■【前の記事を読む】「人種差別」で信頼落ちたアメリカの警察、改革の現場を見た
■夢を諦めることから始まった
厳格な警察署長という堅いイメージに反し、同僚と冗談を言いながら笑顔で登場した署長代行の名はドン・ヘイズ氏。最近、新型コロナの影響で握手が稀になっていたが、ヘイズ署長代行は躊躇なく私の手をしっかりと握り挨拶を交わした。
ワシントンでホワイトハウスや国務省などがある北西部の反対側、北東区の出身。清掃作業員だった厳しい父親と、子供たちを育てるため主婦業に専念する母親の元に生まれた。子供の頃は自分の家庭が貧しいことなど気づきもせず、よくきょうだい9人で日が暮れるまで外で遊んだという。
ヘイズ氏の子供の頃からの夢はパイロットだった。「ジェット機の操縦にいつも憧れていた」というヘイズ氏は、夢を叶えるため空軍に入隊したが、適性試験の結果、コックか空軍警察官かの2択を迫られる。「空軍に入ればパイロットになれると思った自分は甘かったが、たちまち『恋に落ちた』かのように警官という仕事が好きになった」と、当時を振り返る。
■黒人が警官になるということ
とはいえ、人種に基づく敵対関係があらゆるところに存在したため、黒人が真の意味で警察の一員になるということは容易ではなかった。空軍での任務を終え、ヘイズ氏がアレクサンドリア警察に入ったのは今から40年前の1981年。この頃、機会均等を目指しマイノリティーに特別枠を提供する「アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)」の導入により、警察でも一定数の黒人を受け入れる取り組みが行われていた。
周囲からは「人種のおかげで警察に入れたんだろう」と後ろ指を差された。「常に実力を証明しなければならないという思いに駆られた」というヘイズ氏は「全てにベストを尽くした。有色人種は人の倍、頑張って当たり前だからだ」と続けた。
ヘイズ氏には尊敬する先輩がいた。まだ人種隔離政策の名残が続く1965年にアレクサンドリア初の黒人警官となったアルバート・ビバリーさんだ。ビバリーさんは1980年代前半、まだ新人警官だったヘイズ氏にこう語った。「私は(黒人ということで)警察からも黒人コミュニティーからも受け入れられなかった」。米国の警察には奴隷統制やジム・クロウ法(1960年代まで米南部にあった人種差別的な法律)の歴史があるため、警官に対して不信感や抵抗を抱く黒人は多い。
ヘイズ氏は、自分が署長代行の座まで上り詰めることができたのは、ビバリーさんのような先輩のおかげだと説明する。「彼は私のような後輩がこの仕事につき警察と黒人社会の双方から受け入れられるよう、道を切り開いてくれた。容易ではないとわかりつつ、誰かがやらなければならなかったことを成し遂げてくれた」。昨年2月、78歳でこの世を去ったビバリーさんをアレクサンドリア警察は「伝説の先駆者」と称え追悼した。
■失われた信頼
「私と同じ制服を着た警官が人の首を膝で押さえつけ死なせた事件に、個人的にも大きな打撃を受けた」。人への思いやりをモットーに16年間牧師も務めたヘイズ氏は、ジョージ・フロイドさんの事件について振り返る。「このような事件が、国民が持つ警察全体のイメージを塗り替えてしまうことは想像がついた」。
ヘイズ氏は、警察が黒人を不当に扱う一連の事件が及ぼす影響について続けた。「警官が100人いれば、100人が一緒くたにされてしまう。同じ制服をまとっていても、その中には一人一人違う人間がいて、心臓の鼓動も考え方も異なる」。それでもヘイズ氏は、「そのほとんどが、全市民を守り奉仕するという誓いを誠実に守ろうとしているはずだ」と訴えた。
実際、フロイドさんの事件の後に行われた2020年のギャラップ世論調査で「警察を信頼する」と答えた人の割合は、白人で56%、黒人で19%という、過去28年で最低の結果を記録した。ピュー・リサーチ・センターの2019年の調査によれば、黒人の86%が「警察とのやり取りや司法制度において黒人が不当に扱われている」と答えた。「人種に基づき不当に職務質問をされる」と答えた黒人の割合は同様に答えた白人の5倍に及ぶ。
■ある黒人警官の葛藤
今年7月16日、2019年にワシントンで15歳の少年が銃で撃たれて亡くなった現場を訪れた時のことだった。敷地内にある酒屋の店内でコーヒーを飲む黒人男性警官と出会った。警察の内部事情を知りたかった私は「匿名でいいから本音を聞かせてほしい」と話しかけた。こうして私たちの短い友好関係が始まった。
「すぐさま携帯電話を突き出し警官を撮影しようとする市民が大幅に増え、私たちに対する信頼やサポートが低下していく様を体感した。一方で銃撃事件が相次ぎ、残業時間は増えるばかり。警官という仕事は今までになく辛くなっている。信頼やリスペクトを得られないまま毎日駆り出されるこの状態で、自分はあとどれくらいもつのだろう」。ワシントンで犯罪率が高い南東区を担当するその黒人警官は現状を嘆いた。
一方、他の警官が虚偽の報告書を作成したり、過度の暴力を使ったりしても責任を免れる様を何度も目撃したことから、「信頼喪失や予算の減額は正直やむを得ない」ともらす。給料が悪くないという理由で警官になったと話す彼は、警察の過剰な武器使用についても疑問を示した。「一度放った銃弾を元に戻すことはできない。だから私は殺すために撃つことはしたくない」。それから約1ヶ月後、「警察を辞め運送業を始めることを本気で考えている」という連絡を最後に、音信不通となった。
■誤った判断が生む悲劇
私は今年6月、黒人に発砲しなかったことで解雇されたウェストバージニア州の白人警官を取材した。白人警官は銃を持つ黒人に「君を撃ちたくない」と言い、事態の鎮静に努めたが、追って現場に到着したベテラン警官が発砲し黒人男性は命を落とした。男性が持っていた銃には弾が入っていなかった。
この取材で衝撃的だったのは、撃たずに解雇された白人警官が「自分の決断は正しかった」と明言する一方で「もしも自分が応援で駆けつけていたら撃っていたかもしれない」という発言だった。「まさにこれが警官という仕事の複雑さを象徴しているのでは」という私の問いに、ヘイズ氏は「今でも忘れられない似たような事件がすぐさま頭に浮かんだ」と言い、語り出した。
1989年3月23日の夕方、アレクサンドリア市のオールドタウンというエリアで、男性が5人の人質をとり公営住宅に立てこもった。当時広報担当だったヘイズ氏は集まった多くの報道陣に対応するため現場へ向かった。「いつものように事件は無事解決するだろう」と楽観的な気持ちでパトカーを走らせたのを覚えているという。
現場ではヘイズ氏もよく知る同僚、チャールズ・ヒル警部が散弾銃を持った犯人と交渉していた。人質が全員解放された後、ヒル警部が犯人と話しながらなぜか自分の銃器を地面に置いたその時だった。銃声が続けて響き渡った。1人の警官は両足に銃弾を受け負傷。頭と顔を撃たれたヒル警部はヘリコプターで病院に搬送されたが亡くなった。
「ヒル警部は犯人を説得し銃を手放させることができると思った。警官は一人一人異なる判断をする。リスクを負ってでも可能性にかけようとする警官もいる。いくら誠実に向き合っても、脅威の査定を誤れば悲惨な結果を生むこともある」。ヘイズ氏は警官の仕事がいかに複雑かということを力説した。
■「過ちは隠さずに認めなければ」
「警察がやらなければいけないことはたくさんある」。ヘイズ氏はシステミック・レイシズム(制度化された人種差別)について「警官は告白しなければならない」と語る。「警察が常に正しいことをしてきたかと言えば決してそうでないという事実を認め、謝らなければならない。『ジム・クロウ法』は警察が黒人を統制するために作られた。それらの事実を認め謝り、今は違う方向に進んでいるということを人々に理解してもらうよう努めなければならない」。
「私たちはみんな人間だから過ちを犯すことはある。でもその過ちを隠さずに認め、前に進まなければならない。私にできるのは正しいことをやり続けるということ。たとえ最後の1人になったとしても」