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「雇われる」以外の働き方がある みんなで決める「協同労働」、本場で見たその仕組み

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製本した本に囲まれた「ザナルディ」のマリオ・グリッロ会長=2021年7月8日、イタリア北部パドバ、大室一也撮影

雇われるのではなく、労働者がみなで少額を出資し、事業方針を相談して決めて主体的に働く「協同労働」という働き方が注目されている。日本でも昨年12月に法律ができ、様々な業種に対象が拡大される。健康保険や労働保険も適用されることになる。協同労働が社会に浸透するイタリアの現状をみた。(大室一也)

■解雇の危機からの「創業」

ローマ中心部から車で30分ほど、集合住宅が立ち並ぶ閑静な地区の一角に、薬を発注製造し販売する協同組合「フェニックス・ファルマ」が入る建物がある。事務所の壁の棚に薬や栄養剤などの小箱が展示されていた。「30種類くらいの薬を取り扱っています」とダニエラ・アンゲル会長(55)が説明した。

フェニックスはかつて、米国大手医薬品会社の欧州の大規模拠点の一つだった。営業担当だったアンゲルさんの月給は当時手取りで2500ユーロ(約32万5000円)ほど。「この大きな会社で一生働き続けたいと思っていた」。しかし、親会社の業績悪化で2011年4月に突然解雇が発表された。22年働いてきた会社からのまさかの通告だった。

アンゲルさんは同年9月、社員約130人のうち約40人と協同組合を立ち上げた。組合員の出資金、協同組合の連合組織「レガ・コープ」の基金などから借りた金を「創業」資金に充てた。予算を決める組合大会は今は年1回だが、最初は年5回開いた。サルバトレ・マンフレディ元会長(61)は「組合員それぞれに意見がある。時間をかけて納得するまで議論した」と振り返る。

「フェニックス・ファルマ」のサルバトレ・マンフレディ元会長(右)とダニエラ・アンゲル会長=2021年7月6日、ローマ、大室一也撮影

「創業」当時のアンゲルさんの月給は以前の半分程度にまで減った。それから10年たち、8割程度まで回復。企業から協同組合になり、働く意識も変わったという。「『事業リスクをどうするか』を考えるようになり、責任感が増した。それぞれがお金を出し合い、共通の利害で結びついている。帰属意識が強くなった」

仕事の内容は民間企業と変わらない。平等の原則はあるが、組合員の能力に基づき、売り上げが多い営業担当は給料が高くなるなど能力主義の面もある。5人の「役員」は立候補制で、3年ごとに投票で決まる。どうすれば円滑に協同組合を運営することができるのか。マンフレディさんは「和を崩さないようにしながら、納得してもらうことが重要だ」と言う。

■創業家の不幸と倒産を克服

北部パドバの工業団地。製本業「ザナルディ」の工場では本をとじ合わせたり、表紙を付けたりする機械の音が鳴り響いていた。豪華な図録や子ども向けの絵本、箱入りの本などを製本し、3割近くはドイツやフランス、ロシアなどに輸出している。

「今年の売り上げは480万ユーロまでいきそうだ」。製本された本がテーブルの上に所狭しと置かれた部屋で、マリオ・グリッロ会長(70)が話した。ザナルディは昨年コロナ禍でも巣ごもり需要で売り上げは落ちなかった。近年経営は順調だが、7年前に1度どん底まで落ちた。協同組合に生まれ変わって、ここまで来ることができた。

製本業の協同組合「ザナルディ」のマリオ・グリッロ会長=2021年7月8日、イタリア北部パドバ、大室一也撮影

創業は1967年。新聞折り込みの抜き刷りの製本から始め、本の印刷も手掛けるようになった。90年代には約300人もの従業員がいたが、やがて中国企業に仕事を奪われるなどして経営は悪化。多額の負債をかかえ、2014年に創業家「ザナルディ家」の1人が自殺し、その後会社は倒産した。

会社は裁判所と再建計画を練り、提携先を探したが見つからない。約100人にまで減っていた社員のうち、グリッロさんら約20人が出資するなどして協同組合を立ち上げた。だが、設立前の半年間は仕事がなく、以前の得意先からも取引を渋られていた。工場を手放さなければいけないほどだったが、ある事業家が買い取って使わせてくれることになり、窮地を救ってくれた。

製本後の本を手にする協同組合「ザナルディ」のマリオ・グリッロ会長=2021年7月8日、イタリア北部パドバ、大室一也撮影

グリッロさんは以前は、民間企業に勤めていた。協同組合の利点について、「企業の社員は上から言われて仕事をするが、協同組合は初めからモチベーションが高い人が集まっている」と話す。たいしてもうけにならないが引き受けた仕事が、組合員の「カイゼン」によって収益を生むこともあるという。

会社だったときに比べて月給は1割ほど減ったが、仕事は伸びてきている。予算や決算は年1回の大会で決め、高額な機械の購入などは職場会議で意見を聞く。マッシモ・モナルディーニさん(58)は「組合員は民間企業の時につらい経験をしており、それぞれ自覚的に自分のやるべき仕事をしている。情報を共有し、協力して仕事を進めている」という。

■障害者らが働く場を提供

障害者ら社会的弱者の雇用の受け皿になっている協同組合もある。

ローマ郊外、ラッシュで渋滞した道路から1歩入った小道の奥に、協同組合のレストラン「ひまわり」がある。入り口前の看板には「ダウン症などの病気の人たちが働いている」と趣旨の記載。健常者とともに働く20代~40代の障害者12人中11人がダウン症だ。ダウン症の子どもがいる保護者たちが、自分たちに何かあっても彼らが働き続けられる場を設けようと、1999年に立ち上げたという。

テーブルのセッティングをするダウン症の従業員ら=2021年7月6日、ローマ、大室一也撮影

シェフの手伝い、受付、給仕といった幅広い仕事をこなす。その1人、シモーネ・イッポリティさん(32)はホテルの仕事を教える学校で学んだあと、12年前から働く。接客係のテーブルセッティングを確認するのが主な担務だ。「管理者としての仕事に誇りを持っています」。週5日働き、給料は親に渡す。豪華客船で旅行するため一部を貯金。組合の会合には親と出席するという。ここでずっと働き続けたいか? そう尋ねると、「気に入っていることは確か」と目を細めた。

トマトを一定の形に切るのを1日で覚えられる人がいれば、そうでない人もいる。彼らの面倒を見ている組合副会長のウゴ・ミネンギーニさん(38)によると、ダウン症の人たちはそれぞれ症状が異なるため、個別の対応が必要だという。月1回心理療法士が来て、相談にのってもらう。週5日間働く人で月給は1200ユーロほどだが、「彼らはお金のために仕事をしてはいない。報酬を受け取り、認められたと感じることが大切」と、働く場を設けることの意義を強調した。

ピザのソースを塗るダウン症の男性(左)=2021年7月6日、ローマ、大室一也撮影

■農民や労働者の互助組織が母体

約1万1000の協同組合が加盟する「レガ・コープ」によると、イタリアの協同組合は農民や労働者が資金を出し合って困ったときに助け合う互助組織が起源だという。レガ・コープ自体の設立は1886年と古く、農産品の生産や加工、建築業、飲食店、小売業、保育園、福祉施設など、様々な業種の協同組合が加盟する。第2次世界大戦後にできた新憲法には協同組合の社会的機能を認めることが条文で規定されており、協同組合はイタリアでは身近な存在だ。1991年の社会的協同組合法で、障害者らの就労を促す仕組みもできた。

協同組合の連合組織の一つ「レガ・コープ」の玄関前に掲げられていたロゴ=2021年6月24日、ローマ、大室一也撮影

働く人を尊重し、民間企業より息の長い経営を続けられることもある一方で、投資の失敗などで「倒産」する協同組合もある。長く続けるには「問題を自分ごととして一緒になって解決することが重要だ。相互扶助、連帯、民主主義の原則の尊重は欠かせない」とレガ・コープのマウロ・ルゼッティ会長(66)は語る。コロナ禍で飲食店経営や文化施設管理などの協同組合が休業を迫られ、打撃を受けた。得た収益を次の世代に引き継いできた協同組合の中には、100年以上続く例もあるという。「もともと助け合い、健康的な生活を維持することが協同組合の使命だった。貧富の格差が広がるなか、協同組合が新しい道を示していることは間違いない」

協同組合の連合組織の一つ「レガ・コープ」のマウロ・ルセッティ会長=2021年6月24日、ローマ、大室一也撮影