――原作を知ったきっかけを教えて下さい。また、なぜこの小説を映画化しようと思ったのですか。
マレーシアのプロダクション会社からFacebookを通じて映画化の提案を受けたのが最初です。小説も作者のタン・トゥワン・エンさんもマレーシアではとても有名でしたので。
この会社はすでに映画のシナリオ案も作成していましたが、私はまず小説そのものを読んでみたいと思いました。時間をもらって読んでみたところ、すごく気に入って。それからシナリオ案を読み、自分のイメージを加えながら素案を何度かつく直しました。
――マレーシアの話を台湾の監督が映画化するのは難しかったのと思うのですが。
私は挑戦することが好きなんですね。実際、自分が今までやってきたことを繰り返すことは好きではなくて。それにオファーを受けたとき、この物語が何となく自分に通じるような気もしたんですね。
それは、贖罪(しょくざい)の意識とか愛とか、許しとかです。作品が扱うそうしたテーマはとても身近に思えました。登場人物たちの心情や体験も理解できました。
もちろん小説の背景についてはとても難しかったです。この小説を読む前までは、マレーシアについて詳しくありませんでした。戦時中に日本軍がマレーシアを占領していたことさえ知りませんでした。
従って、まずは歴史を学ぶところから始めました。撮影を始めるもっと前にマレーシアに行って、より詳しいリサーチをしました。大学を訪問し、歴史家から話を聞きました。
大変な作業でしたが、このおかげで制作はスムーズに行きました。こういった挑戦は楽しかったです。異国に行き、新しいことを学ぶ。思いがけない贈り物でした。
制作自体も大変でしたが、マレーシアがいかに複雑な歴史的背景を持っているかということを知ることができ、とても学びが多ったと思います。
――リサーチ期間はどのくらいかけたのですか。
まず台湾でマレーシアに関する歴史書を入手し、読み込むところから始めました。それに加えて、日本軍によるマレー占領のドキュメンタリー映像を見ました。ただ、その多くが中国によって作られたものでした。
例えば、作品の題材にもなっている「山下財宝」や「金の百合」などについてでした。終戦時、日本軍が東南アジアに隠したとされる埋蔵金伝説のことです。台湾でのリサーチは3カ月ぐらいかけました。
その後、マレーシアに行きました。マレーシアの全体像がわかる歴史学者と、日本について研究している学者からそれぞれ聞き取り調査しました。
専門家には日本人の庭師についても話してもらいました。というのも、この小説の多くの部分が日本庭園について触れており、私たちは詳しく知る必要があったからです。
当初は私とプロデューサーとで半年ぐらいリサーチをしましたが、アートディレクターやデザイナーが加わったあとは、彼らがさらにリサーチをしました。日本美術や入れ墨(彫り物)などといった、小説に出てくるディテールについてです。
このリサーチはとても楽しかったです。というのも、物語の中で有朋が語る内容が、実際にもその通りだったからです。もちろん、小説はフィクションですが、実際にも当てはまることが多かったです。
例えば有朋が日本最古の造園書「作庭記」について語るシーンがありますが、これは実在した書物です。中国語で調べても見つからず、英語で調べました。そうやって1年か1年半リサーチして作品内容をまとめあげていきました。
――作品には慰安所や慰安婦のような存在も登場しますね。調査は難しかったと思うのですが。
まだ生存していらっしゃる戦争体験者たちに聞き取りしました。もちろん高齢ですがいらっしゃいます。
聞き取りの趣旨を説明し、承諾を得られた人にうかがいました。許可が得られれば録音することもありました。
その中には元慰安婦の方もいました。体験やその当時の心情について、俳優たちも聞きました。
一方で、イギリス植民地時代の紅茶のプランテーションの状況や、共産党の武装組織についても歴史家たちから聞きました。
さらにはその後の共産党の武装組織時代についても聞きました。日本の占領時代だけでなく、イギリスの植民地時代、中国の共産党時代など、様々な時代があります。
――撮影場所はマレーシアだけでしたか。
そうです。すべてマレーシアでした。
――映画化するにあたって、原作と大きく変えたところはありますか。
あります。原作は400から500ページと大作です。描写がとても細かく、そのすべてを映画に詰め込むことはできませんでした。
一番大きな違いは、1980年代の話です。小説ではユンリンはこのとき、すでに裁判官を辞め、病気で失語症になっていました。記憶があるうちに彼女は有朋に会おうとします。
でも映画では、行動的な彼女を描きたかったので設定を変えました。
それともう一つ。原作では、1980年代のユンリンはマレーシアを訪れた日本人の男性歴史学者に会います。その学者は有朋のことについて調べる一方、彼自身、かつては神風パイロットで、戦争体験を語るのです。
この章はとても面白いのですが、やはり長すぎて映画には入れられませんでした。
――映画の中では1980年代の中村の映像は出ないですよね。原作通りなのか、それとも監督独自の描写なのでしょうか。
原作でも有朋の所在については触れていないんですね。消息については描写はありません。しかし、もちろん私たちは「答え」を知っています。阿部さんからも「彼はどこに行ったのか」と質問されたので(笑)。
原作者に聞いたところ、彼の答えはとてもロマンティックでした。「有朋は森に行き、自分の居場所を見つけ、そこで永遠にたたずんでいる」と。それが答えなんです(笑)。
原作者が言いたかったのは、有朋は森に行き、そこで贖罪の方法を見つけたということなんですね。
――登場人物にはそれぞれ「二面性」がある気がします。例えばユンリンは、敵であるはずの日本人の中村にひかれる。中村も心根は優しいが、一方で日本軍に関与していたという面。ユンリンの妹も日本軍から暴力を受けながらも日本庭園を愛し続けた。
私が思うに、人間というのはそもそもとても複雑だと思うんですね。常に内面で葛藤しています。自分でもどうすべきかわかっていながら、それでもその通りにはいかないということです。
人間の複雑さというのは特に戦争中に現れると思っています。というのも戦争中というのは、人間性というのが失われてることがあり、しかし、それと同時に人間の「善」なる面も現れる。それによって優しくなれるし、他人に共感することもできる。
誰にでも善なるもの、悪なるものがあるのだということが改めてこの作品を通じて発見できると思います。なぜなら社会自体が人間によって作られた、複雑なものだからです。
そう、そして質問に答えましょう。すべてのキャラクターが善悪の面を持っています。だからこそドラマが起きるわけで、それが映画を見る動機にもなります。鑑賞者が自分自身や人間の本性についてもっと深く理解することにもなります。
――監督は恋愛をテーマにした作品で知られています。今回、それに戦争というテーマにも取り組んだのはなぜですか。
物語が戦中、戦後という設定だったので、とても注意を払いました。というも作品を憎しみを生み出すものにはしたくなかったからです。戦争をテーマにした作品にはおこりがちなのですが、誰かを虐げたすることに鑑賞者が引きずられがちです。
この物語を通じて、私が信じているのは愛の力です。それは贖罪を生み出し、レイシズムや偏見を克服し、平和の感覚を身につけさせてくれるものです。
その意味で、この作品は単なるラブストーリー以上であり、贖罪と許しもテーマに含んでいます。有朋とユンリンの愛が、それ以上の高いレベルに達しているために我々は感動するのです。
――阿部寛さんを起用したのはなぜですか。
まず、私自身が大ファンです。彼が出演しているドラマや映画が大好きで、特に「トリック」はよく見ていました。
偉大な俳優だと思います。有朋という人物は一般的な日本人とは違います。独特であり、英語を話します。阿部さんも英語で演じなければなりません。
プロデューサーたちは当初、英語が得意な日本の俳優を検討していましたが、私が鑑賞者だったら、英語が話せるということではなく、何かとても新鮮な感じがする人が人がいいと思いました。阿部さんがマレーシアの映画に出演したら、そう想像したら興奮しました。
まず最初にアプローチしたのが阿部さんだったのですが、彼は出演を承諾してくれました。ラッキーでした。
――日本の映画監督で好きな方は?
とてもたくさんいるので難しいですね。ただ、一人挙げるとしたら、是枝裕和さんです。彼の作品のうち、「誰も知らない」「歩いても 歩いても」は私にとってとても大切な作品です。この中で、是枝監督が描く人間性にとても感動しました。人々へのまなざし、配慮の仕方、登場人物の設定など、すべての彼の作品に通底するは人間の温かさです。