「神のような人生」。韓国のZ世代で流行している言葉がある。「神」は、日本のネット上で「神対応」などと使われるようなニュアンスに似ている。完璧な、前向きな、といった意味合いだ。
「朝起きて水を1杯飲む」「1日1回は友達をほめる」といった、小さいけれどやりやすいルーチンを目標に設け、達成することで、暮らしに変化を加えたり、満足感を得たりしながら生きる、ということらしい。
大学院で社会学を学ぶキム・セリさん(24=仮名)も、そんなささやかな実践ができるアプリ「チャレンジャーズ」を愛用している。
このアプリでは、利用者が毎日の目標を「ミッション」として設定し、1万~20万ウォン(約960~1万9000円)の範囲で参加費を入金する。2週間など自分が決めた期間で、達成率が100%なら参加金の全額と賞金がもらえる。85%以上なら参加費は全額戻ってくるが、それ未満だと達成率に応じて参加費が取り上げられる。この回収分が他の参加者の賞金に充てられる。
彼女の最初のミッションは「10日間、朝6時に起きる」。参加費5万ウォン(約4800円)をかけた。その時間の前後、アプリ内で起動されるカメラで水道の蛇口から出る水を撮影すると、AI(人工知能)がミッションがクリアされたと判断し、認証する。「(賞金として)1179ウォン(約110円)を受け取りました。健康な習慣をつけられるし、クリアすると満足感があります」
このアプリ、サービス開始から約3年たった今年1月時点で取引額が2068億ウォン(約198億円)を超え、利用者は約405万人となった。運営会社の代表は韓国メディアに「若者は明日のために今日を犠牲にすることはない。今日一日の満足を大事だとみなす世代だ」と語っている。
韓国の若者が置かれた環境はとても厳しい。15~29歳の失業率は9%(2020年)と高止まりしている。民間シンクタンク・韓国経済研究院が昨夏に行った大学3、4年生と卒業生を対象にした調査によると、65.3%が「事実上、求職を断念した状態」と答えた。財閥系の大企業への就職を目指し、英語力や資格などの「スペック(仕様、性能)」づくりに迫られ、求職さえできていない。格差も広がる。16年の上位10%の1人当たり年平均所得は下位10%の68.6倍。20年には69.8倍に拡大した。
これらが「ヘル(地獄)朝鮮」と呼ばれる背景だ。そんななかで若者が「神のような人生」という小さな満足に引きつけられるのは、なぜなのだろう。
「まず『自分』が基本にありますから。進学も就職も競争でストレスだらけ。私は高校時代、夜10時まで学校の補習が義務だった。上の世代のように望めば就職できるのではなく、4年や5年の就職浪人も当たり前。不動産価格の高騰でマンションも買えない。自分のことしか余裕がないのも分かりますよね?」
こう話すのは、教育関係の仕事をする男性イ・ミンジェさん(25=仮名)だ。彼は、Z世代の特徴を「自分のペースでやりたいことをしている時、外からの変数でスケジュールや環境などが乱されるのがとても嫌なのです」と説明した。
成均館大学で社会学を教えるグ・ジョンウさん(48)は「神のように小さなことまで全てをコントロールしないといけない、といった強迫観念でもある」という。そして、またもやあの単語が出てきた。「競争」だ。
「低成長で格差が広がる時代になり、競争を強いられるZ世代は、生き残ろうといつも努力している。日常のルーチンさえ競争の対象になってしまった。Z世代の目に映る『神のような人生』は、競争社会が行き着いた先のようです」
韓国では、「Z世代」と一つ上の世代の「ミレニアル世代」を合わせて「MZ世代」も呼ばれる。大統領選では、直前まで投票先を決めていないといわれたこの世代に各候補者が秋波を送り、若者への支援金創設や安価な住宅供給の増加といった「玉虫色」の未来を、MZ世代に提示した。
ただ、イさんは冷めていた。「だって結局、増税としてその負担は私たちの世代に回ってくるのでしょう?そんなポピュリズム的な政策でMZ世代がなびくと思ったら、馬鹿にしている」と怒りがにじんだ。
キムさんは「報道では、MZ世代には中道層が多いというけど、周囲は保守か革新かはっきり分かれている。理念では、何も解決しないと思うのだけれど……」。
過酷な「生存競争」は、ドラマ「イカゲーム」で象徴的に描かれた。それが世界中でヒットしているのは、ドラマが映し出す社会のひずみが、韓国だけの問題ではないからなのかもしれない。
カフェで、イさんへの取材が終わったときのこと。私が「さあ出ましょうか」と促した。すると、彼は「私は残りのコーヒーを飲みながら、ここでテレビ会議に出ます」。自分のペースをしっかりと自分のペースをしっかりとコントロールしていた。