■「野原の片隅」を意味する言葉
最初に向かったのはグラスゴー近郊にある「オーヘントッシャン蒸溜所」だ。
1823年設立で歴史は古く、現在はサントリーホールディングスの系列で伝統の製法を守っているという。グラスゴー中心部から車で30分弱。のどかな住宅街の先に、その蒸留所はあった。
蒸留所長のフランシス・コンロンさんが案内してくれた。日本ではオーヘントッシャンの呼び名だが、コンロンは「オークントッシャン」と発音していた。
スコッチメーカーに独特な名前が多いのは、この地域に広まるゲール語がもとになっているからだ。ちなみに、オーヘントッシャンは「野原の片隅」を意味する言葉から来ているという。
広い敷地内にある白壁の建物が、蒸留施設だった。「ウイスキーづくりに必要なのは、大麦麦芽と水と酵母の三つです」とコンロンさんが展示されていた原料の見本を指さした。
粉砕した大麦麦芽をミネラル分豊かな水と合わせて熱し、麦芽のでんぷんを糖分に変えた麦汁をつくる。麦汁を大きな木樽に移し、酵母を加えると、糖分が分解されてアルコールと炭酸ガスに変わる発酵が始まる。酵母の種類や発酵の仕方が、熟成前のウイスキー原液の風味の特徴を左右するという。どんな酵母を使っているかは企業秘密だ。
■特徴は計3回の蒸留
こうしてできた液体は「もろみ」と呼ばれる。いよいよ蒸留作業だ。オーヘントッシャンは三つの蒸留釜(ポットスチル)を使い、3回蒸留する。熱した液体から抜ける蒸気を集めて冷やすたびに、アルコール分が高く、よりピュアなウイスキー原液へと洗練されていく。アルコール分7%のもろみ液は、1回目の蒸留で20%、2回目で70%、3回目で82・5%へと変わる。
スコッチの蒸留は2度が主流で、3度は少ないようだ。アイリッシュウイスキーの製法に学んだ伝統とされ、高いアルコール度数と飲み口の良いなめらかな原液がつくれる。
「3度の蒸留製法が、コロナ下で意外な活躍をしたんですよ」とコンロンさんが言った。80%以上のアルコール分がつくれるため、感染拡大初期に品不足に陥った消毒薬づくりに生かされたのだという。オーヘントッシャンは自前の消毒薬を、グラスゴー近隣の飲食店などに配布した。もちろんウイスキー原液ではないが、なんだかぜいたくな消毒薬だ。
蒸留釜の横には、原液を抜き出す装置が置かれていた。フラスコのようなガラスの容器に、蒸留釜で熱した後に冷やされた原液が流れ出てくる。その最も状態の良い分だけを選び取り、次の工程に進ませる。より分ける作業は職人による手作業だ。
原液はタルに詰められ、貯蔵庫で長い熟成期間に入る。スコッチと認められるには最低3年だが、実際はもっと長く熟成される。
貯蔵庫に入ると、うっすら光りが指す程度の広い施設に、ずらりと樽が並んでいた。コンロンさんが樽の間を歩きながら、「バーボン樽が多いけど、シェリー酒やボルドーワインの樽もあります。それぞれに風味のつき方が違ういます」と説明してくれた。
■「ウイスキーづくりは職人技」
貯蔵庫の奥の部屋で、24年熟成のシェリー樽から抜き出した貴重なウイスキーを試飲させてもらった。コンロンさんもコップに少量をつぎ、鼻を近づけたり色を見たり。口に含んだ後、「良い状態です。うちの特徴はシトラスや青リンゴのような果実系の香りと、シェリー酒由来の甘い香りの調和。クリスマスケーキと表現する人もいる風味です」と笑顔を見せた。
無粋な質問を一つした。見せてもらった工程のほとんどは、職人たちの人手による。機械化できそうなものもあるが、なぜやらないのか。コンロンさんは一瞬考え、「ふー」っと深く息を吐いた後にこう言った。
「ウイスキーづくりは職人技によるものだからです」と答えた。「長年かけて人を育てる。麦芽の具合や、その日の気温や湿度。機械が発する音や、もろみのにおい。蒸留所内を歩き回りながら、それらを総合的に感じ、判断するのが我々の仕事。いつもと同じようにやっても、ちょっとした環境の違いで風味が変わるかもしれない。修正できるのは、自分たちの風を知っている職人しかいないと信じています」
力強い彼の言葉に、ウイスキーづくりに長く携わってきた自負を感じた。
スコッチウイスキー協会によると、スコッチの産地は、大きく五つに分けられる。
蒸留所が最も多く集まるのは、スペイ川沿いの豊かな渓谷沿いに広がる「スペイサイド」。グレンフィディックやグレンリベット、マッカランなど著名な蒸留所がある。北部の広大な産地「ハイランド」は風味の幅に富む。南部の「ローランド」は柔らかく飲み口の良いウイスキーが多いとされる。オーヘントッシャンはこのローランドに位置する。
西部の半島の先にある「キャンベルタウン」は、日本にウイスキーの生産技術を持ち帰った竹鶴政孝が修行した地だ。ただ、かつて30以上あった蒸留所は3軒まで減った。
そして最後が「アイラ島」。スモーキーな風味で知られ、少数ながら実力派の蒸留所がそろう地だ。
■伝統の「アイラ島」へ
その個性を育む地を見たいと、今度はスコットランド西部のアイラ島へ向かった。
島は人口3千人ほど。プロペラ機が降り立った飛行場周辺には草原が広がり、道の向こうで羊や馬が放牧されていた。遠くに見える丘も草で覆われ、ところどころ岩肌がむき出しになっている。
アイラウイスキーは「煙くさい」と称される独特の風味がある。その秘密は島の土地柄にある。雨が多く潮風にさらされるアイラ島は木々が少ない。一方、湿地帯の植物が、微生物によって十分に分解されず堆積した泥炭「ピート」が豊富にとれる。ウイスキー原料の大麦を乾かす際、木炭の代わりにピートを燃やしたことで、あの風味が生まれた。
アイラ島のブルックラディ蒸留所は海沿いにあった。1881年創業。ピート香の豊かな「ポートシャーロット」などが主力商品だ。ブランド戦略担当のロバート・マッキーチャンさんと蒸留所を歩くと、年季が入った器具が置かれていた。大麦の粉砕器(ミル)も発酵させるタンクも木製。使い込まれたポットスチルは焦げ茶色だ。横に、やはり計器やフラスコのような容器が付いた、純度の高い原液を抜き出す装置があった。
ここでも同じ質問を聞いた。センサーなどを使うことはしないのか。
「職人の鼻と舌と目が頼りです」とマッキーチャンさん。「機械化は絶対にしない。人の経験のたまもので、機械にはできないのです」
■アイラ島は「一つのチーム」
ブルックラディは幾度もオーナーを代えてきた。最後の変革は2001年。ロンドンの商社マン2人が、島の有力地主らと組んで休眠中の蒸留所を買収、復活に乗り出したことだ。再建のため、島の老舗蒸留所ボウモアからベテラン製造責任者も参加。地域に根ざした商品づくりを打ち出し、周辺農家と結びつきを強め、地元の若者を多く採用した。ボトルデザインにこだわるなど新しい試みに前向きで、いまは環境負荷を減らすために製造工程に水素を採り入れようとしている。仏酒造大手の傘下に入り、ベテランも去ったが、哲学はいまも息づく。
長期熟成が必要な業界で、オーナーが移ろうのはブルックラディにかぎらない。島にある九つの蒸留所は日本のサントリーや英ディアジオ、南アフリカ資本などさまざまな経営資本に支えられている。ライバルと考えられがちだが、サントリー傘下のラフロイグの蒸留所長、ジョン・キャンベルさんは「アイラウイスキーをつくる目的を共有する点では、一つのチームのような存在」と話す。「人の関係が濃く、支え合っている。時代を超えて受け継いでいる島の風景や技術のすべてが、アイラウイスキーの味わいを生んでいるのです」
■若い世代も魅了
魅力は世代を超え、世界の人をひきつける。島南部のラガヴーリン蒸留所がコロナ禍で中断していた蔵の見学ツアーを再開した。訪れていたのは4人の若者。米国の学生ジュンビン・リーさん(22)は「お酒の中で一番好き。アイラ島に来るのが夢だった」と感慨深げだ。ルーマニア出身のドリア・コンスタンティスコさん(22)は「米国映画でタフな男が飲む印象があって敬遠していた」と言うが、リーに薦められて飲むように。この日は、自分の年齢を超える24年の樽熟成のウイスキーも口にした。「熟成するにつれて風味がまったく変わる。まだ知らないことがありそうで、おもしろい」