男性だったら、「勝ち組男性だから疑っていました」と言われただろうかと思うと、言われたかもしれませんが頻度は低かったと思うんですよね。

マムシェイミングもそうなんですけれど、母親ってどんな選択をしても批判される対象になりますよね。例えば、授乳をしていたら「まだ授乳しているの」と言われたり、粉ミルクを与えていたら「母乳をあげないなんて」と言われたり。どんな選択をしても、自分がやっていることが十分ではないというようなことを言われたりするわけです。

そういう「小さな言葉」に見えるんだけれども、実はすごくマクロな偏見につながっているものであって、それが重なれば重なるほど、深い傷になっていくものだと思うんです。

マイクロアグレッションは蚊に刺されることと似ていると言われます。蚊に1回刺されると、その時は不快だな、かゆいなって思うけれども、100回刺されると腫れあがってしまいますよね。それがその社会の中で、いわゆる弱者、マイノリティーの立場に立つ人は、いわゆる強者に比べて、そのマイクロアグレッションを受ける頻度が相当多いんです。

日本社会の中で男性が「勝ち組男性」と言われることが1回だとしたら、女性が「勝ち組女性」と言われてマイクロアグレッションを受ける確率は200倍ぐらい高いっていうイメージです。あなたが1回刺されている間に、私は200回刺されている、そんな時って、ちょっとしたかゆみで収まらない感覚だと思うんですね。でも200回刺されていない人にとっては「気にしすぎだよ」「僕だって刺されるよ」「だからフェミニストっていつも怒っているんだよね」みたいな感じで言われてしまったりします。怒る背景にはこれだけ不快な思いをする機会があるからなんだよ、と。

マイクロアグレッションも小さなものに見えて、実は人に影響を与えていることだから、我々一人ひとりが気をつけなきゃいけないことだと思います。

――マイクロアグレッションのように、悪気なく発してしまう差別の芽を摘むために大切なのはどんなことでしょうか。

立ち止まって、相手の立場を想像してみること。その中で何か共感できるものがあれば、それをちょっと言葉にしてみること。そして、気付かずに誰かを傷つけてしまうことは必ずあるので、そのときには「ごめん」と謝り、相手の思いを想像してみること。そのプロセスやその会話が本当に大切なんじゃないかなと思います。

あなたが感じた違和感は大切にしていい

――ご本のコピーに「社会の分断への処方箋」とあります。今の日本社会についてお尋ねしますが、日本に閉塞感を感じますか。

感じていますね。もちろん日本も変わっていないと思いながら実はすごく変わっているところもたくさんあって、日本は前進しているんですよね。でもなぜ社会は変わっていかなければならないのかが分からないまま、なんとなく進んでしまっていて、社会の変化にみんながついてきていないところもあると思います。

この世界や子供たちに残して行く社会がいいものであってほしいという思いは、みんなが持っていることだと思うんです。そこを自分自身の言動で、どういうふうに理解したら、いいものになっていくんだろう、というのを考えるきっかけにしてほしいなあと思っています。

私は「処方箋」っていうほどの大それたことはまったく本の中でも書いていませんが、考えるきっかけを見つけること、そして考えるきっかけを見つけた際の考え方、そこにヒントがあるんじゃないかなと思っています。その辺のヒントを探している人は、私は日本の中に結構いるんじゃないかと思うんです。

「マイクロアグレッション」って、ムズムズしてなかなか言葉にできない違和感のようなものですけれど、その違和感は女性でも男性でも、育児中の方でも、子供を持っていない方でも、感じている方は多いのではないかと思っています。

その違和感を大切にしていいんだよ、違和感を見つめ直した時に、「ああ、こういうことだったのか」と気づくこともあるよ、それに気づいた途端に楽になることもあるし、気づいて受け入れた途端に 次の一歩が見えることがあるよ、と。そんな応援の気持ちを込めた本です。