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金正恩氏が「腐敗根絶」叫んでも、変わらない北朝鮮の賄賂事情

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
ロシア・ウラジオストクの空港から帰国の途に就く北朝鮮海外派遣労働者。海外派遣されるためにも賄賂が必要だとされる=2019年12月、牧野愛博撮影

稼ぎの1割から3割が、賄賂で消えていく。北朝鮮の人権問題を扱う韓国のNGO「開かれた北韓」が5月発表した、脱北者らへの聞き取り調査報告書の内容だ。脱北者らは「賄賂なしでは一歩も進めない」と口をそろえた。学校、職場、市場、病院、警察などありとあらゆる場所で賄賂が幅を利かせている。金正恩朝鮮労働党総書記が「反社会主義・非社会主義的行動の撲滅」を掲げ、不正腐敗の根絶を叫んでも、状況はまったく改善していない。北朝鮮が掲げてきた「理想」が、改革の足を引っ張っているからだ。(牧野愛博)

調査は昨年3月から10月にかけて行った。2014年から19年にかけて脱北した30人に賄賂の実態を聞いた。北朝鮮で主婦、工場労働者、秘密警察要員、貿易業者、看護師などをしていた。約4割の人が「収入の10~30%が賄賂に消えた」と答えた。「収入の30~50%」とした人も1割強いた。賄賂は様々な場所に広がっている。

義務教育の場である幼稚園(1年)と小学校(5年)、初級中学校(3年)、高級中学校(3年)。北朝鮮は「無償教育」だと誇るが、保護者は様々な理由で賄賂を支払うことを迫られる。「公務員である教師の生活費を支援するため、世帯あたり1年間で73~175ドルが必要」、「良い成績をつけてもらうため、1科目あたり1・3ドル」、「大学進学のために必要な課外授業受講で1カ月10~23ドル」、「高級中学生に課される年間1カ月の農村支援戦闘免除に43~60ドル」などだ。

北朝鮮では4人家族が1カ月暮らすために必要な生活費が100ドル程度だとされる。あまりに負担が大きいため、子どもを学校に通わせられない保護者もいる。脱北者の証言を総合すると、初・高級中学校の場合、15~20%の生徒・学生が学校に通っていない。学校に行けない児童・生徒らは自宅で、子守をしたり、つけまつげやカツラをつくる作業に従事したりしている。

NGO「開かれた北韓」がまとめた報告書「北朝鮮の広範囲で組織的な奪取」=権恩京代表提供

大学への入学も賄賂次第だ。地域ごとに入学者数が割り当てられる人民委員会(市町村の行政組織)大学募集課の推薦書を出す幹部らと、希望大学の学長ら有力者に、それぞれ賄賂を支払う。特に平壌市民の間では競争が激しく、金策工業総合大や平壌医科大などの中央にある大学に入学しようとすれば3千ドル、北朝鮮随一の有名大学である金日成総合大なら6千ドルが必要になる。2年制の看護学校なら70ドル前後が必要になるという。

大学に入ってからも賄賂は必要だ。小中高校と同じように、教授への付け届けや労働動員を免除してもらうための対価、大学施設の維持管理費などを支払う。さらに、大学では5段階評価で3以下の点数を取ると、就職などに影響が出る。落第点を取りそうな学生には「教授が呼んでいる」と伝える。教授は机の引き出しをわざと開けておき、賄賂を無言で求める。

そもそも、教授たちの平均月給は5千ウォン(実勢レートで1ドルが約8200ウォン)。市場でコメ1キロを買えばなくなってしまう。学生も定期試験で良い点を取るため、教授に賄賂を渡す。2年制の短大では1~5ドル程度が相場だが、4年制の総合大学では200ドルくらいに跳ね上がる。

社会人になってからも賄賂は追いかけてくる。

北朝鮮は社会主義労働法で「失業者は永遠にいなくなった」と定めている。逆に言えば、各世帯の代表者は公務員として党や企業所(国営企業)、集団農場など、国が定めた職場で働く義務がある。職場に3カ月以上出勤しなければ、無職者として労働鍛錬隊で強制労働の刑を科せられる。

ただ、職場での月給は3千ウォン程度だ。調査した30人の脱北者のうち、「月給を一度も受け取ったことがない」と答えた人も25人いた。しかも、エネルギー不足や施設の老朽化、硬直した社会主義計画経済などにより、企業の多くは利益を上げられずにいる。調査では、企業所の従業員のうち2割は、外部で働く。そこで得た賃金を自分の生活費に充てるほか、半分は賄賂として、自分が所属する職場に上納する。

いくら自分の職場に貢献しているといっても、国が定めた以外の場所で働くことは違法になる。このため、労働者は「後見人」との関係を築く必要に迫られる。企業所なら、支配人、政治案件を担当する朝鮮労働党書記、その企業所を担当する保安員(一般警察官)、保衛員(秘密警察要員)らに賄賂を定期的に渡して良好な関係を築く。後見人の誕生日や慶弔、盆暮れの際などに100ドル前後の賄賂を渡すという。
市場など、公式に定められた職場以外で働いた賃金は月給で200~600ドルに達する。市場は北朝鮮全体で400カ所以上あり、およそ110万人程度が働いているという。中朝国境では密輸が盛んに行われ、国境警備隊に賄賂を渡して守ってもらう。個人経営の会社を作る場合は、国家機関に賄賂を支払って登録してもらう。

国が定めた職場で働く必要がない世帯主以外の人々も賄賂から逃れられない。北朝鮮には「人民班」と呼ばれる隣組制度がある。報告書は、人民班の構成単位を20~40世帯とする。人民班では、都市の美化作業や国が命じた建設作業などに労働力を提供するほか、様々な政治講演会への出席を求められる。逃れるためには賄賂を払うしかない。回答者らの証言によれば、1年間こうした義務から逃れるためには30~45ドルが必要だ。最近では、労働を代わりに引き受ける非公式の労働市場も生まれているという。

このほか、一般生活にも賄賂は欠かせない。地方から平壌への旅行証明書を発行してもらう場合、最低でも7ドルが必要だという。北朝鮮では兵役や進学など認められた理由以外での引っ越しは禁じられている。農村から都市に引っ越したい場合、200~2600ドルの賄賂が必要になる。環境汚染や山林の不法伐採などの摘発から逃れたり、逮捕や起訴を免れたりする場合にも賄賂が効果を発揮する。

なぜ、北朝鮮で賄賂が蔓延するのか。教師や党専従、警察官などの公務員の月給がコメ1キロ程度にとどまるほど安い事情が背景にある。最高指導者が予算を無視して、軍や党組織に臨時の建設事業などを命じるための資金もプールしておく必要にも迫られている。

報告書をまとめた「開かれた北韓」の権恩京代表は「北朝鮮当局は私有財産を認めていないため、公務員の給与を市場水準に合わせると政治的な混乱が起きかねない。市場価格は国定価格の100倍で、経済的にも公務員給与の引き上げは不可能だろう」と語る。

1月に開かれた朝鮮労働党大会で演説する金正恩氏(中央)とメモする幹部たち=労働新聞ホームページから

金正恩総書記は今年1月の党大会などで、不正腐敗行為の根絶を繰り返し強調している。権代表は「公務員は賄賂なしには生活していけない。文書1件処理するために、タバコ1箱が必要な行政機関もあった。取り締まり機関が科す罰金のうち、8割が賄賂。賄賂から自分の生活費や所属する機関への上納金を捻出している」と語る。

権代表によれば、北朝鮮市民の間では、行政サービスや自分の利益になる行為を要求する対価として賄賂を払うことは極めて自然な行為だと受け止められている。賄賂を払わずに要求する行為はむしろ、不道徳な行為だとみられているという。

もちろん、賄賂が北朝鮮市民にとっての重荷になっているは間違いない。脱北者らは今回の調査で「北朝鮮では禁じられた行為が多すぎる。一つ一つ許してもらうため、タバコはいつも持っていた」「保衛員は企業所で実際に働いていない労働者がいるかどうかには関心がない。賄賂を受け取れるかどうかだけに関心がある」などと証言したという。

北朝鮮で市場経済が広がれば広がるほど、「私有財産の禁止」「無償教育」「無償医療」「無税」など、北朝鮮が掲げた理想との矛盾が深刻になっている。