「ただの運動靴」になぜ人は熱狂するのか サブカルから主流に躍り出たスニーカー人気
文化社会学が専門で、「スニーカー文化論」などの著書がある、アメリカのニューヨーク州立ファッション工科大学の川村由仁夜さんにオンラインで話を聞きました。(中川竜児)
――2012年出版の『スニーカー文化論』の帯には、「ただの運動靴がなぜこれほど人々を魅了するのか」と書かれています。10年たって、市場はさらに過熱しています。現状をどう見ていますか?
あの本を書き始めた2010年に、インスタグラムがリリースされました。現在のユーザー数は約10億人いるそうです。スニーカーは、視覚で格好良いか悪いかを判断する、ビジュアル要素が重要なファッションアイテムです。
それまでスニーカーマニアたちが利用していたツールは、テキストベースのツイッターやブログでしたが、インスタでスニーカー画像を瞬時に共有することが可能になり、スニーカー人気に火がつき、大衆化に拍車がかかりました。
従来、スニーカー収集はニューヨーク・ブロンクス地区に住む黒人のコミュニティーから始まったサブカルチャーです。バスケットボール、ヒップホップ、グラフィティアートなど、マイノリティーが多く住む地域のストリート文化と強く結びついていましたが、私がリサーチを始めたころには、すでに、白人の男子中高校生の間でスニーカーブームが始まっており、「人種をこえて、かなり広がっている」と感じていました。
その後、スニーカーとは無縁だった欧米の高級ブランドやデザイナーがスニーカーを手がけるようになり、ファッションとしてのスニーカー人気が、さらにアジア、アフリカにも広がりました。
――「オールバーズ」など、環境配慮型のスニーカーも登場しています。
ニューヨークでも、学生たちは環境問題に対する意識は非常に高いので、オールバーズに加え、環境配慮型のスニーカーを履いている若者は多いと思います。商品すべての生産プロセスの透明性、従業員の労働環境や賃金などにも関心を示しています。
スニーカーに限らず、中古品のバッグ、靴、古着を身につけることで、仲間から尊敬の目で見られるようです。中には、「新品の服や靴を買うことに罪悪感がある」と言い切る若者もいます。多方面からのサステイナビリティーを重視しないファッション関連の企業は、今後生き残れないでしょう。
――身につけるスニーカーによって、ライフスタイルや思想を表現しているということでしょうか?
従来、スニーカーはライフスタイルや趣味趣向と直結していました。スニーカーを好んで履く人は、ジーンズとTシャツを着て、野球帽をかぶり、スケートボードやバスケットボールが好きで、聴く音楽はヒップホップやロック。スニーカー好きで、クラシック音楽を聴くという人には会ったことがありません。環境配慮型のスニーカーを選んで履く人も、その人個人の哲学や思想を反映しています。
――いま、日本で店頭に並ぶスニーカーは、とてもカラフルになっています。女性向けのカラーリングやデザインが増えた影響だろうと思います。「スニーカー文化論」では、男性中心のカルチャーとして描いていますが、いまはどうでしょう。
確かに女性向けスニーカーのデザインや柄が増えていますね。パーティー用のピンヒールで有名なジミーチュウやマノロ・ブラニクも、スニーカーを発売するようになりました。それまで彼らの顧客ターゲットはスニーカーとは無縁の女性でしたから、服装のカジュアル化が進むと同時に、スニーカー市場は確実に広がっています。
ただ、熱狂的なスニーカーファン、マニアというのは、いまも男性が主流です。服、化粧品、雑誌などファッション関連の商品や業種は、ほとんどが女性向けにもかかわらず、スニーカーの種類は圧倒的に男性の方が多いです。
例えば人気バスケットボール選手マイケル・ジョーダンが履いているものと同じスニーカーを履くことで、「自分も間接的に一緒に戦っている」「彼のように強くなれる」という闘争心、競争心、勝利感をかきたてられる要素があります。
アメリカには女子のプロバスケットリーグがあり、昨年、ブレアナ・スチュアート選手とプーマがスニーカーを共同開発すると発表されました。多くの女性スニーカーファンを獲得し、マーケットを広げる狙いですね。将来、市場として伸びる可能性と余地はあるかもしれません。
――StockXやアプリの登場で、転売目的の人も増えています。
心からスニーカーを愛する人たちの中には、投資目的でスニーカーをネットで売買することに嫌悪感を持ち、強く反発する人も少なくないですね。筋金入りのマニアからすれば、自分たちがひそかに楽しんでいたゲームが、メーカーの思惑で商業化されたという思いはあるでしょう。
最近では、格好いいスニーカーを収集する競争だけにとどまらず、進化したテクノロジーや新しく出現する様々なツールをどのように駆使できるか否かの、ネット上での競争もあります。スニーカー自体にも革新的な技術を導入され、爆発的な人気になりました。
例えば、靴底に圧縮空気を注入したナイキのエアマックスや、足の形にフィットしやすいニット素材を使った軽量のフライニットなどがあります。メーカーは、そうした新しいテクノロジーを導入することで、スニーカーファンの「最新のテクノロジーに追いつきたい」という気持ちをかき立てています。
――テクノロジーは、バーチャルスニーカーにも見られます。
デジタルデータのオリジナリティーを証明するNFT(非代替性トークン)の仕組みなども理解し、買ったり投資したりしているのは、テクノロジーが分かると自負している男の子たちではないでしょうか。スニーカーサブカルチャーは、「私にはこの価値がわかる」という人がもともと買って盛り上がっていた集団です。
いまは、そこにデジタル要素とスピード感も加わり、好奇心がそそられ、購買意欲が高まり、利益も得られるような構造になっています。
今後も次々と新しいツールが出現し、どんどん市場も広がっていくでしょう。年々進化し複雑化するデジタルワールドに追いつくことが、スニーカーマニアにとっても、一種のステータスです。
――アスリートやミュージシャンとコラボして限定品として販売し、大量には出さないというメーカー側の戦略をどう見ていますか?
巧みな戦略ですね。スニーカーファンが何を求めているのか、どのデザインが頻繁にオークションサイトに出品されるのかなど、メーカーは綿密にリサーチしています。意図的に生産数をおさえれば、そのデザインの購買価値が上がります。マニアは、簡単に入手できない物が欲しいのです。
そして、限定版などをやっと手に入れた時、「スニーカーハンティングに勝った」という達成感を得ることができます。ゲームやスポーツに勝利するのと同じ感覚です。限定版を手に入れるためにお金以外にも、時間をかけ、人脈を駆使し、労力を惜しまない努力が要求されます。
――ストリートと強く結びついたサブカルチャーが、メインストリームに躍り出たことで、魅力はどうなっていくのでしょうか?
サブカルチャーが商業化されメインストリームになると、魅力が半減される、または失われる、と感じる当事者たちがいます。若者から生まれるサブカルチャーやカウンターカルチャーは、限られた資金の中で、既存の価値観や常識を覆すような、創造力のレベルが高いものを作り上げる底力があります。
環境に制限があればあるほど、クリエーティビティーは磨かれます。何か足りない物があっても、試行錯誤しながらその代用品を考える。商業化される以前のスニーカーマニアたちも、新しい一足を買うお金がないから、古くなったスニーカーに絵を描いたり、ヒモの色を変えたり、ヒモの新しい結び方を考えたりなど、ささいな部分で自分の個性を表現し、人と違うことをやりたいという反骨精神がありました。
1970年代のイギリスのパンク集団も同じで、貧しい若者らが、それまでに存在しなかったファッションや音楽を生み出しました。メインストリームに吸収され、盗用されると、本来のサブカルチャーのアンダーグラウンド的な要素は消えてしまいますが、その中でさらに区別化し、ニッチ化して、自分たち特有の何かをつくりあげていくのかもしれません。人間の創造力に限界はありません。
――ファッションアイテムとして見たとき、スニーカーの特徴は何でしょう。「ファッションというのは高価なものであるべきだ。なぜなら富を象徴するものだから」という歴史があるようですが、外れていっているのでしょうか?
19世紀のファッション理論は、スニーカーを含む現在のファッションには当てはまらなくなりました。「貴族階級から生まれる服装がファッション」という考え方の中には、「着にくい、動きづらいものがファッション」という概念が含まれていました。
そのような機能性のない服を着用し歩きにくい靴を履ける人は、労働者ではなく、召使を雇用している超富裕層の一員だという意味です。当時の考え方からすれば、履きやすく動きやすいスニーカーは貧しい労働者階級の象徴で、お金持ちは日常では絶対に履きませんでした。
人の服装やファッションは文化や社会背景を反映し、社会の価値観の移り変わりと共に、ファッションの定義や意味も変化していきます。スニーカーはその顕著な例です。
――いま起きている現象を、どう考えれば良いでしょうか?
社会のさまざまな分野で「境界線」が失われつつあり、それがファッションにもあらわれています。日常生活を劇場にたとえると、日常という舞台には表と裏があります。舞台上に立っている時は観客の前にいる役者のように、どう振る舞うか、何をどのように発言するか、何を身につけるかを意識して、自分という社会性のある人間を形成します。
一方、舞台をおりて裏の空間、つまりプライベートの領域に入ると、他者や観客の存在を忘れて、素の自分に戻ります。その表と裏の環境は、服装にも関連があります。表と裏が明確に分かれていた時代は、服装も分かれていました。
1990年代からカジュアル化が始まり、この境目があいまいになり始めました。アメリカでは「カジュアルフライデー」が注目され、大切な商談や会議がない金曜日は、職場でもカジュアルな格好で出勤することを許可する企業が増えました。その傾向が更に強くなり、最近では、アスレチックとレジャーの造語からなる「アスレジャー」人気が続いています。
ヨガパンツなどに用いられる伸縮性、機能性のある素材でつくられた服で出勤し、仕事の後にジムに直行し、そのままでワークアウトができるスタイル。他にも、かつては考えられなかったような、タキシードにスニーカー、ロングドレスにスニーカーなども不自然でなくなりつつあります。
他にも、ファストファッションと高級ブランドのデザイナーのコラボ、女性服と男性服の区別をしないブランドなども、あらゆる境界線という概念を見直しています。バレンシアガのスニーカー「トリプルS」が、「ダサくてファッショナブル」と話題になりましたが、既存の美意識の定義も崩壊しつつあるのではないでしょうか。
――いろいろなアイテムがあるなかで、なぜスニーカーなんだろう、という疑問もあります。ジーンズも大衆化していて、高額で売り買いされる例があります。それでもスニーカーほど広い市場ではないようです。ストリートファッションのアイテムの中では、高価になりやすいというのはあるかと思いますが。
ストリートウェアのファンの中には、Tシャツコレクター、デニムコレクターもいます。野球帽にもマニアがいます。ただ、大衆化という点では、スニーカーほどではないかもしれません。スニーカーはもともと色、素材、柄の多様性があり、やはりスポーツに直結しているからでしょう。
スニーカーは、スポーツ分野では普遍性のあるアイテムです。そして、若者にとっては、高額でも頑張れば手に入る価格帯。大人になって安定した職業について、一定の収入を得るようになると、スニーカーから卒業して、興味の対象がより高価な車、家、時計などに移っていきます。
■かわむら・ゆにや ニューヨーク州立ファッション工科大学教授。ミラノ工科大学大学院招聘(しょうへい)教授。FIT美術館クチュール審議会委員。専門は文化社会学(ファッション、衣服)。著書に『スニーカー文化論』(2012)、『Sneakers: Fashion, Gender, and Subculture』(2016)など。