■社長のアイデアに、社内の戸惑い
「両社の強みを持ち寄り、新しいバーボンをつくる」。サントリーの新浪剛史社長(62)は16年初めに、こう切り出した。「社長の発案とはいえ、共同開発なんてできるのか」――。社内は少なからず困惑した。
サントリーの看板商品は世界で評価される「山崎」「白州」など。大麦だけを原料とするシングルモルトウイスキーで、ワインやシェリー酒の保存に使った樽などで仕込む原酒をブレンドしてつくる。
一方、ビーム社は「ジムビーム」「メーカーズマーク」などバーボンづくりの先駆者。バーボンは、トウモロコシを51%以上使い、ライ麦や小麦、大麦も原料に混ぜ、ホワイトオークの新樽だけで仕込む。
ひと言でウイスキーといっても、つくり方がまったく異なるのだ。
計画の先頭に立ったのは、両社のトップ職人の2人だった。サントリー側は福與(ふくよ)伸二氏(60)。日本で主に蒸留酒の開発や製造、販売を手がけるサントリースピリッツのチーフブレンダーで、「山崎」や「白州」の味に責任をもつ一人だ。
ビーム側は創業者一族の出身で製造現場を仕切るフレッド・ノウ氏(64)。ウイスキー業界でも、ほとんど例がない共同開発は、この2人に委ねられた。
■「これはバーボンじゃない」とダメ出し
2人は、長年蓄積したウイスキーづくりの技を競うように、ぶつけ合った。1年ほど経ったころ、福與氏は、日本のブレンド技術をいかして自ら仕込んだバーボンの試作品を用意して、それをノウ氏が味見した。すると、ノウ氏は、「これはバーボンとは言えない」と、ダメ出しともいえる意見を述べた。これに福與氏は「バーボンじゃないとまで言われるとは、正直驚きました」と振り返る。
ノウ氏が強気なのには理由があった。
バーボンといえば、いわば「米国の魂」。200年超の歴史があり、約120の国・地域でビジネス展開するビームにとっては、自社が日本の会社に買収されたことに複雑な思いがあった。とくに製造現場を仕切っているノウには、伝統の継承者としてプライドがあった。
ただ、福與氏にしても、いまや世界ブランドとなった「山崎」などの味に責任を負う一人だ。職人どうしの意地が、ぶつかり合った。
作業は、ビーム社の製造拠点であるケンタッキー州で行われた。「バーボンの本家は米国なので、先方に足を運ぶことは当然だと思いました」と福與氏。職人2人は、現地の蒸留所や地元のバーでグラスを傾けながらウイスキー談義をかさねた。
福與氏は3年間で8回ほど渡米し、ノウ氏とじかに向き合った。初めは相手の力量をうかがうような間合いだったが、お互いを認め合うのに時間はかからなかった。自然に、「シンジ」「フレッド」とファーストネームで呼び合うようになった。
ノウ氏は日本のウイスキーづくりを熱心に勉強し、日本と米国の職人技がとけあうさまを「イノベーション」と表現した。
■ラベルに描かれた2人の横顔
そして19年3月、「Legent(リージェント)」(750ミリリットルで店頭価格は約35ドル)が完成し、米国限定で売り出された。ビームの蒸留所でつくるバーボン原酒に、サントリーが得意なブレンド技術を融合した。ワインやシェリー酒を寝かせた樽でさらに熟成した原酒をブレンドし、日本のウイスキーのような複雑な味わいにした。
福與氏は「スコットランドに計6年いた経験がありますが、フレッドが話す『南部なまり』の英語がほとんど分からなかった。でも不思議なもので、ウイスキーという架け橋さえあれば、意思疎通がうまくいくのが感じられた」。ノウ氏も、「リージェントは、シンジと私の『心の出会い』を真に反映したものだ」と語る。
リージェントのボトルのラベルには、毛筆のような書体で「L」の文字が書かれ、そこに、福與氏とノウ氏の2人の横顔があしらわれている。開発に携わったサントリースピリッツ執行役員(ウイスキー事業部長)、鳥井憲護氏(53)によると「このラベルのアイデアは、ビーム側から提案があった」という。バーボンのトップメーカーが、福與氏に敬意を払った証しだった。
■新浪社長「両社の融合を実感」
開発を発案した新浪社長は、「共同でひとつの商品をつくりあげる作業を通じて、両社が融合できたという実感が持てた」と語る。
日米合作のバーボンを手がけ、福與氏は改めて感じたことがある。
「ウイスキーづくりの基本工程は同じですが、穀物をブレンドする発想は私たちにはなく、ここで味の違いが出てきます。米国はトウモロコシやライ麦、小麦、大麦もある土地だからこそ、穀物の構成をどんな比率にするかという発想が出てくるのです。国ごとのウイスキーづくりを見ていくと、土地や風土、歴史に思いをはせたくなります。それが、ウイスキーではないでしょうか」
このプロジェクトにかかわった2人に思いを聞いた。
サントリーホールディングス・新浪剛史社長
2014年10月にサントリーホールディングス社長に就任しました。この年の5月に、旧ビーム社の買収を完了していましたので、社長就任後、この会社をどう統治するのか、頭を悩ませていました。ビーム社はシカゴ本社が強くて、現場が「下」という風潮がありました。私たちサントリーの場合、お客様と直接接する部署や、商品をつくる現場を大事にする伝統があります。企業文化、組織のあり方が相当違っていて、それを融合していくのは、極めて大変な作業でした。ただ、この二つの会社はお互いにないものを持っているので、本当の意味で融合できたら、「これはすごい力になるぞ」という期待がありました。
融合を進めるため、買収後しばらくは、社長である私が自ら、月に2回、多いときは3回、米国に足を運んで旧ビーム社の当時の最高経営責任者(CEO)と何度も話し合いました。当時のCEOはサントリーに買収されてからも「自分がすべてを経営している」というスタンスをとっていましたから、ぶつかることもありました。「あなたの会社だと考えるのであれば、あなたが会社を買い取ればいい」「いまはサントリー傘下にあるので、言うことは聞いてもらいたい」と、詰め寄ったこともあります。現場の融合が進む一方で、マネジメント同士は激しく意見がぶつかりました。
真の融合を実現するには、どうしたらよいか。私たちはメーカー、「ものづくり」の会社ですから、質の高い商品を一緒につくりあげることが大事だと考えました。それができたとき、初めて企業統合が完了するはずだと思ったのです。そこで、日米合作ウイスキーの開発を、社長の私が自ら発案しました。サントリースピリッツのチーフブレンダーを務める福與伸二氏と、旧ビーム社のマスターディスティラーであるフレッド・ノウ氏という2人の職人が、「リージェント」という商品をつくってくれました。サントリーと旧ビーム社のお互いの強みを合わせたのです。これによって、企業文化が一つになって、同じ方向を向いて仕事ができるようになりました。まさに「融合の象徴」となったのです。
サントリースピリッツ・鳥井憲護執行役員(ウイスキー事業部長)
私はマーケティングの観点から「リージェント」の開発に関わりました。開発の途中から加わったのですが、ウイスキーのメーカーをまたいで製品を合作するということは、過去にあまり例がないので、「大変なプロジェクトに参加することになった」と思いました。
サントリーと旧ビーム社という、もともと別の会社が、それぞれの思想のもとに長年にわたりウイスキーづくりをやってきたわけですから、当然「ものづくり」に対する考え方や製品づくりのプロセスが違っていました。企業文化の違いも感じながら、そこをどのように埋めていくか、試行錯誤を繰り返しながら開発に向けた作業を進めていきました。
リージェントという新しいバーボンづくりに関わって改めて感じたのは、日本のウイスキーは「ブレンド」の文化だということですね。使用する樽を変えてみたり蒸留方法を変えてみたり、いろいろなタイプの原酒をつくって、それらをブレンドするという工程です。それによって「日本らしい」味わいをつくりあげていくのです。原酒を混ぜ合わせることは、普通のことだと認識していたのですが、バーボンにはそういう思想はありません。こうした違いを認識することによって、「ジャパニーズウイスキー」を見つめ直すきっかけにもなりました。
私は1991年入社なのですが、入社して30年、ほとんどウイスキー事業に関わってきました。いまでこそ世界でウイスキー人気が高まっていますが、歴史を振り返ると、ウイスキー需要は1983年をピークにして、2008年まで四半世紀にわたって下降し続けました。「何をやっても売れない」という厳しい時代を知っているだけに、いまでも「明日、売れなくなるのではないか」という危機感といいますか、恐怖心があります。
せっかく、「ジムビーム」「メーカーズマーク」などの世界ブランドを持つ旧ビーム社と一緒になったので、ともにウイスキー業界を盛りあげるように知恵を絞っていきたいです。