この夏に100歳を迎えたエドガール・モランは、『オルレアンのうわさ』『方法』などの著作で知られる哲学者で社会学者。現代フランスの知識人を代表するひとりである。
『Leçons d’un siècle de vie(1世紀にわたる人生の教訓)』は、タイトルから想像されるような堅苦しい著作ではなく、激動の時代を生きた老翁が、自分の人生をまるごと読者の前に放り投げ、「私」と「私たち」の間で煩悶(はんもん)しながら、人間と歴史を理解しようと模索した過程を赤裸々に語るものだ。
1944年8月26日、ナチス・ドイツから解放されたパリのシャンゼリゼ通り。ドゴール将軍を取り囲む歓喜の渦の中に、フランス国旗を掲げたモランの姿もあった。やむにやまれずレジスタンスに身を投じ、共産党員となった闘いの日々。戦後、マルグリット・デュラスやその伴侶ディオニス・マスコロらと共に過ごした希望に満ちた青春の日々。それらは眩しいくらい、生きることへの渇望に溢れ返っていた。
同時にモランは、自らの数々のまちがいを率直に認める。平和主義に偏りナチス・ドイツの野望を予測できなかったこと、旧ソ連の現実を見誤ったこと。共産主義に希望を見て、のちに大きな失望を味わった知識人、庶民は多い。だがモランは「自分のまちがいを後悔しているが、まちがったことは後悔していない」と言い切る。なぜなら、まちがいを犯すことで「歴史の幻想と失敗と虚偽の威力」に気づくことができたからだ。まちがいを認め、変わることを恐れないこと。それがモランの伝える大きな教訓のひとつである。いつの時代も、それほどまでに未来は予想不可能なのだから。
こうした若い時代の経験を土台に、社会学者・哲学者としてのモランは出発する。そして人生(私)と歴史(私たち)を理解したいがため、多岐にわたる分野の知識を交差させ、その複雑性に果敢に踏み込んでいった。今でこそ複数分野を股にかけた研究は当たり前だが、当時はそうしたアプローチは異端視されていた。
知識だけでは人生は無味乾燥であることもモランは強調する。散文的な日常の中に詩を求める心や、美しいもの、なにげないものに心を開く「詩的な感動」こそが、人生に真の喜びを与える。恋愛もしかり。老翁の言葉はどれも明晰、シンプルでいて普遍的だ。
■「言葉の錬金術師」ランボーが起こした言葉の革命
3年前の夏にこの連載で『ホメロスと過ごす夏』を紹介したが、今年の夏は同じシリーズもので『Un été avec Rimbaud(ランボーと過ごす夏)』が出版された。毎夏、著名作家を取り上げる人気ラジオ番組があり、その放送内容が本にまとめられる。3年前と同じく、冒険作家で知られるシルヴァン・テソンが、今回はアルチュール・ランボーに対峙した。研究や評論という類いの書物ではなく、ひとりの作家が捉えた個人的なランボー像が語られる。
言葉の錬金術師と呼ばれる天才詩人アルチュール・ランボー(1854〜1891)は、フランス北部アルデンヌ地方で生まれた。10代から放浪癖があった。放浪と詩作はおそらく密接に結びついていることを、やはり放浪の作家であるテソンはからだで感じている。ランボーの生涯を、テソンは簡潔にこう要約している。
「アルチュールは10歳で書き始めた。16歳の時、(長編韻文詩)『酔いどれ船』を書く。それから3年間、詩作の花火を打ち上げ、その爆発のさまは後世に知られるところだ。(一時生活を共にした)ヴェルレーヌと最後に会ったのが1875年。彼に『イリュミナシオン』の原稿を託すが、出版されたものをランボーが目にすることはなかった。以来、姿を消し、沈黙する」。(カッコ内は筆者)
神の宣託を受けたかのように熱狂的に言葉を紡ぎ出す詩人としてのランボーは、つまり20歳で完了してしまう。人生を知る前にすべてを書いてしまった神童、それがランボーだ。
テソンはランボーの詩の言語が、思想や規範や説明や意味といったものと結びついた言語とはまったくちがうこと、彼にとっての詩作は「はじめに言葉ありき」に近い世界の捉え直し作業であり、フランス語という言語にとって革命的な試みであったことを強調する。ランボーは19世紀の作法を超越して、たとえば、同時代のもうひとりの大作家で詩人のヴィクトル・ユーゴーとは対極に位置する。
後世の研究者たちはランボーの詩を理解しようと四苦八苦するが、理解しようとする姿勢自体にテソンは疑問を投げかける。ランボーの詩は、色彩であり、音であり、リズムであり、むしろ絵画を見るように、ポール・クローデルの言い方を借用すれば「耳で視る」べきものなのではないか。
17歳でパリに出て、当時の文人たちの度肝を抜き、ヴェルレーヌに愛されたランボー。2人の詩人は放浪しながら放蕩に溺れ、愛憎に引き裂かれて「地獄」へ落ちてゆく。しかし、そこから『地獄の季節』の散文詩の数々も生まれた。現世の幸福や快楽を手に入れるため悪魔に魂を売ったファウストのように、ランボーは新しい言語の鍵を手にするために幸福を放棄せねばならなかったのかもしれない、とテソンは言う。
当時の文壇に認められなかったゆえか、科学の進歩に躍る19世紀という時代に居場所が見つけられなかったゆえか、75年以降、神童は詩作をぱたりとやめ、「現実世界」に身を投じ、世界各地を放浪しながら様々な職を転々とする。しかし、そこには日常という索漠とした世界が広がっているだけだった。貿易商としてアフリカで暮らしたのち病に倒れ、詩人であった男は、37歳の若さで世を去った。
ランボーが幸福だったか不幸だったか、そんなことは問題でないほど崇高な作品が、私たちの前にいまも壮大な謎のように立ちはだかっている。ランボーの故郷、アルデンヌ地方を歩くテソンに導かれてたどるランボーの軌跡は、それ自体がひとつの心躍る冒険である。
フランスのベストセラー (エッセー部門)
L'Express誌7月29日号より
1 Leçons d'un siècle de vie
Edgar Morin エドガール・モラン
100歳の社会学者が激動の時代を振り返り、歴史と人生の奥深さを語る。
2 Un été avec Rimbaud
Sylvain Tesson シルヴァン・テソン
詩人ランボーの人と業績を思索する、ラジオで放送されたエッセー集。
3 Vivre avec nos morts
Delphine Horvilleur デルフィーヌ・オルヴィルール
女性ラビの著者がかかわった様々な葬儀の経験から生と死に思いを巡らす。
4 Passé composé
Anne Sinclair アンヌ・サンクレール
1980〜90年代、メディア界のスター的存在だったジャーナリストの回想録。
5 Et le bien dans tout ça ?
Axel Kahn アクセル・カーン
科学者で医者の著者が医学と最新技術をめぐる善と悪、倫理の在り処を問う。
6 Le Monde en 2040 vu par la CIA
National Intelligence 国家情報会議
CIA が膨大な情報を分析して、国家の弱体化など近未来の展望を予測。
7 Le jour d'après
Philippe de Villiers フィリップ・ド・ヴィリエ
コロナ禍を利用して社会のコントロールを狙う者たちを糾弾。
8 La Clé de votre énergie
Natacha Calestrémé ナタシャ・カレストレメ
どうやって負の感情を克服できるのか具体的なメソッドを提示する自己啓発書。
9 La Fabrique des pandémies
Marie-Monique Robin, Serge Morand マリモニック・ロバン、セルジュ・モラン
環境破壊と疫病の流行の関係性を様々な角度から分析し、将来への方策を探る。
10 L'Art d'être français
Michel Onfray ミシェル・オンフレ
混沌の現代社会を鋭く分析しつつ、フランス文化の根源を若者たちに提示。