『ひかり探して』は、女性刑事ヒョンス(キム・ヘス)が、ある島で起きた事件を追う。女子高校生セジン(ノ・ジョンイ)が遺書を残して姿を消した事件だ。目撃証言などからは絶壁から身を投げた可能性が高いが、遺体は見つかっていない。
事件のカギを握る人物として浮上するのが、島の人たちから「スンチョンからきた人」と呼ばれる女性だ。ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』の家政婦役で世界的に注目を浴びたイ・ジョンウンが演じた。
字幕は「スンチョンからきた人」となっていたが、直訳は「順天(スンチョン)宅」で、順天は全羅南道の地方都市だ。順天出身ということなのか、パク・チワン監督に確認すると、「この島の出身だけど、順天に嫁に行って別れて戻って来たという設定。もし子どもがいたら『〇〇(子どもの名前)のお母さん』と呼ぶと思うが、島の人たちにとってこの女性の最も大事な情報が順天に嫁に行って戻って来たことなんだと思う」と説明した。「〇〇のお母さん」という呼び方は今もよく使われるが、「〇〇(地名)宅」というのは最近は都市部ではあまり聞かない。
1960年代の映画の字幕監修をしていて、「〇〇宅」の日本語訳に悩んだことがある。カン・デジン監督の『荷馬車』(1961)に出てくる「水原(スウォン)宅」だ。主人公の馬夫チュンサム(キム・スンホ)が好意を寄せる女性で、馬主宅の家政婦だが、皆に「水原宅」と呼ばれ、映画の中で名前が出てこない。水原は家政婦の出身地だが、字幕でいちいち「水原からきた人」と入れるのも違和感があり、担当者と話し合ったうえで「スウォンさん」と訳すことにした。正確ではないが、発音を聞く観客にとっては自然で、スウォンという名前も韓国にある名前だからだ。
名前で呼べばいいものを、なぜわざわざ「地名+宅」という呼び方をするのか、周りにも聞いてみた。
「確かに、自分の母も近所の人から『地名+宅』と呼ばれていた」という40代男性もいた。この場合の地名は母の出身地だ。男性は「よく考えたら、祖父の名前はフルネームで覚えているけど、祖母は本貫と姓しか知らない」と言う。この男性以外も、何人かが同様のことを答えた。本貫というのは、同一父系氏族集団の発祥地を指す。同じ金(キム)氏でも、金海(キムヘ)金氏、安東(アンドン)金氏と、本貫が分かれている。それを聞いてピンと来た。女性は名前よりも、先祖のルーツを含め、どこから来たかの方が重要なのだ、と。少なくともかつてはそうだった。
女性の社会進出が増え、男女平等が叫ばれるようになって、女性もフルネームで呼ばれるようになってきた。ドラマ『ライフ・オン・マーズ』(2018)では、1988年、周りから「ミス・ユン」と呼ばれていた女性巡査ユン・ナヨン(コ・アソン)が、主人公の男性刑事ハン・テジュ(チョン・ギョンホ)に「ユン・ナヨン巡査」とフルネームで呼ばれ、うれしそうな表情を見せる。テジュは2018年に事故に遭い、目覚めると1988年だったという設定だ。2018年から来たテジュにとっては、女性もフルネームで呼ぶのが当たり前なのだ。ナヨンは男性ばかりの警察の中で雑用係で、意見を言っても無視されがちだったが、テジュだけはナヨンの意見に耳を傾ける。ナヨンは生き生きと能力を発揮し始める。
時代背景が近い映画『殺人の追憶』(2003)を彷彿させるシーンも多かった。暴力的な取り調べや証拠のねつ造だ。『ライフ・オン・マーズ』では2018年から来たテジュは科学的な捜査にこだわり、ナヨンもそれを見習う。そういえば、『殺人の追憶』でも女性巡査クォン・ギオク(コ・ソヒ)が「ミス・クォン」と呼ばれていた。「ギオク」と呼び捨てにもされていたが、尊重されているというよりは、子どものように軽視されている感じだった。ギオクは連続殺人の犯行日にラジオで同じ曲が流れているという重要なポイントを指摘したが、地元の刑事、パク・トゥマン(ソン・ガンホ)は一笑に付して取り合わない。女性の能力の軽視は社会的損失だったと改めて思った。
子どもが生まれると女性が周りから「〇〇のお母さん」と呼ばれることは今も多いが、自分の名前で呼ばれたいという女性も確実に増えている。ベストセラーとなったチョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』のタイトルに名前が入ったこと、チョ・ナムジュの次作短編小説集『彼女の名前は』もタイトルに「名前」という言葉が入ったことは偶然ではない。韓国では男女平等の一つの象徴が、女性の名前を尊重することなのだ。