私の若い友達の夫婦が念願の妊娠をしました。
「生まれるまでが心配で心配で」と落ち着かない様子です。
「流産したらどうしよう?」「これで失敗したら、子供ができなくなるかもしれない」と過剰に動揺しています。
長年頑張って、やっと妊娠したので、そうなるのも無理がないと思います。
子供が欲しくて仕方がなく、子供のいない人生は想像できないようでした。
「子供がいなくても、君たち夫婦はうまくやっていけるよ」と言いました。しかし、
「それはわかっているけど、自分達の子供が欲しいんです」と二人の願いは変わりませんでした。
近年は子供がなかなかできないカップルが多くいます。
不妊治療をする人が増えましたが、費用もかかるし、苦労も多いようです。
子供ができない原因は人それぞれで、治療を受けたからといって、必ず妊娠するとは限りません。
何回も試しては失敗している友達が何組かいます。
諦めるカップルもいれば、努力し続けるカップルもいます。
「養子を迎えるのも方法の一つでは」と言っても、「子供ができないなら、諦めます」という人が多いのです。
アメリカでは養子を受け入れる夫婦が多く、自分の子供のように育て、幸せになっている家庭がたくさんあります。
しかし、日本はいまだに抵抗があるようで、やっぱり自分の遺伝子を持つ子供が欲しいようです。
最近、アメリカでは元気な女性が代理母を使って子供を産むケースが増えています。
「仕事をしたいので」「体の線を崩したくない」「その方が楽」と、自分で妊娠せずに、他の女性にお金を払って、妊娠、出産してもらうのです。
私から見れば、そんな軽い理由で妊娠を人任せにしていいのかなと疑問を持ちます。
もちろん自分の体が妊娠に耐えられないのなら、人に助けてもらうのは一つの選択肢です。
でも元気な体で、妊娠するのが問題ないなら、妊娠を経験するのがベストでしょう。
9カ月の妊娠は親子の絆を強くすると思います。
ほかの女性の体を使って、妊娠出産という女性特有の体験を経験できないのは残念です。
代理の女性は体を痛めることになるので、お金を払ったとしても、モラル的に問題が残るような気もします。
しかし、最近は芸能人が多くこの方法を使って、子供を産んでいます、いえ、作っています。
そもそも代理母は妊娠ができない親のためのものです。
産めるのに、苦労したくないというのは、ちょっと不自然に感じてしまいます。
男性の精子に問題がある不妊の場合は、精子バンクから精子を選んで、子供を作る選択肢があります。健康な男性に報酬を払って精子を寄付してもらう仕組みです。
アメリカでは、精子を寄付(ドネーション)してもらうために、有名大学の学生に誘いのメールを送るそうです。
実は、私の息子たちにもそういう誘いのメールが来たそうです。
息子たちは寄付していませんが、彼らの友達の中には好奇心から、精子を寄付した子もいるそうです。1回のドネーションで100から150ドルといいます。
それぞれの精子に、身長、体重、目や髪の毛の色、人種、収入、学歴などドナーのプロフィールが細かく記されており、不妊治療を受ける夫婦は精子を選ぶことができます。
母親になる人は理想とする男の精子を選ぶのです。
ゲイのカップルが代理母や精子バンクを使って、親になることもあり、医療技術の進歩で親になるプロセスが変わってきています。
家庭の形も多様化していって、子供をとりまく環境はますます複雑になっていきます。
これまでは、子どもという自分の分身が欲しいのは自然な欲望だと思われてきました。
しかし、今の大きな流れは少子化です。
子供を欲しくない若者が多いのです。
それにはいろんな理由が挙げられています。
「子供はお金がかかる」というのが一つの大きな問題です。
経済学者の友達は、「少子化は経済問題、お金の問題が解決できれば、若者は子供を産みます」と言います。
経済的な問題は簡単に解決できないのが現状です。
子ども一人が大学卒業するまで2000万円から3000万円かかるという計算と聞かされると、自信をなくしてしまう若者がいてもおかしくありません。
でも、私は単純に経済的な問題ではないと思います。
どんな形で親になるにせよ、親になるというのは不安定な状況に自分を置くことです。
つまり、親になるのは自分を危うい状況に追い込む選択です。
想定外のことが多く、コントロールできない物事がたくさん出てきます。
気をつけないといけない事も山積みで、無力感を感じることも多くあります。
「整理整頓ができていたのに、子供が産まれたらできなくなった」
「時間通りに物事が運べない」
「子供が言うことを聞いてくれない」
「疲れてしまう日が多くて」
「自分の時間が持てない」
「仕事に集中できない」
「何もかも思うようにいかない!」
新米ママパパは急に自信をなくしたり、イライラするようになったりするのです。
たくさん予備知識を学ぶと、多少は安心できます。それでも想定外の事が起きます。
「子供が急に熱を出す!」
「子供が転んで怪我した!」
「子供がお腹を壊した!」
毎日のように、何かが起こるのです。
その度に親としての対応を学んでいきます。
病院に行った時の手続きから始まって、子供にうまく薬飲ませるこつ、熱を下げるための方法。
毎日が勉強です。
子どもが欲しくないのは、自分を危うい状況に追い込みたくないのが大きな原因の一つだと思います。
コントロールを失うのが怖いし、不安になります。
自分はそれに耐えられるのか?自分のような人間が親になって良いのか?と考えて、簡単な道を選んでしまうように思います。
昔は子供を育てて、その子が成人になったら、自分の面倒を見てくれるというメリットがありました。
最近は必ずしも子供は親の面倒を見てくれるわけではありません。要介護になった時に子供に頼れるのかどうかはわからないのです。
子供を持つのには負担が大きく、一方で見返りが少ない時代になりました。
子育てに自由を奪われるよりは、自分達で楽しい人生を送る方が良いと選択する人が増えても、おかしくありません。
これはとても残念な考えです。
なぜなら、子育ては大変だけど、楽しいし、報われますから。
「子育ては親育て」と言われるように、子育てをしながら、親もたくさん勉強して、大人になっていくのです。
子育ては保障や見返りを目的とするのではなく、より深く愛を経験するためにあります。自己犠牲を喜んでする自分に出会うために、我を忘れるほどに感動するために、頼られる満足感を味わうために、永遠に一人ぼっちにならないためなのです。
理想論を語ると「子育ては甘くない」「報われるところか、損ばかりです」と言う親もいます。
だから、確かに子育ては想定外です。
でも、だから面白いのです。素直に子供の可愛さに癒される気持ちで取り組めば、想定外が楽しめるようになると思います。
そんな話を若い友達の夫婦に話したら、少し安心したようです。
早ければ、今年の末に赤ちゃんが産まれてきます。
期待と不安の間に揺れる二人は微笑ましくって、愛おしいです。
赤ちゃんが無事に産まれますように願っています。
そして、てんやわんやする二人の姿を見たいです。