朝鮮中央通信は昨年12月15日、最高人民会議が2月6日に開かれ、海外同胞権益擁護法が討議されると伝えた。今月8日付の労働新聞によれば、同法は「異国の同胞を祖国の一つの家族として温かく見守る金正恩朝鮮労働党総書記の崇高な意図」に基づいて制定された。政治、経済などの分野で海外同胞への優遇措置の保障を義務づけているという。
関係者によれば、法案の存在が明らかになった昨年12月以降、在日朝鮮人家庭に対し、生活上の問題や権利などを巡る要望の聞き取り作業は行われていない。在日朝鮮人の間で「一体、どんな法律を作るつもりなのか」「自分たちのどんな権利を守ってくれるというのか」などと話題になっているという。
北朝鮮の海外公民は日本のほか、中国やロシア、米国、欧州などに住み、総数は200万人以上とされる。現在、日本政府が認めた特別永住者は約30万人で、うち北朝鮮系の人々は5万人程度とみられている。
ただ、スターリンや毛沢東との関係から、中国やロシアに住む朝鮮族の人々の一部が北朝鮮の公民として法的に認められたのに対し、在日朝鮮人の人々は不安定な立場に置かれた。北朝鮮の旅券は持てるが、北朝鮮に帰国しない限り、公民証は発給されない。在日朝鮮人にとっての北朝鮮旅券は海外渡航の便宜を図る手段に過ぎず、身分証明書としての機能は持っていないという。
北朝鮮関係筋によれば、最高人民会議の代議員選挙の時期に訪朝していた在日朝鮮人が投票を勧められたことがあった。政治イベントとして選挙への参加に過ぎず、日本に住む在日朝鮮人らに投票券が送られてくることはないという。在日朝鮮人らは公民証を持たないため、訪朝しても自由な行動は許されない。
過去、在日朝鮮人が不安定な立場に置かれた理由のひとつとして、関係者の1人は「北朝鮮にとって、日本は対南工作の拠点だった。非合法な仕事をさせるうえで都合が良かったのではないか」とも語る。
日本政府が2005年4月に拉致被害者に認定した田中実さん(失踪当時、28)は、1978年6月頃に拉致された。関係者の証言などから、田中さんは、北朝鮮からの指示を受けた在日朝鮮人にだまされて海外に連れ出された後、北朝鮮に送り込まれたことがわかった。
田中さんを北朝鮮に送り込む工作に関係した在日朝鮮人(故人)は20年ほど前、政府関係者に対し、田中さんが働いていた兵庫県の飲食店主が北朝鮮工作員で、ウィーンに連れて行き、そこで北朝鮮側の担当者に引き渡した後にモスクワ経由で北朝鮮に連れて行ったと告白した。田中さんは生存していることが、北朝鮮からの水面下での日本への通報で明らかになっている。
また、朝鮮労働党作戦部要員として1980年代、西日本に不法上陸を繰り返した脱北者は、日本に侵入した工作員を送迎する際の案内・護衛役を務めた。船体を漁船に偽装した工作船で日本の海岸に近づき、2人で上陸すると、長期潜入していた工作員を連れ帰った。お互いの素性は明かさないのがルールだったが、わずかに残るなまりを手がかりに、「在日朝鮮人とみられる人物もいた」と証言した。
金正日総書記は2002年の日朝首脳会談で拉致を認めたが、「特殊機関の一部の盲動主義、英雄主義による行動」と明かしただけだった。日本では在日朝鮮人社会に対する嫌がらせ行為などの事件が相次いだが、北朝鮮は拉致の詳細は明らかにせず、在日社会を守る動きは見せなかった。
一方、日本で成功した商工人を中心に、愛国心から、祖国に投資する人々も相次いだ。平壌市の金万有病院、平安南道の順川ビナロン工場などの建設に資金を提供した。「祖国相手に商売するのは美徳に反する」と考え、事業で利益が出ても帰国した在日朝鮮人や合弁事業の北朝鮮側のパートナーに譲り渡す人が多かったという。
一時期、新潟と北朝鮮・元山の間を毎月2往復していた貨客船「万景峰92号」は、1992年に80歳になった金日成主席の誕生日を祝う在日朝鮮人からの贈り物だった。当時、朝鮮総連が募金を呼びかけ、50億から60億円程度の資金を集めたとされる。
ただ、日本のバブル経済の崩壊、北朝鮮による日本人拉致への反発、日本や国際社会による北朝鮮制裁により、投資額は激減したという。北朝鮮の経済不振から、生産が止まった日朝合弁事業も続出した。在日朝鮮人らが資金や機械類などを提供した順川ビナロン工場は解体されてしまった。
少なくない負債を抱えた商工人も多数出た。北朝鮮がこうした人々への補償や賠償に乗り出すこともなかった。
一方、日朝両政府の了解のもと、1959~84年に在日朝鮮人を中心に計約9万3千人が北朝鮮に渡った。北朝鮮の公民にはなったが、巨額の献金などをした一部を除き、地方の炭鉱や農村で赤貧の生活を送った人が続出した。北朝鮮で過酷な生活を強いられたとして、帰国事業に参加した60~80代の脱北者5人が北朝鮮政府に計5億円の賠償を求めて訴訟を起こしており、判決が東京地裁で3月23日に予定されている。
原告の一人、斉藤博子さんは1961年、在日朝鮮人の夫、1歳の娘とともに帰還事業で北朝鮮に渡った。斉藤さんは北朝鮮に渡る前に「日本人妻は3年すれば、日本に帰ってこられる」と言われていた。
しかし、里帰りを果たせぬまま、94年には夫が結核で死亡。その直後から食料配給がなくなり、困り果てて闇商売に手を染めた。工場で手に入れた銅線を腰や足に巻き、服の下に隠して列車で運んでは、中国人商人に売りさばいた。斉藤さんは両江道恵山から2001年に脱北した。
北朝鮮は現時点まで、この訴訟について何の反応も示していない。
北朝鮮の最高指導者である、金正恩氏は在日朝鮮人出身の高英姫氏を母親に持つ。在日社会の一部には「正恩氏が在日に関心を持ってくれるのではないか」と期待する声も出たが、正恩氏がこれまで、母親の出自について公に明らかにしたことはない。権力継承直後には、母親を紹介する記録映画を限られた幹部に見せたが、「得るものがない」と反発された末に、映画はそのまま封印された。
正恩氏が在日に「特別の配慮」を示したことがないわけではない。朝鮮中央通信は2019年9月、正恩氏が訪朝した在日の教育活動家代表団と個別に記念写真を撮ったと伝えた。同通信は「異国の困難な条件の下でも、民族教育事業の強化、発展のために献身している」と伝え、在日の人々をねぎらった。
ところが、この報道で困惑する在日朝鮮人が相次いだという。在日社会では当時、高校の授業料無償化から朝鮮学校を外した国の処分などを巡り、朝鮮学校で過度な政治教育だと受け止められないよう努力すべきだという声が出ていた。関係者の間では、朝鮮中央通信の報道を契機に、日本で「朝鮮学校が政治教育をしている」という批判が高まらないか心配する声が出たという。
関係者の1人は当時、「例えば、運動会で、革命を連想させるようなかけ声はやめましょうという話があった。私たちが子どもを朝鮮学校に通わせるのは、民族のアイデンティティーを大事にして欲しいという思いからで、北朝鮮や正恩氏への忠誠心からではない」と語っていた。北朝鮮や正恩氏が、こうした在日社会の心情を正確に理解していたとは考えにくい。
北朝鮮関係筋の1人は、今回採択された海外同胞権益擁護法について「普通の国を目指す正恩氏の意向が反映しているのではないか。過去と異なり、希望すれば公民権を得られる権利を保障する内容なのかもしれない」と語る。同時に「そうなれば、韓国籍を選ぶ人がもっと増えるだろう」とも話す。「歴史的にみて、北朝鮮が在日社会にどれだけの配慮をしてくれたのかという疑問を持つ人も多い。北朝鮮の公民になることを歓迎する在日の人々が今、何人いるだろうか」