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「リアルライフの中のRPG」劇場国家北朝鮮を撮った映画監督

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
映画『ザ・レッド・チャペル』から、北朝鮮の少女たちと並ぶヤコブ(中央右)とシモン ©2009 Zentropa RamBUk All rights reserved 2009

北朝鮮市民は全員がエキストラだ。主人公は最高指導者。全員が幻想を守るため、必死に演技を繰り返す――。27日からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開されるドキュメンタリー映画「ザ・レッド・チャペル」のなかで、デンマーク出身のマッツ・ブリュガー監督(49)がつぶやいた言葉だ。市民は最高指導者が描かれたバッジを胸につけ、街のあちこちにある指導者の銅像に頭を下げる。「ショーウィンドー都市」と呼ばれる首都、平壌を訪れた外国人には、ひたすら北朝鮮の素晴らしさを訴える。間もなく、金正恩朝鮮労働党総書記が権力を継承して10年。いつまでこの虚構が続くのだろうか。(牧野愛博)

ブリュガー監督は2006年、映画撮影のために平壌を訪れた。脳性マヒが残る韓国系デンマーク人のコメディアン、ヤコブとシモンが一緒だった。名目はデンマークと北朝鮮の文化交流。ブリュガー監督は「北朝鮮の人々のメンタリティーを描きたかった」と語る。「北朝鮮の人々をリスペクトしながら、与えられた状況を描くことで、リアルライフの中でロールプレイゲームをしている北朝鮮を掘り下げた」

ヤコブとシモンは、男装の趣味がある女性と言葉が不自由な店主という設定でコメディーを演じようとする。演技を視察した北朝鮮の舞台演出家たちは「演技を改善してほしい」と注文をつけ、北朝鮮が望む内容に全面的に変えてしまった。

そればかりか、朝鮮戦争が開戦した日である6月25日に平壌の金日成広場で行われた反米集会にブリュガー監督とヤコブを連れ出し、一緒に行進させた。ブリュガー監督は、嫌がるヤコブが受けた心理的なストレスを心配する一方、「フィルムメーカーとして、すごいシーンだ、これは映画のクライマックスに使えるのではないかと思った」と語る。「あり得ない状況だ」と思いながら行進したという。

だがその後、朝鮮中央テレビが、2人が行進している様子を放映した。北朝鮮は監督たちを政治利用したのかもしれない。ブリュガー監督は、自分たちが映った画面をみて「身の毛がよだった」と語る。「北朝鮮当局は自分たちを認識している。突然、ホテルにやって来るのではないかという恐怖にも襲われた」

映画『ザ・レッド・チャペル』 ©2009 Zentropa RamBUk All rights reserved 2009

北朝鮮はブリュガー監督らが入国してから5年後、金正恩体制になった。監督は昨年、北朝鮮の武器密売の実態を暴いたドキュメンタリー映画『THE MOLE(ザ・モール)』も製作した。監督は「この間、北朝鮮は何も変わっていない。良い例が金正恩自身だ。ヘアスタイルも服も、祖父の金日成そっくりだ。正しい系譜だと示したいのだろう」と語る。

「表面的には(建設途中で長期間放置されて幽霊ホテルと言われた)柳京ホテルが完成に近づくなど、小さな変化はある。しかし、核となる政権は変わらない。プロパガンダも戦略も全く変わっていない」

■北朝鮮と障害者

マッツ・ブリュガー監督© 2020 Piraya Film I AS & Wingman Media ApS

ヤコブたちは訪朝期間中、北朝鮮の身体障害者と面会することはなかった。ヤコブは通訳に「次回はぜひ、北朝鮮の身体障害者の方と会いたい」と話す。複数の脱北者の証言によれば、北朝鮮は従来、身体障害者の存在は、外国に対するショーウィンドー都市である平壌にふさわしくないと判断。障害者を地方に追放してきた。

金正恩体制になり、国際社会が北朝鮮の人権問題に焦点を当て始めたため、2012年のロンドン・パラリンピックに初めて競泳の男子選手1人を派遣。障害者問題に理解があることをアピールするようになった。朝鮮中央通信によれば、北朝鮮外務省の人権担当大使が17年12月、北京での国際会議で、国連制裁決議が「障害者の権利保護活動にまで影響を及ぼしている」と訴えたこともある。

だが、ブリュガー監督の目には「金正恩時代になり、北朝鮮は時間をより過去に巻き戻し、退化している」ように映る。「(正恩氏の父親の)金正日はソフトなグローバル化を試み、韓国と協力して竹のカーテン(中国)越しにドラマなども受け入れた。だが、金正恩はこうした措置を帳消しにし、祖父の当時の独裁国家に戻そうとしている」

■案内人と心は通じ合うか

映画『ザ・レッド・チャペル』から。南北軍事境界線のある板門店で、韓国側を背景にしたヤコブ(左)とシモン ©2009 Zentropa RamBUk All rights reserved 2009

一方、映画では、通訳兼案内人の女性、ミセス・パクとブリュガー監督やシモンらとの交流も描かれている。シモンたちが演じるコメディーの台本を巡る北朝鮮側との対立で、パクは北朝鮮側の主張を忠実に伝える。同時に、「朝鮮語で数の数え方を教えて欲しい」というシモンの頼みにも応じてくれる。

パクはある日、監督らを金日成主席の銅像がある万寿台の丘に連れて行く。この場所を訪れる時の気持ちをたずねられ、パクは言葉に詰まって涙を流し、「朝鮮人として大きな喪失感を覚える」とだけ話す。パクと一緒にいた万寿台の丘についての説明役とみられるチマ・チョゴリ姿の女性も一緒に涙を流した。

パクは金日成バッジについて「これは売り物ではない。つけることができたら名誉だと思うべきだ。いつも心臓の近くにつけるのだ」と説明する。

1996年と2003年に朝鮮新報の平壌特派員を務めるなど、北朝鮮での長い取材経験がある、「週刊金曜日」編集部の文聖姫編集長によれば、北朝鮮の案内人は海外同胞迎接局や観光総局、朝鮮対外文化連絡協会(対文協)などに所属している。労働党や外務省などが指導しているとみられ、北朝鮮の政治宣伝をサポートするほか、案内をする対象者を監視する役割も担っている。

文さんは「案内人も任務を怠れば、不利益を受けます。お互いに人間なので、付き合いを重ねれば信頼関係を築くこともできます」と語る。特派員時代に親しくなった案内人は、文さんの行動を記録した日誌を毎日、当局に提出する義務があることを教えてくれた。ある日、雑談していると、案内人が突然、テレビのボリュームを上げた。文さんは「盗聴されているから、危ない話はするな、と暗黙的に教えてくれたのだと思います」と語る。

ヤコブは北朝鮮に強い拒否反応を示す。平壌にある凱旋門を眺めながら、「醜悪な建物だ」とつぶやく。ビデオカメラでの撮影をやめるまで拍手を続けた少女たちの姿を見て、「異常で薄気味悪い」と話す。バスで横に座った案内人のパクがヤコブの肩に手をかけると、「こうしていると、本当に息の詰まる思いがする。この女性のせいだ」と言い放つ。

脳性マヒが残るヤコブが話す英語を、パクが聞き取れたのかどうかはわからないが、パクが怒ったり悲しんだりすることはなかった。ヤコブとパクの間に信頼関係が芽生えたようには見えない。

それでも、ヤコブは平壌での滞在を終えるとき、パクに手紙を渡す。「パクさん、あなたは良い方です。労働も重要ですが、幸せをみつけてください。あなたを忘れません」とつづった。パクは喜び、「家で手紙を保管する。あなたのことを寝ても覚めても思い出す」と約束した。
パクが、ヤコブを信頼して心の底から約束したのかどうかはわからない。北朝鮮は2009年、デンマークで公開された映画に激怒し、ブリュガー監督を入国禁止処分にした。パクも責任を問われたのかどうか、その後の消息はわかっていない。