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映画『声もなく』誘拐犯に感情移入してしまう不思議体験 演出の狙いは?監督に聞いた

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『声もなく』の主人公テイン(ユ・アイン、左)とチョヒ(ムン・スンア)
『声もなく』の主人公テイン(ユ・アイン、左)とチョヒ(ムン・スンア)© 2020 ACEMAKER MOVIEWORKS & LEWIS PICTURES & BROEDMACHINE & BROCCOLI PICTURES. All Rights Reserved.

『声もなく』というタイトルについて、ホン監督は「弱者の声は社会でなかなか聞いてもらえない」という視点で出発した作品だったという。弱者というのは、『声もなく』では主に2人を指している。主人公のテイン(ユ・アイン)と少女チョヒ(ムン・スンア)だ。誘拐事件の構図で見れば、テインが加害者でチョヒが被害者だが、テインは意図してチョヒを誘拐したわけではなかった。巻き込まれた形でチョヒを自宅で預かることになる。

テインは耳は聞こえるがしゃべれない。テインにはチャンボク(ユ・ジェミョン)という仕事のパートナーがいて、おしゃべりなチャンボクのおかげで仕事ができているようなものだ。

2人がやっているのは表の仕事は卵売りで、裏の仕事は死体処理だ。死体処理は犯罪組織の下請けで、客観的には犯罪だが、テインもチャンボクも淡々と仕事をこなす。テインは幼い妹と2人暮らしで、仕事の善悪を判断して選択する余裕はない。死体処理の延長線上で、身代金目的の誘拐に手を貸すことになる。

死体処理の仕事を共にするテインとチャンボク(ユ・ジェミョン)
死体処理の仕事を共にするテインとチャンボク(ユ・ジェミョン)© 2020 ACEMAKER MOVIEWORKS & LEWIS PICTURES & BROEDMACHINE & BROCCOLI PICTURES. All Rights Reserved.

ホン監督はユ・アインのキャスティングについて「テインは成人ではあるけども未熟な面がある。まさかスター俳優のユ・アインさんが出てくれるとは思わなかったが、ユ・アインさんは少年の面影があり、テインにぴったりだった」と言う。映画が始まってまず目を引くのがユ・アインのずんぐりした体形とむくんだ顔だった。15キロ増量して出演したという。

ホン監督は当初、テインはやせた体形を想定していたが、ユ・アインの方から「手当たり次第に食べて、肉体労働でそこそこ筋肉もついているような体形にするのはどうか」と提案してきたという。ホン監督はその提案に説得力があると考え、増量をお願いした。

「アイディアを出してくれただけでなく、本当に実行するのがすごい。現場でも常に何かを口に入れながら太る努力をしてくれた」と振り返る。ずんぐり体形のテインは、幼いながら鋭く判断するチョヒとの対比で、鈍さが際立った。

チョヒ役のムン・スンアの演技にも驚かされた。チョヒは誘拐されても冷静で、状況に応じて自分に有利なように表情を作れる女の子だ。

どういう演出だったのかをホン監督に尋ねると「オーディションでムン・スンアさんに出会えたことが大きい」と言う。ムン・スンアは2009年生まれだが、2019年に全州国際映画祭で俳優賞を受賞している。「私よりもベテラン」とホン監督。オーディションでは前もって渡した台本以外にその場で新たなセリフを言ってもらうようにすると、子役俳優の多くが動揺する中で、ムン・スンアは落ち着いて役になりきって演じたという。まさにチョヒだ。

チャンボク役のユ・ジェミョンは日本ではドラマ『梨泰院クラス』のチャンガ会長役で知られるが、長く演劇界で活躍してきた俳優で、映画やドラマでも多彩な役を演じている。

ホン監督は「チャンボクは悪いことをしても憎めないキャラクター。近所のおじさんのような親しみやすさがありながら、ある時は殺伐とした雰囲気も見せる、そんな俳優を思い浮かべるとユ・ジェミョンさんだった」と言う。チャンボクは敬虔なクリスチャンで、礼儀正しいが、やっていることは犯罪という矛盾の塊のような人物だが、監督の言うように憎めない。

ホン・ウィジョン監督
ホン・ウィジョン監督

意外な展開については「狙ったわけではなかった」と言う。「伝えたいテーマをどう表現するか考えた結果だった」。監督の話を聞けば、「らしさ」という枠を取っ払った結果だったように思う。男らしさ、子どもらしさ、誘拐事件らしさ、被害者らしさ……。固定観念をことごとく覆されるが、それでいて説得力はある。

例えばチョヒは誘拐事件の被害者だが、親が身代金をすぐに払わないことに対し、家では自分より弟が大事にされていることをこぼす。誘拐事件と言えば、親が必死でお金をかき集めて娘を取り戻そうとする姿を思い浮かべるが、どうもそうではないらしい。

家族のように親しくなるチョヒとチャンボク、テイン(左から)
家族のように親しくなるチョヒとチャンボク、テイン(左から) © 2020 ACEMAKER MOVIEWORKS & LEWIS PICTURES & BROEDMACHINE & BROCCOLI PICTURES. All Rights Reserved.

ホン監督は1982年生まれだ。日本でもベストセラーになったチョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』にも、ジヨンよりも弟が家で大事にされている様子が出てくる。ホン監督は「男女格差の問題は韓国だけでなく、ロンドンにいた頃も同じ問題があった。世界的な問題だと思う。チョヒの親が悪いわけでなくシステムの問題。社会が男らしさ、女らしさを求めている」と指摘した。ホン監督はロンドンで映画を学んだ経験からか、一歩離れた所から韓国社会を眺めているようだ。

チョヒが賢く自分に有利に振る舞う姿に観客は「被害者らしくない」と感じるかもしれないが、考えてみれば、被害者が被害者らしくなければいけない理由はない。ホン監督は「自分の反省も込めて、『人や状況を判断する際に偏った見方をしていないか?』ということを考えてほしくて作ったのだと思う」と話した。

好きな日本の監督を問うと「宮崎駿監督」と答えた。「起承転結のはっきりした伝統的な方式は使わず、ファンタジーや象徴によって観客を引き込む魔力がある」。一方、今回の『声もなく』は、ルーマニアの何人かの監督の影響が大きいと言う。ルーマニアの監督たちの作品の特徴として「悲しいけどおかしい場面が多い」点を挙げた。一言で言えば「アイロニー」だ。『声もなく』の型破りなキャラクターも展開も、アイロニーそのものだった。

開かれた結末で観客は自然とテインの声なき声に耳を傾ける。他人に対する見方がちょっと変わるかもしれない。そんな映画だった。