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【宮本太郎】行き詰まった社会保障、でもすべてベーシックインカム頼み、は危うい 

World Now 更新日: 公開日:
中央大学の宮本太郎教授(本人提供)

――国連事務総長から巨大IT企業の大富豪まで。いま様々な立場からBIの必要性を訴える声があがっています。なぜですか。

もはや、働いても生活していけない時代になってしまったからだと思います。世界で最も裕福な8人の資産は下層36億人の資産総額と同じと言われるほど、グローバルIT企業のオーナーなどに富が集中しています。EU諸国でも1割近くがワーキングプアです。分配のルールが20世紀とは大きく変わってしまい、働いても生活が成り立たないという状況の中では、BIを求める声が出るのは当然だと思います。

最も裕福な8人の大富豪のうち何人かまでBIを主張していますが、彼らの言うBIと36億人の側から言うBIでは狙いが全然違う。36億人にとっては生きていくための手段です。他方、大富豪にとっては、AIが台頭して人を雇う必要がなくなっていく未来ではみんな買い物をするお金もなくなってしまうので、政府がそのお金ぐらい出してくれよ、みたいな話にも聞こえる。

それぞれで趣旨は全然違いますが、これまで安定した雇用が行き渡ることを前提に考えられていた制度の条件が根底からひっくりかえってしまったことが根本にあります。

――でも、なぜBIなのでしょうか。

二つ背景があると思います。一つはこれまでの社会保障の機能不全です。社会保障の制度は本当にややこしく、特に日本では政府が「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」でやってきて、迷宮のような制度になっている。もうどこがうまくいっていないかもよくわからない。ともかくこれまでの社会保障とは違ったやり方で、非常にわかりやすく、低所得層のみならず富裕層ものってくるような施策となると、BIが浮上してくるのは当然の成り行きと言えます。政治がポピュリズム化を強めていることも関係しているでしょう。

もう一つはこれまでの社会保障改革の失敗です。歴史的には、1980年代にも格差拡大が問題になった。英国ではサッチャー政権、米国ではレーガン政権ができ、新自由主義が広がりました。新自由主義は福祉を「弱者への支援ばかりして甘やかしすぎだ」と批判し、中間層は「自分たちの税金が怠け者のために使われている」と思わされ、不満を募らせることになった。こうした批判を意識して、英国の労働党など社会民主主義の人たちは「福祉から就労へ」と、働く支援を強調するようになった。これが結果的に、就労の押しつけのようになっていった。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)という映画がありますが、主人公は病気で働けないのに仕事を探しているふりをしないと生活扶助が受けられない。英国の「福祉から就労へ」政策が新自由主義と変わらなくなってしまったことを明確に描いた映画だと思います。そうなると、「やっぱりBIしかない」となってくる。

――これまでの社会保障のどこに問題が生じているのですか。

第2次大戦後の各国の社会保障制度は基本的に社会保険と公的扶助(福祉)の2本柱で成り立ってきた。安定した仕事に就いて、月々の稼ぎから保険料を払い、仕事を続けられなくなったときのために備える。他方、働くのが難しい人には、政府が余裕のある人や企業に課税して再分配するという仕組みです。ここでは、安定して働けている人が一定以上いるということが前提でした。

しかし、グローバル経済のもとで安定雇用が収縮し、働いても生活が成り立たないワーキングプアの人たちが増えてしまい、社会保障がこれまで通りの形では維持できなくなっている。つまり、安定雇用を前提にした社会保険と、働けない人たちの福祉の両極の間にゾーンが空いてしまった。ここに非正規雇用やひとり親世帯、軽度の知的障害を抱えた人、ひきこもってしまった人たちなどが、どちらからの支援も受けられないまま、はまり込んでしまっています。

――日本はどうですか。

日本ではこの2極化が極端でした。特に、男性の安定雇用に依存して、社会保険や会社の賃金・福利厚生に頼る度合いが非常に高かった。例えば欧米なら住宅手当や無償の教育費など公的に給付されているお金も、日本の場合、サラリーマンの父親の年功賃金や福利厚生で何とかしないといけなかった。

この男性稼ぎ主の安定雇用に社会保険を連携させました。皆保険皆年金が実現したのは1961年。欧米と比べても驚くべき早さです。実現できたのは、多くの税金を社会保険の財源に投入したからです。税金が保険料を補塡(ほてん)してくれることで、ここまで制度を維持してきました。このことには評価できる面もあった。

ただ、この仕組みは社会保険に入れていないと税金の恩恵にあずかれない。本来、税はみんなに還元されなきゃいけないのに、日本は社会保険を成立させることに全力を傾けてしまい、生活保護など、純粋に税金だけで動かしていく給付を相当絞り込んでしまった。その結果、非正規雇用で社会保険に入れず、他方で絞り込まれた福祉給付も受けられないような「新しい生活困難層」が急増している。旧来型の生活保障の限界が明らかになっています。

――どうすればいいのでしょうか。

働く人たちの制度と福祉の制度の2極構造を改め、双方をつなぎ合わせ、クロスさせていくべきです。すなわち、長時間労働でストレスまみれの働き方を見直しつつ職場の敷居を低くして、もっと多様な人たちが働ける条件をつくっていく。他方で、一部だけに選別給付されていた福祉も対象を広げていく。例えば、事情で短時間しか働けなくても、福祉給付と組み合わせて生活できることが必要です。

中央大学の宮本太郎教授(本人提供)

――BIは解決策になりますか。

いくつか問題があります。

まず、給付水準をどう設定するか、財源となる税の累進性をどうするか、既存の社会保障をどこまでBIに置き換えるのかで、BIの中身は全く変わってきます。生活保護や年金などを全部やめてBIに一本化するのか、できるだけ既存の制度を残そうとするのか。同じBIと言っても、新自由主義的なBIもあれば社会民主主義的なBIもあるわけです。

またBIは「お金だけ配る最小国家」を目指すリバタリアニズム(自由至上主義)の制度とも言われるが、見方を変えると、国のさじ加減で生活が根本から左右されてしまう、究極のパターナリズム(家父長主義)という面がありはしないか。そこまで国家を信用しちゃうんですか、ということです。生活保護も失業手当も年金も、全部BIに一本化された上で、国の決定で引き下げられたらたいへんです。

自立というのは「依存先」がたくさんあることだという言い方もあります。働ける人は自分で稼げて、逆に会社を辞めたり家族のケアで仕事を減らしたりしても福祉の給付が使えて、相談できるNPOもある、ということこそ、自立の基盤です。そのような条件があってこそ、一人ひとりが人生の主導権を握ることができる。すべてBI頼みになってしまったら、お上次第で運命が決まってしまう、ということになりかねません。

さらに重要なことは、望む人はみなコミュニティー(社会)に参加でき、認められる機会を得て、自己肯定感を高めることができることです。でも、BIだけでは人とのつながりは確保できません。BIを導入した結果、公共サービスの財源が圧迫されるなどということになればなおのこと心配です。例えば、認知症で単身の高齢者の口座に毎月BIは振り込まれるが、当人はそれを使うこともできないまま孤立していく、などということになりかねない。

――どうすればいいですか。

今、一人ひとりが抱えている生きづらさは千差万別です。現金給付の場合、必要な人に給付対象を絞るターゲット化そのものを否定するべきではない。17歳以下の人口に子どもの貧困率を掛け合わせると250万人くらいの子どもが貧困状態にあるとみなされますが、ここに給付を届けていくことは、BI以上に説得力があるでしょう。ただ、コロナ禍での特別定額給付金のときにも明らかになりましたが、客観的で透明度の高いターゲット化の仕組みが未成熟なのです。

現金給付と併せてサービスについても、個々の事情に応じて様々なサービスを組み合わせて選択できるようにしていく必要がある。介護保険制度のケアマネジメントは、実際にこうした方向に踏み出した例です。多様な生きがたさや障害の有無にかかわらず、いろいろなかたちで社会に参加でき、場合によっては仕事を離れることも可能になる。そのような条件が求められます。

BIは「何を給付するのか」という話ですが、いま重要なのは、「どう配るか」「何を可能にするか」ということです。

みやもと・たろう 1958年生まれ。中央大学法学部教授。専門は福祉政治、福祉政策論。近著に「貧困・介護・育児の政治ベーシックアセットの福祉国家へ」。