テラフォーミングをSFの世界から科学に「格上げ」したといわれるのが、NASAエイムズ研究センターの科学者、クリストファー・マッケイ博士(67)だ。マッケイさんは「現在の科学技術で、テラフォーミングの可能性がある唯一の天体は火星だ」と断言する。金星のように熱すぎず、自転周期が24時間半程度と地球とほとんど変わらず、水があり、薄いが大気もあるからだという。
マッケイさんは火星のテラフォーミングについて、「第1段階はマイナス60度の気温を地球並みに引き上げることで、これは100年あれば可能だ」と説明する。温度が上がれば、地中にある氷が溶けて水になり、植物が育てば二酸化炭素を吸収して酸素ができる。しかし、人間がボンベなしに呼吸ができるほどの酸素が自然に循環するようになるには、「10万年以上かかる」と見積もる。
ただ、テラフォーミングに着手すれば火星の環境は劇的に変わる。「生命がいるかもしれない火星の環境を地球のように変えることは、その生命を絶滅の危機にさらすことになる。倫理的に許されるのか真剣に考えるべきだ」と指摘する。
マッケイさんが火星研究にのめり込むのは「火星に生命がいるかもしれない、いたかもしれない」と考えるからだ。「もしそうなら、地球とは異なる『生命の起源』が存在することを意味する。それを確かめたい」。だからこそ、マッケイさんは「人間が火星に行く意味、住む意味を考える必要がある」と主張する。
「火星を科学的に研究するならロボットを送り込む方が効率的だ。野心以外に人間が行く理由があるとすれば、生命を探すことだ」として、南極を例にあげる。「火星のように寒く基地の中で生活する南極は各国が協力して研究する対象ではあるが、誰も定住できるように変えようとはしない」
人が火星に住むうえでマッケイさんが抱くもう一つの懸念は重力だ。地球の3分の1の重力の火星で、もし子どもが生まれ育つとすれば、「地球にいる種とは異なる人間になる可能性があり、差別や争いを引き起こすおそれがある」。
火星で人類は子孫を残せるのか。
人工重力施設の設計に取り組む鹿島の大野琢也さん(54)は「医学の研究で、無重力下では受精卵の卵割や成長に支障があることがわかってきた。この問題は低重力下でも同じと考えられる」という。
大野さんはアニメ「機動戦士ガンダム」のスペースコロニーを見て中学生のときに重力に興味をもった。大野さんが考える人工重力施設は、回転で発生する遠心力を重力に置きかえようというものだ。
ほぼ無重力の宇宙空間では、遠心力が地球と同じ重力(1G)になるように円筒型を回転させる。重力が地球の3分の1の火星や6分の1の月では、下方向にはたらく重力を利用し、横方向にはたらく遠心力との「合成力」が1Gになるようにする。そのため、回転する施設をワイングラスのような形にして壁の角度を天体ごとに調整することで、合成力が1Gになるよう設計した。
水の入ったバケツを勢いよく回すと水がこぼれないように、人工重力施設の壁面には水もはりつくので海も再現できる。閉鎖空間として空気成分や気圧を調整すれば、その中は地球と同じように暮らせる環境になる。
京都大教授でSIC有人宇宙学研究センター長の山敷庸亮さん(55)は「生態系に依存している地球の人間が、火星に移住するときに何を持っていくべきか、真剣に考えなければならない」と指摘する。持っていくべき自然を「コアバイオーム」、生命維持に必要な技術を「コアテクノロジー」と位置づけ、研究する山敷さんは、その一つとして人工重力施設に注目する。「人工の海を伴う人工重力施設の構想は世界にも例がなく、宇宙移住の基幹技術として実現したい」
大野さんも人が火星や月で暮らすようになれば、地球の重力に耐えられない体となり、地球の人類と火星・月に住む人類とで分断が進み、紛争につながるおそれさえあると考える。そのため、「地球のアイデンティティーとしての1Gを人工重力でどこでも感じられるようにすることで、健康や子どもの成育への悪影響を防ぎ、いつでも地球と行き来できる体を保つべきだ」と話す。