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ロシア人は海外移住指向 ソ連崩壊、ウクライナ侵攻…私が国籍を日本に変えたい理由

People 更新日: 公開日:
あしやさん
あしやさん=関根和弘撮影

ロシア人の海外移住について語るあしやさん

はじめまして、あしやです。私はロシア人で、日本でYouTuberやタレントとして活動しています。

運営するYouTubeチャンネルでは、ロシアと日本の文化の違いを語ったり、外国にルーツを持つ人たちに話を聞いたりする動画を投稿しています。登録者数は現在、29万人を超えています。

あしやさんのYouTubeチャンネル

GLOBE+では初めてのコラムとなる今回は、「ロシア人と海外移住」というテーマで書いてみたいと思います。

私自身、ロシアから日本に移住して12年になります。子どものころから将来もずっとロシアで暮らすことに、嫌な気持ちがあったからです。

ロシアの絶望的な雰囲気、コネがものを言う、政治家や警察官たちの汚職がひどい、貧富の差が激しい、治安が悪い…そんな社会が嫌でした。

逆に日本は世界で最も治安がいい国の一つで、子どものころから日本のアニメや漫画が大好きだったことから、移住先に日本を選びました。

移住当初は、外国人として日本でちゃんと生活できるか、受け入れてもらえるか、不安でした。でも、実際に暮らしてみると全く問題ありませんでした。

12年間住んでみて、とても好きになり、将来もここで暮らしていきたいと思ったので、2022年に日本国籍を取得するための申請をしました。認められれば日本人になります。

正直、一刻も早く、ロシア国籍を「捨てたい」とも思っていました。しかし、法的には、ほかの国の国籍がない限り、ロシア国籍を離脱することができません。空港などで出入国の審査を手続きする際、ロシアのパスポートを手に取ると、改めて自分はロシア国籍なのだと実感し、嫌な思いがこみ上げます。

私のように海外移住をしたいと考えているロシア人はたくさんいます。最近ですと、ウクライナ侵攻(2022年2月24日開始)をきっかけに、海外に移住しようとする動きが増えたと思います。

それまでもロシア人が海外移住する動きは度々ありました。ロシアの慈善団体が設立したプロジェクト「Если быть точным(イェスリ・ブィチ・トーチヌィム)」(「正確に言うと」の意味)によると2021年の時点で、国外で暮らすロシアの人たちは1千万人以上いて、国別で海外移住者数を見た場合、インド、メキシコに次いで3番目に多いとのことです。私自身、驚きの数字です。

ロシアのメディア「Секрет фирмы(セクレット・フィルムィ)」(「会社の秘密」の意味)によると、ロシア人の海外移住の波は100年以上前からあり、主に四つあったようです。

第1波:1917~1924年

1917年にロシア革命が起き、ロシア帝国が滅んでソ連ができました。このとき、革命を受け入れたくない人たちが多数海外に亡命しました。いわゆる白系ロシア人です。日本にもたくさんやって来ました。プロ野球の巨人などで活躍したビクトル・スタルヒンさんや、大相撲の横綱、大鵬のお父さんらが有名です。

300勝を達成したプロ野球トンボ・ユニオンズのスタルヒン投手
300勝を達成したプロ野球トンボ・ユニオンズのスタルヒン投手(右から2人目)=1955年9月、京都・西京極球場

第2波:1940年代

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの領土内に、多数のソ連兵が捕虜として留め置かれていました。彼らの一部は戦争が終わっても祖国ソ連に戻ろうとせず、そのまま海外にとどまったほか、ソ連領内にいた住民の一部も、ドイツやその同盟国が撤退した際に海外脱出しました。

第3波:1960年代から1990年

ユダヤ系住民やドイツ系住民の出国が相次ぎました。ソ連の政治体制が嫌だったり、中東やヨーロッパにいる「離散」状態の家族や親類と一緒に暮らしたいと望んだりしたのが動機だったようです。

第4波:1990年~2000年代

ソ連崩壊の前後、それまで海外渡航が制限されていたロシア人たちは海外に出やすくなりました。ユダヤ系住民とドイツ系住民がそれぞれの民族の国(イスラエルとドイツ)に向かったほか、仕事を求めるなどしてアメリカに移住する人もいました。

そして話は戻りますが、このあとが、まさに現在続いているウクライナ侵攻をきっかけにした「第5波」です。

第5波の特徴は、都会に住む高学歴、高収入の人たちが、政治的な理由で国外脱出を図っているという点です。

海外移住する金銭的な余裕はあったものの、それなりにロシアにとどまる理由があった人たちが、侵攻をきっかけについに海外に生活や仕事の拠点を移す覚悟を決めたのです。

侵攻に関連し、報道が統制されたり、言論の自由が制限されたりする動きが強まりました。例えば2022年3月、ロシア軍に関する情報発信について、ロシア当局が「フェイクニュース」と見なせば罰則が科せられる法律ができました。

言論の自由という視点でみれば、黙ってロシアにとどまるか、反発の声を上げて拘束され、最悪刑務所に行くか、海外に脱出するかの3択になってしまいました。

特に政治活動家にとっては、黙っているという選択肢は容認できないでしょうから、拘束されるか、海外に出るかの2択です。

例えば、プーチン政権を厳しく批判してきた野党政治家でクラスノセルスキー地区(モスクワ)の議員イリヤ・ヤシン氏は、ソーシャルメディアやYouTubeなどで、ウクライナ侵攻について情報発信をしていましたが、それらが上述した法律によって取り締まられました。裁判でも「ロシア軍に関するフェイク情報を拡散した」と認定されて、禁錮8年6カ月の実刑を言い渡されました

ロシア軍に関する偽情報を広めたとする罪に問われ、公判に出廷するイリヤ・ヤシン氏
ロシア軍に関する偽情報を広めたとする罪に問われ、公判に出廷するイリヤ・ヤシン氏=2022年12月、モスクワのメシャンスキー地区地裁所、ロイター通信

一方、ロシアで数少ない独立系リベラルメディアの「ドーシチ」(ロシア語で「雨」の意味)の記者にインタビューして聞いたのですが、何人もの記者が昨年3月上旬、当局による拘束を恐れて、ほとんど荷物を持たないままあわててジョージアやラトビア、オランダ、フランスなどに逃げたということでした。

ちなみに彼らは移住先で、今も情報発信を続けています。ドーシチはYouTubeでも視聴できます。ロシア政府の「コントロール」がないロシアのメディアとして、貴重な存在となっています。

海外に出たドーシチの記者の一人、アリーナさんは、ロシアから出たくなかったけども、逮捕される可能性も迫っていたため、海外で情報発信をする道を選んだそうです。

これに対し、あるドーシチ元記者はロシアに残ることにしたといいます。プーチン政権が崩壊する瞬間をいち早く目撃して取材したいからだということです。「過激な言動」を控えているため、今のところ摘発されるようなことはありませんが、それでも決して安心はできないでしょう。

私の友人や知り合いも、侵攻の前後で考えは変わったようです。

侵攻前は、海外移住したい気持ちはあったものの、ロシアでの生活が、ある程度豊かだったので、無理して海外に出て、ゼロから生活を築こうとは思わなかったといいます。たとえ政治に不満があっても、生きていく上では何ら不自由はなかったわけです。

ところが軍事侵攻が始まると、状況は全く変わりました。「これ以上、ロシアに住むことはできません」「ロシアで税金を払いたくない」「戦争する国にはいたくない」などと思うようになり、目が覚めたようです。

大変ではあるけど、海外で仕事を探しつつ、いったんアルメニアやジョージアに一時避難し、そのあとヨーロッパやアメリカ、アジアの国で就職先を確保して移住する人が増えていきました。

ロシアとの国境を越え、隣国ジョージアに歩いて入国してきた人たち
ロシアとの国境を越え、隣国ジョージアに歩いて入国してきた人たち=2022年9月、ジョージア北部、ロイター通信

もちろん、手続きには大変時間がかかることなので、戦争が始まってすぐに行動したわけではなく、徐々に準備を進め、実際に移住できたのは2022年末になっていた、という人も多かったようです。

ちなみに2022年中にロシアを出国した人は、70万~100万人と指摘されています。大都市の住民がごっそりいなくなったぐらいの数字です。

では、主にどんな人たちがロシアを去ったのか。あるアンケート調査によると、プーチン大統領による「部分的な動員令」が発動した2022年の秋までに国外に出たロシア人の平均年齢は32歳で、大卒かそれ以上の学歴がある人が8割に上るとのことです。

また、政治に関心がある人は9割、ロシアに戻るのは不安と考えている人は5割に達したといいます。

特に、部分的動員令の影響で、若い男性もたくさん国外に出ました。飛行機のチケットの値段は高騰し、隣国ジョージアとの国境は、何十キロも乗用車が渋滞しました。大混乱だったようです。

例えば、私の幼なじみのイリヤはバスでカザフスタンまで行き、そこから就職先が決まっていたアラブ首長国連邦のアブダビへ向かったそうです。

ほかの出国先としては、ジョージア、アルメニア、カザフスタン、トルコなどです。ビザなしで入国、一時滞在できる国々で、これらの国ではロシア語も通じることが多く、生活に困らないというメリットもあります。

特にカザフスタンはパスポートがなくても、ロシア国内の身分証があれば入国できます。カザフスタンを経由して、ヨーロッパやアメリカに移住する人もいます。

個人的には、ソーシャルメディアでよく投稿を見ていたインフルエンサーたちの半分以上が海外に移住した印象です。

例えばInstagramに投稿された写真や動画を見ると、移住先で多いのはトルコやジョージアです。ほかにはアラブ首長国連邦、ラトビア、セルビア、ブルガリア、オランダといったところです。

ロシア人の海外移住について語るあしやさん
ロシア人の海外移住について語るあしやさん=東京・築地、関根和弘撮影

ただ、海外に移住したけども、知らない土地で言葉を学んだり、新しい生活に慣れたり、時に差別されたりするかもしれない中で生きていくことは大変です。

一方で、侵攻を支持せず、反戦の立場であっても、海外に出ず、ロシアに残った人たちも大変です。出国しなかった理由は、高齢の親や親戚がいる、移住先で仕事のあてがない、金銭的余裕がないなど様々です。

色んな不安を抱えながらロシアに残る選択をしたわけですが、自分の国が他国の領土で人を殺害していることや、戦争そのものに反対の意見を言うことで逮捕されるかもしれないというプレッシャーの中で生きることもまた、大変なことです。

ロシア人の海外移住「第5の波」によって、ロシアの発展に影響が出ると思います。というのも、今回海外に出た人たちは、高学歴で仕事ができる優秀な人が多いからです。ロシアにとってみれば、まさに「頭脳流出」であり、高度人材が失われたわけです。

いつかロシアに自由が戻るかもしれませんが、そのためにはプーチン政権が終わるだけでなく、その後どんな政権になるかにもよります。軍事侵攻が終わるのかなどの問題もあります。

私自身、戦争に反対の意見をテレビやソーシャルメディアで発信しているので、ロシアに戻っても拘束されるなどの危険があります。プーチン政権が続く限り、ロシアに行くつもりはありません。ロシアにいる家族と会うことができず、生まれ育った町を歩くことができないのはとても悲しいことです。

ウクライナの人たちのことを思えば、ぜいたくな悩みかもしれません。とにかく、ウクライナへの軍事侵攻が終わり、プーチン政権が終わることを願うばかりです。

あしやさん(右)と関根和弘・GLOBE+編集長
あしやさん(右)と関根和弘・GLOBE+編集長=東京・築地