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国境を越える「寺山修司」 偉人の「あったかもしれない人生」がアートに

アートから世界を読む
《帰って来たS.T.》2020
《帰って来たS.T.》2020

「文化の盗用」の問題

最近「文化の盗用」が頻繁に話題になっている。「Cultural appropriation」の訳語であるが、オックスフォード辞典によれば「ある民族や社会の習慣や実践、思想などを、異なる民族や社会(一般的により支配的な)が不適切なやり方で採用すること」を意味する。

2019年、キム・カーダシアンが自身のプロデュースした補正下着のブランド名を「Kimono」と命名し、日本文化の盗用だとの声が上がる。京都市長が抗議書簡を送り、名前は撤回された。同年、カナダのトルドー首相が20年以上前に顔を黒く塗ってアラジンに扮した写真が人種差別だと糾弾され、首相は謝罪した。2020年のパリ・ファッションウィークでは、コムデギャルソンが黒人の伝統的スタイルである細かい三つ編みを多数作るコーンロウのかつらを白人モデルに着用させたことが問題となった。

「キム・カーダシアン問題で考える「文化の盗用」と「文化の尊重」の境目」『Globe+』2019年7月11日号

“Justin Trudeau: Canada PM in 'brownface' 2001 yearbook photo, BBC News,“ Sep.11, 2019

“Comme Des Garçons: Row over white fashion models' cornrow wigs” BBC News, Jan.19, 2020

2020年に大きなうねりとなったブラック・ライヴズ・マターが示すように、社会に根深くある差別構造を考えれば、今日の社会において異文化搾取への細心の注意を払うことは必要だ。さらに同様の視点から美術史を振り返れば、ピカソが「プリミティブ」であると評価した非西洋芸術へのまなざしや、ヨーロッパで芸術家たちに絶賛されたジャポニスムの現象などにも、批判的分析が求められるだろう。いや、そもそも美術史はそのようなことがらの連続から成り立っているともいえる。

とはいえ異文化が影響しあって発展するのが文化の特徴でもある。「文化の盗用」に陥ることなく、文化の境界を超えることはできるだろうか。弘前れんが倉庫美術館で開催された小沢剛の個展「オールリターン 百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」は、この問題のヒントとなる示唆に富む内容であった。近代化やアジアにおける日本、戦争などのデリケートな問題に大胆かつ真摯に対峙し、他者とのコラボレーションを通して新たな価値を探る小沢の試みの中に、文化をめぐる突破口を見出すことができるのではないかと感じたのだ。

偉人たちのあったかもしれない人生

本展では小沢の新作を含めた5つの「帰って来た」シリーズが一挙に紹介された。このシリーズは、2013年に横浜で開催されたアフリカ開発会議に向けて、小沢が作品制作を依頼されたことがきっかけで始まった。小沢はこの時、黄熱病の研究途上でアクラ(現ガーナ共和国)で没した野口英世をモデルにした作品《帰って来たDr. N》(2013)を発表する。その後、藤田嗣治、ジョン・レノン、岡倉覚三(天心)など、国際的に活躍した著名人をモデルとした架空の人物の物語シリーズへと展開。ロケ先の国で地元のミュージシャンとコラボレーションし、小沢の歌詞を自国の言語で歌い上げるメンバーの演奏が映像に収められる。さらにその土地の画家が、小沢のドローイングを元に主人公のストーリーを描く。このようなプロセスを経て映像と絵画によるインスタレーションが完成し、虚実の混ざった全く新しい「伝記」が生まれた。

《帰って来たペインター F》のインスタレーション風景

「オールリターン」の展示は壮観だった。およそ100年前に酒造工場として建てられた煉瓦造りの近代建築を改築し、昨年2020年に美術館として生まれ変わった趣あるスペースに、シリーズの一つ一つが丁寧に配置されている。映像はタイマーによって作品ごとに順番に上映される。上映中は照明が暗転し、終わると絵画に照明が当たる仕組みになっているため、鑑賞者は映像と絵画それぞれを適切な環境で見ることができる。作品同士の干渉も気にならない。

映像の中で際立っているミュージシャンたちの演奏は、何度も聞き直したくなるほど魅力的だ。藤田嗣治をモデルにした《帰って来たペインター F》(2015)に登場するインドネシアの実験バンド「センヤワ」の激しさと繊細さを併せ持つ音、ボーカルのルリー・シャバラの時に叫び、時に呟くような声が、ペインターFの苦悩と欲望をドラマチックに彩る。一方、岡倉覚三(天心)をモデルにした《帰って来た K.T.O》(2017)では、インドの若手バンド「ビハインド・ザ・ミラー」の爽やかな歌声と若々しい姿が映像に柔らかな印象を与えている。小沢の作品のためだけに特別に作曲され演奏されるクオリティの高い音楽。その贅沢な趣向には作品が発表される度に驚かされてきたが、今回まとめてこのシリーズを見て改めてその豊かさに感嘆した。小沢が提示する物語にミュージシャンが直感で答えてセッションするような、即興的なライブ感があるのだ。

《帰って来た K.T.O》のインスタレーション風景

イランのバグパイプと弘前の津軽三味線のセッション

そして本展のハイライトである新作の《帰って来た S.T.》(2020)。「S.T.」なる人物のモデルは弘前出身の劇作家寺山修司である。寺山が1970年代にイランの芸術祭に招待されていたという記録を手がかりにして、小沢はイランとS.T.を結ぶ物語を構想した。展示会場には雪山あるいは切り立った崖を思わせる白い造作が床から天井に伸びている。弘前の人形ねぷた組師たちが、ねぷたの技法を用いて和紙で制作したものだという。上から見ると、床の中央に伸びた部分は下北半島を反転させた形になっている。この造作を背にして寺山の人生や作品を表した8点の看板絵が並び、中央奥のスクリーンに映像が映し出される。

《帰って来た S.T.》のインスタレーション風景

「揺れる汽車の中で生まれた。そった嘘で始まる、わ(私)の故郷はどこなんだべ。」映像は男性の津軽弁の独白で始まる。寺山の母が冗談で語ったという寺山誕生のエピソードの引用である。力強いベースギターの音がそれに続く。イランの伝統音楽と実験音楽を組み合わせたオターグ・バンドによる演奏と、ペルシャ語の歌の美しさに惹きつけられる。メンバーの一人が奏でるイラン式バグパイプが異彩を放つ。

「デモに行く奴は豚だ。豚は汗かいて体を擦り合うのが好きだから。」「不完全な死体として生まれようやく完全な死体となった。」詩の中に挿入される寺山の残した言葉が強烈に響く。今回興味深いのは、小沢自身の朗読が所々に入っていること。オターグのメンバーたちが、日本語の朗読を入れたいと主張したそうだ。最終的には、小沢の声に重ねるように、三味線奏者の小山内薫による津軽弁での朗読も加わり、ペルシャ語、日本語標準語、津軽弁という三種類の言葉の層が生まれた。

そして後半、小山内の三味線がオターグの演奏に加わり、イランのバンドと津軽三味線のセッションが始まる。弘前の古い屋敷で、駅のホームで、りんごの木をバックに紋付き袴姿で三味線をかき鳴らす小山内と、書斎で演奏するオターグの姿、さらに新宿駅前やイランの街並みのイメージが交錯する。三味線の迫力ある独奏とともにエンドロールが流れ、映像が終わる。寺山をめぐるイランのミュージシャンと津軽三味線の競演は、ため息が出るほどの見事なパフォーマンスだった。

オターグ・バンド

しかし今回の制作にはいくつもの障壁があった。2019年に本格的に始めたリサーチは順調に進み、小沢のチームはイランへの2回の渡航を実現することができたのだが、2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を空爆により殺害する事件が勃発する。革命防衛軍が米軍が駐留するイラクの基地にミサイルで報復攻撃し、戦争に発展するのではないかと世界中に緊張が走った。さらに新型コロナウイルスの世界的蔓延が起こり、イランでの感染拡大も激しく、再渡航が不可能となる。やむなく小沢は、遠隔でコミュニケーションをとりながら、イランでの撮影を現地スタッフに任せることを決めた。やがてイラン国内での移動も難しくなったため、前年にロケハンで決めた場所をあきらめ、テヘラン市内で撮影を敢行した。演奏するオターグのメンバーが着けているマスクは、将来この年を思い出す手がかりとなるだろう。

テヘランと弘前を映像的につなげるために、小沢は弘前で撮ったイメージを送り、それに呼応する風景を撮影するよう依頼する。寺山の映像の「問いかけと答え」という手法を参照したのだという。その中で印象的に使われていたのがりんごとどくろのイメージである。りんごをボールのように宙に投げる背広の男、書類の上に、山の景色をバックに現れるりんご。新宿駅の階段の手前に、テヘランの駅のエスカレーター前に置かれたどくろ。また光あふれる緑のりんご農園で、オターグのメンバーがバグパイプを演奏するシーンが美しい。たくさんの実をつけたイランのりんごの木に対して、三味線を弾く小山内の背後の木は葉を落とし、垂れ込めた雲とともに青森の寒々しい風景を伝える。しかし目を凝らせば枝の新芽が春の訪れを予告していることがわかる。イランは世界で7位のりんごの生産地で、小沢が会ったイラン人の学者によれば、キリスト教で原罪を示すりんごはペルシア文化では生命の象徴であり、皮を剥いた中身は「魂」を表すのだという。それが胸に強く響いたと小沢は語っている。りんごを通してイランと青森の文化がつながる。

イランのりんご農園での演奏

「相談」しながら作品を独り歩きさせる

小沢が「帰って来た」シリーズを通して試みるのは、時を経るうちに伝説となり、ステレオタイプなイメージが定着したカリスマたちを、多様な才能を持つ人々の協力によって新たなかたちで現在に蘇らせることだろう。そこには小沢のきわめて私的な意図が存在すると同時に、関わった個々人の思いもまたこめられている。キュレーター、美術館スタッフ、現地コーディネーター、ミュージシャン、画家、撮影者、映像編集者、音楽監督、各国の研究者。これらの人をまとめ上げる小沢には映画監督のような技量が求められるが、通常の映画作りとは異なり、監督の目指す形を具現化することが作品の目的ではない。自身の思い入れから生まれる「作品の素」をどれだけ独り歩きさせることができるか、どこまで遠くへ旅させることができるかを、小沢は挑戦し続けているように思う。

この小沢の姿勢は、1990年ごろに自身が考案した「相談芸術」から変わっていない。例えば「相談絵画」では、描きかけの絵画を色々な人に見せて相談しながら加筆修正していく。どう仕上がるかは作家本人もわからない。アーティストは自我や主体性から脱し、他者に方向性を委ねるのだ。また世界最小の画廊と銘打って1993年に始めた「なすび画廊」では、牛乳箱の中にアーティストたちの作品を設置し、持ち運んではあらゆる場所で展示した。やがて海外のキュレーターが自ら作家を選定する「新なすび画廊」へと発展し、小さな画廊は小沢の手を離れて独り歩きしていく。

《なすび画廊—会田誠「さりん」》1994
《なすび画廊—会田誠「さりん」》1994

冒頭で「文化の盗用」について述べたが、「帰って来た」シリーズにおける小沢の手法は「文化の相談」あるいは「相談文化」といえるかもしれない。考えてみれば日本人だからといって、藤田嗣治や岡倉覚三を「理解している」とは限らない。そもそも日本の文化とは何か。藤田が従軍画家として活躍したことや、岡倉のアジア主義がその後大東亜共栄圏の思想に利用されたことなど、きわめて政治的な側面を踏まえながら、あえて小沢がインドネシアやインドの人々と協働するのは、文化や歴史とは特定の地域や立場の人間が定めることではなく、他者との関係性によって揺れ動きながら成立するものだと感じているからではないか。そしてそれを書物や学説を通してではなく、個人と個人が互いを尊重しながら議論し、時を共にすることで確認しようとしているのだ。それこそがアーティストならではの文化の探求の仕方ではないだろうか。

小沢はエキゾティシズムを「盗用」することを注意深く避けながら、他者のアイデアを重ねていくことを歓迎する。そこに共感と楽しさを感じた人々(必ずしもアート関係者ではない)は小沢のプロジェクトに積極的に関わり、予想以上の力を発揮していく。このようにして完成する作品は、前例のない文化のかけらの集積である。

旅から帰って来たS.Tは、オターグの歌う寺山のイメージや、バグパイプと響きあう津軽三味線の音色を運んでくる。それらに身を委ねながら、私は新たな文化への愛着と誇らしさを心地よく味わっていた。