――なぜVRに関心を持ったのですか?
私が最初にVR端末をつけたのは、2014年だった。そのとき、VRの没入感に圧倒され、新たなコミュニケーションの媒体になると思った。
その年の5月にシリコンバレーのVR会議に行って、そこで様々な人をインタビューしてポッドキャストを始めた。
――VRの可能性を、どのようにみていますか?
脳神経学の考え方で、我々は脳で考えているだけではなく、私たちの体全体で考えているというものがある。私たちの体だけではなく、私たちを取り巻く環境や文脈に影響されている。VRは、こうした文脈的な要素をとらえることを助けるメディアといえる。
今まで言葉にできなかったような人間の経験を、立体的にとらえることができる、新しい特徴といえる。
もちろん、写真や映画もそうした要素をとらえることができるが、VRは、それ以上にその場所に埋め込まれた感覚を与える。以前行ったことのある場所を覚えているように、私たちの記憶は空間的なものでもある。
――特に関心がある分野はありますか?
教育はVRで最も可能性のある分野の一つで、興味深い。
とくに医療分野は可能性があるだろう。医師がVRゴーグルと触覚センサー(ハプティック)をつけて、手術や解剖などの訓練を受けている。体の記憶は、その状況の文脈に埋め込まれる。
たとえば、私はVR空間上の病室で、顔が紫になって死にかけた赤ちゃんとその母親に対面したことがある。母親は私に向かって「この子を助けて」と怒鳴ってきた。このときの私の感情はまさにパニック状態だった。
訓練では、あなたはその感情と身体状況で判断をしなければならない。VRが強力なところは、その場の体験に埋め込まれるという面だ。
――VRがリアルの世界に置き換わる日は来るのでしょうか?
私たちはよくリアルかバーチャルかという質問をされるが、私はそれは違うと押し返している。
リアルかバーチャルかという分け方ではなく、むしろ物理的かバーチャルかということだと思う。もちろん、触覚、におい、味、実際に他人に触れるということは、仮想空間で再現するのが難しい。
それでも、仮想空間のアバター(分身)を通じて、私たちはその環境に埋め込まれたような感覚を持つことができる。仮想空間は、現実世界と同じぐらいリアルで有意義な体験ができるメディアだ。
それは、人間の経験のあらゆる領域でいえる。家族や友人とのだんらん、仕事の会合、交際相手とのデート、悲しみに直面した時など、こうした経験は物理的な現実と同じぐらいリアルに感じられる。
――VRの課題は何ですか?
最大の脅威は、プライバシーの問題だろう。この技術は、私たちの体から出される膨大な私的なデータを集めることになる。このデータがどこに行き、どう使われるかを考えると、最も脅威に感じる。
現行の生体識別情報に関する法律は、身元に焦点を当てている。だが、我々の身元はすでに企業などに知られている。私たちが何を見ているのか、どんなことに関心を持っているのか、どんな感情を抱いているのか、どんな心理的な反応をしているのか、どんな精神状態にあるのか。これらのことに比べれば、身元はたいした懸念ではない。
人工知能(AI)の進化が性能を高める脳のコンピューターインターフェースをつかえば、あなたの精神状態や、行動や態度の意図まで読むことができるようになる可能性がある。
――実際にそういう動きはあるのですか?
フェイスブック(FB)がすでに開発を進めている。EMG(Electromyogram)と呼ばれる筋電図検査で、あなたの手首の信号を読み込んでいる。EMGセンサーを手首につけると、個別の運動神経細胞を識別できる。つまり、あなたが指を動かしたと考えただけで、あなたが指を動かそうとしている意図を検知することができる。あなたのわずかな体の動き、顔のけいれん、肌の反応など、こうしたデータを合わせれば、あなたの気持ちを読むこともできるようになる可能性がある。
そういうなかで、脳神経学者らが「ニューロライツ(神経の権利)」という考え方を提唱している。これは人権の一つとして考えるだけでなく、同時にそれぞれの国で法律に落とし込む必要がある。
たとえば、これらの技術が、私たちがその瞬間、瞬間に考えていることをどこまで推定できるようにするのかという、精神状態のプライバシー権というものがある。文脈も含めてどこまで我々の心理状態を追跡できるようにするのか、私たちの精神状態のプロファイルもつくれるようにするか、などだ。特に行動の主体性の権利は重要になる。
ほかにも、コンピューターのアルゴリズム(計算方法)のバイアス(偏り)、技術への平等なアクセスなども課題になるが、これはもう少し幅広いデジタル権利の問題となる。
VRに限れば、神経の自由についての問題が大きい。FBのアプローチは十分強力なものとはいえず、問題を真剣にとらえていない。現状では、企業がこうしたデータをどこまで使えるかの規制がなく、監視技術から消費者を守る法律がない。
――規制はどのような手法が望ましいのでしょうか?
これらの新しい没入感のある技術を注視して、データの利用について制限する必要がある。問題なのは、米国ではいかなる政治的な課題を解決するのも難しい状況で、近いうちに規制ができると考えるのは難しい。欧州連合(EU)はAI規制の法律を検討しており、EUなどで取り組みが進むかもしれない。VRは新しい技術で、大きな課題にはなっていない。目線の追跡技術などを目にするようになれば、様々な議論が起きてくると思う。
メタは次のVR端末「クエスト・プロ」を検討しているとされ、ソーシャルVR体験で驚くような機能が提供できる、目線の追跡技術が搭載されるとの観測がある。ソーシャルコミュニケーションで有益な体験ができる一方、利用者がどんな関心を持っているのか、性別、性的な嗜好(しこう)などの追跡にも活用される可能性もある。
――将来的に、人間はVR空間で生きていくことができるのでしょうか?
VR空間では、食べ物と住まいは手に入らない。長時間VRで過ごし、とても有益な人間関係を開拓している人はすでにいる。現状でいえば、仮想空間でお金のやりとりができる場所はまだあまりなく、多くの取引はVRの外で起きている。だが、ゆくゆくは仮想通貨でやりとりをして、モノやサービスをVR空間でやりとりできるようになるだろう。
Kent Bye 2014年から仮想現実(VR)をテーマにしたポッドキャスト「Voices of VR」を主宰。アーティスト、IT技術者、哲学者ら1600人以上にインタビューを重ね、ポッドキャストの番組は1千回を超えた。