北朝鮮では従来、朝鮮労働党の国際部や統一戦線部などが外交を牛耳ってきた。北朝鮮外務省が過去、最高指導者から最高の賛辞を受けたのが、1994年10月の米朝枠組み合意だった。北朝鮮が核開発を停止する代わり、国際社会が軽水炉2基などを提供するとした。金正日総書記が空港まで交渉団の姜錫柱第1外務次官らを出迎え、「何でも希望を言いなさい。全てかなえてあげよう」と喜んだという。
だが、この合意も2002年に破綻。6者協議も核開発を止められなかったが、北朝鮮も外交的な成果を得られなかった。金正恩総書記はトランプ米大統領(当時)との間で首脳外交を繰り広げたが、交渉は決裂した。北朝鮮は国内に、最高指導者が、長年の敵だと市民に教えてきた米大統領と抱擁し、談笑する姿まで流してしまった。
今、北朝鮮外務省を率いるのは、外交官経験がない李善権外相と、米朝協議で謎の通訳といわれた崔善姫第1外務次官だ。6者協議に参加した経験がある日本政府の元当局者は「崔は元々、交渉を金正日総書記らに報告する役割を担っていた人物。対米外交を仕切るほどの知見があるとは思えない」と語る。
北朝鮮の金与正党副部長は昨年7月の談話で、米国が北朝鮮敵視政策を撤回しない限り、米朝協議を開く必要がないとの考えを示した。バイデン政権は今年1月の発足後、北朝鮮に対話を呼びかけているが、北朝鮮は応じていない。
脱北した元労働党幹部は「宿敵である米国と握手するには、市民を納得させられるだけの対価が必要だ」と語る。北朝鮮は2019年2月の米朝首脳会談では、国連による制裁の大半を解除するよう求めた。このぐらいの対価が得られる見通しがなければ、北朝鮮は米朝協議の席にはつかないだろう。
では、ブリンケン長官が語った「実用的なアプローチ」とは何だろうか。
歴代米政権は北朝鮮側に事前に手の内を読まれることを警戒し、北朝鮮政策の詳細については説明を避けてきた。5月3日に行われた日米外相会談の結果、バイデン政権が北朝鮮の非核化を目標としていることは確認できた。茂木敏充外相も記者会見で「全ての大量破壊兵器及び、あらゆる射程の弾道ミサイルのCVID(完全で検証可能、後戻りしない非核化)という目標」で一致したと語った。
北朝鮮も今後、「実用的アプローチ」が何を意味するのか確認するため、一度は米国との協議に応じるかもしれない。ただ、バイデン政権は、事実上の核保有国になった北朝鮮が直ちに非核化に応じないという現実を知っている。「実用的なアプローチ」は、北朝鮮が受け入れられる現実的な要求を積み重ねていくということだろう。
だが、そうなると今の北朝鮮が応じられるのは、既に公開されている寧辺核関連施設の放棄ぐらいしかない。19年2月の米朝首脳会談でも、米側が事前に「寧辺だけの放棄では合意できない」と伝えていたのに、正恩氏は「寧辺だけの放棄」にこだわった。それ以上の譲歩を嫌がる労働党や軍の既得権層が、正恩氏に正確な情報を報告しなかったか、あるいは譲歩をしないようクギを刺していたとみるべきだろう。
当然、北朝鮮が得られる対価も小さくなる。バイデン政権も国連制裁を維持する考えを繰り返し、示している。日本政府の元当局者は「米国から得るものが少ないなら、米中対立を利用して中国から支援を得ようと考えるのではないか」と語る。正恩氏は3月、習近平中国国家主席との間で親書を交換。北朝鮮は国連の場で、国際社会による香港や新疆ウイグル自治区の人権問題への批判の動きを「中国への内政干渉だ」と主張するなど、中国に接近している。
バイデン米大統領は北朝鮮や気候変動などの分野では中国との協力が可能だとの考えを示している。韓国の文在寅大統領も4月、米ニューヨークタイムズとのインタビューで米国に中国との協力を呼びかけた。
だが、北朝鮮問題で米中両国が協力する見通しはほとんど立っていない。米政府の元当局者はバイデン政権の北朝鮮政策について「目指している非核化のプロセスは、6者協議でジョージ・W・ブッシュ政権が採った政策とほぼ同じだ。ただ、明確に違うのは、ブッシュ政権は中国との協力を模索したが、バイデン政権はそう考えていないということだ」と語る。
元当局者によれば、バイデン政権は、過去の歴代米政権が北朝鮮政策だけを独立した問題として扱ったため、非核化に失敗したと分析しているという。「バイデン政権は、北朝鮮政策をインド太平洋戦略の一部として位置づけている。中国を抑止するなかで、北朝鮮も抑え込むということだ。中国が北朝鮮問題で米国に協力するという甘い見通しは持っていない」という。
結局、北朝鮮は新型コロナウイルスの感染拡大による経済難もあって、米中対立を利用して中国に接近していくだろう。北朝鮮は米国には配慮しないが、中国が設定する「レッドライン」は守るだろう。中国は過去、北朝鮮による核実験やICBMの発射に対しては、国連安全保障理事会決議に賛成せざるを得なかった。中国の国際社会での発言力を弱め、東アジアで米国の影響力を強めることになった。中国は北朝鮮による核実験とICBM発射は認めないだろう。
北朝鮮は大きな対価が望めないバイデン政権に魅力を感じていない。来年11月にある米中間選挙で民主党が敗北すれば、米国への薄い関心がさらに薄れることになる。「無条件での日朝首脳会談の開催」を求めている日本にも、引き続き、厳しい外交環境が待ち受けている。