■二種類の携帯電話に見える壁
何度も訪朝している研究者は「北朝鮮で視界に入る人物はみな、演技をしていると考えた」と語る。あるとき、市民生活の視察に出かけた。研究者はアパートの前で「部屋は自分が選ぶ」と求めると、案内人は笑顔で許可した。訪れた部屋の冷蔵庫は肉や野菜がぎっしり詰まっていた。研究者が果物を手に取り、どうやって食べるのか聞いてみると、その家に住む女性はうまく答えられなかった。
ミラーさんも平壌での2年間について「偽りと真実との間の線がどこにあるのか考えながら、ほとんどの時間を過ごした。表に出ない場所や人々の生活が非常に多いことに気づいていた。人間として、私たちは皆、お互いにつながり、真の絆を感じたいと思っているが、北朝鮮では目に見えない壁が隔てていた」と語る。
基本的に平壌市内の往来は自由だったが、地下鉄やバス、トラム、タクシーなどの公共交通機関は、外国人だけでの利用が禁じられていた。利用したい場合は、北朝鮮の通訳を兼ねた案内人の同行が必要だった。平壌市民の自宅を訪れることも許可が必要だった。「奪われてみて初めて、こんな単純な自由がどれだけ大切なことだったかがわかった」
ミラーさんは「他人とカジュアルな関係を築くのが難しかった」と語る。外国人の携帯電話は、北朝鮮の人々が使う携帯とは、別々のネットワークになっている。外国人用と北朝鮮市民用の携帯は、相互に連絡は取り合えない仕組みだった。「必要なことの手配に時間がかかった。語学レッスンを手配したい時、携帯を2台持っている通訳者に電話する必要があった。通訳はまず、外国人のネットワークに接続された自分の携帯電話で私と会話する。その後、通訳は北朝鮮のネットワークに接続された携帯で教師を呼び出す。通訳はその後、再び携帯を取り換えて、私に電話をかけ直した。面倒でも、他に方法がなかった」
ミラーさんが運良く、北朝鮮の人と知り合っても、再び会うことは難しかった。「再会を提案したかったが、自分の携帯番号を教えても意味がない。信じられないほどイライラした。自分が信頼されていない場所に住んでいると、人との関係を築けない。経験したことのない方法で制限されている場所で暮らすのは非常に難しかった。しばしば、ひどく落ち込んだ」
■平壌の外交官ライフとは
外交官の家族ではあったが、生活は厳しかった。時々訪れる中朝国境の街、中国・丹東が数少ない息抜きの場所だった。「丹東は平壌の多くの外国人にとっての生命線だった。より信頼性の高い保健医療サービス、より良い品質の食品や必需品の購入、信頼性の高い車の修理などを行うことができる最も近い場所だった。私も含め、多くの外国人は、『普通』を感じるために丹東に行き、短い休息の間に用を済ませた」
北朝鮮は2020年1月、新型コロナウイルスの防疫措置として中朝国境を閉鎖した。その後、英独など欧州を中心に大使館を閉鎖する国が相次いだ。平壌に約30あった在外公館の数は3分の1程度にまで減っている。
ミラーさんによれば、生活のための資金不足も一つの原因だという。「平壌にも、数は少ないが、ATMがあった。でも、多くの外国人は利用しなかった。北朝鮮でATMを使うことで、個人の資産情報が漏れることを警戒していた。ほとんどの外国人は国外でお金を引き出して持ち帰っていた。それが、現在の国境閉鎖ではできなくなったことは明らかだ」
目に見えない壁に阻まれ、孤立感にさいなまれたミラーさんは「北朝鮮で外国人として暮らす私の日々の生活、臨場感あふれる感性を伴った経験」を写真に収めることにした。「プロパガンダのレンズから離れて、人間の目でこの場所を見る。政権ではなく、人々について語ろう」と考えたのが、この本を出版した理由だという。
ミラーさんは無理やり、北朝鮮市民にカメラを向けたわけではない。「実際、私の被写体の多くは、兵士や(政治的に)敏感なものを含まないことが多かった。北朝鮮の人々とのつながりや瞬間を台無しにすると思ったからだ。私は、とても多くの観光客が北朝鮮の人々の顔にカメラを押しつけて驚かせているのを見て、いら立ちを覚えた。私は北朝鮮の人々にポジティブな経験をしてほしいと思ったし、彼らを尊重したかった」と語る。「北朝鮮の市民を危険にさらしたくなかった。逆に、北朝鮮の人々との付き合い方に本当に苦労した」
ミラーさんは1人で平壌市内を歩いている時、常に他人の視線を感じてはいた。「私は英国では、名も知られずに動き回ることができるが、北朝鮮では外国人として常に注目を浴びることになる。北朝鮮の人々は、買い物や散歩をしている私を撮影したり、写真を撮ったりしていた。公園でも、私は決して1人になることはなかった」
ミラーさんが視線を投げかけると、公園を整備している庭師がこちらを見ていた。公園で休憩しているように見えた人が、樹木の裏に隠れたようにも見えた。「しばしば奇妙にも感じた。私が知っている人ではないが、彼らは私のことを知っていたのかもしれない」。それでも、北朝鮮当局がミラーさんの写真撮影に嫌がらせをしたり、写真の検閲を要求したりすることはなかった。
■写真のディテールから見える生活のリアル
それでも、ミラーさんの撮影した写真は、北朝鮮が抱える様々な問題を私たちに提起してくれる。
ミラーさんは2019年8月、平壌近郊、南浦の海岸で海水浴を楽しむ人々の姿を撮影した。そこには、数多くのテントが並び、北朝鮮の家族や友人のグループが食べたり、カラオケを歌ったり、一緒に踊ったり、泳いだりしていた。誰もが明るいゴムの浮輪を持って海に入ったため、海が虹色のように見えた。
ミラーさんが撮影していると、泳いでいる人々の向こう側で行われていた海軍の軍事演習の音が聞こえてきた。「とても大きな砲声が聞こえ、地面も揺れた」。そのとき、ビーチの人々が、まるで花火大会を見物しているような、大きな歓声を上げたという。
写真をみた北朝鮮研究者の1人は「足もとを見て欲しい。北朝鮮にはビーチサンダルがない。海水浴は普遍的な娯楽ではないからだ。おそらく平壌の人々でも半数は海を見たことがない人だろう」と語る。2018年まで駐北朝鮮大使を務めたドイツの元外交官、トマス・シェーファー氏も在任中、生まれてから数十年間、一度も平壌を離れたことがないという人に出会ったことがあるという。
ミラーさんが撮影した、「典型的な北朝鮮のアパート」の写真。平壌から車で30分ほど、南浦に向かう途中の青年英雄高速道路のそばにあった。「写真でわかるように、北朝鮮のほとんどの住宅は今も、水道や電気などの基本的な設備を欠いている。冬の間、熱が逃げるのを防ぐため、建物の窓を覆うプラスチックを見ることは珍しくない」
ミラーさんは「私はいつも、基本的な設備のない家に住み、沸騰する夏と残忍な冬を過ごす人々の生活はどのようなものだろうかと疑問に思ってた」と語る。平壌に住んでいた脱北者は「夏の間は、水浴びをして体を拭いた。冬は大変だった。水も燃料も不足している。ビニールを周囲に張った風呂場に熱いお湯をまき、蒸気で温度が保たれているうちに、急いで体を拭いた」と話す。
ミラーさんの別の写真には、こうした古ぼけたアパートの前にたたずむ老いた男女が写っていた。研究者は「このアパートは、観光客が行き来する表通りにはない。最も普遍的で、半地下も備えたタイプだ」と説明する。ミラーさんは「この写真は私のお気に入りショットの一つ。私はいつも通りで北朝鮮の人々とすれ違うたびに、彼らの人生はどのようなものか気になっていた。私はこの年老いた世代を見たとき、彼らが人生のなかでどれだけのものを見て経験したのだろうかと考えた」と語る。ミラーさんが、この男女に声をかけることはなかった。
ただ、北朝鮮の人々はミラーさんを警戒する一方、外国の情報に関心を持っている様子を見せた。
典型が2017年から19年にかけて起きた米朝危機と2度の米朝首脳会談だった。平壌の日常は、通勤風景も市場での買い物も普段と変わりなく、ミラーさん自身、「台風の目の中にいるような錯覚」を覚えたという。その一方で、「北朝鮮の人々は非常に好奇心旺盛で、世界で何が起こっているのか本当に興味を持っていた」。平壌市民らは17年当時、北朝鮮が世界のニュースの中心にいることに非常に興味を持っていたという。
2017年夏、北朝鮮が「弾道ミサイルによるグアムへの包囲射撃の検討」を公表し、トランプ米大統領(当時)は「炎と怒り」を口にした。ミラーさんは「平壌の雰囲気が明確に変わり、緊張を感じた」と語る。北朝鮮の人々とミラーさんの会話の中心は、核戦争の可能性になった。「彼らの質問や心配は本物だと感じた」。ミラーさんは、トランプ氏の衝動的な決定で戦争が起きるわけではないと一生懸命説明した。「彼らも米上院通過のための投票など民主的なプロセスが必要だと理解した。トランプ大統領が大きな赤いボタン(核発射ボタン)に指を置いたわけではないが、北朝鮮の人々は現実のように感じていた」
北朝鮮の国営メディアは、18年のシンガポールでの米朝首脳会談や、金正恩朝鮮労働党総書記の訪中などを録画放送で報じた。北朝鮮の人々は、リアルタイムで事態を把握していたミラーさんたち外国人に、「今、何が起きているのか」という質問を繰り返したという。
トランプ氏と正恩氏は18年6月の米朝首脳会談で握手し、抱擁した。平壌では「私たちはひとつ」というスローガンが頻繁に使用されたという。「私の北朝鮮の友人たちは、どれほど気持ちが軽くなったかという話を何度もしていた」。北朝鮮の国営メディアは当時、米国や韓国を勇ましく非難する市民たちの集会や行進の様子を何度も流したが、人々の本当の気持ちは別のところにあった。
労働新聞は9月29日、初めて極超音速ミサイルの試射を行ったと発表し、「目的の全ての技術的指標の設計上の要求を満たした」と主張した。北朝鮮は最近、様々な種類のミサイルを発射し、意義を強調しているが、ニュースに接した北朝鮮の市民が何を考えているのかは、わからない。
北朝鮮の人々が、ミラーさんの写真撮影に対して予想もしない反応を示すこともあった。
ミラーさんは、平壌市を走っていた軍用トラックの荷台に鈴なりになった若い兵士たちにレンズを向けた。撮影した直後、兵士たちは手を振り、笑い、1人はミラーさんに投げキスをした。ミラーさんがキスを投げ返すと、兵士たちは笑って歓声を上げた。ミラーさんは、北朝鮮の至る所で兵士を見た。検問所、建物の建設作業、著名な場所の警備などだ。写真のように、都市や地方の間を頻繁に移送されている兵士の姿も数多く目撃したという。
「人々は普通、北朝鮮の兵士を個人ではなく、単に政権の代表と見ていると思う。私も以前はそう思っていた。北朝鮮に住んだ後、私の見方は完全に変わった。この写真は、見る人の誤解を解いてくれるだろう」と語った。