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バイデン政権の速度に日本はついていけるのか 前駐米大使が心配する「議論ない日本」

揺れる世界 日本の針路 更新日: 公開日:
日米首脳会談後の共同会見に臨む菅義偉首相(左)とバイデン大統領=2021年4月16日、ワシントンのホワイトハウス、恵原弘太郎撮影

杉山晋輔(すぎやま・しんすけ)前駐米大使。1953年生まれ。77年、外務省入省。アジア大洋州局長や外務事務次官などを歴任。2018年1月から21年2月まで駐米大使を務めた。現、外務省顧問。

今年1月のバイデン大統領の就任式にも出席した杉山氏は、今回の日米会談について「菅義偉首相とバイデン大統領との個人的な信頼関係が構築された」と評価する。3月16日の外務・防衛閣僚協議(2プラス2)の共同声明を経て、首脳会談では「日米競争力・強靱性(コア)」と「日米気候」の両パートナーシップも立ち上げた。「日米首脳会談は、両国が今後進むべき大きな方向性を示した」と語る。

ただ、「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記し、中国から反発を浴びたこの合意を巡って、日本の専門家や財界などから「台湾有事に日本が巻き込まれるのではないか」「安全保障は米国に頼り、経済は中国との関係を重視するという従来のすみ分けが通用しなくなる」といった懸念の声も出ている。

杉山氏は「まず、間違えてはいけない前提がある」としたうえで、「米国は同盟国。中国は歴史的にも地政学的にも重要な隣国だが、同盟国ではない。米国と中国のどちらを選ぶのかという議論はあり得ない」と語る。「2プラス2共同声明も日米首脳共同声明も、最近の中国を巡る情勢を踏まえて作られた。安全保障や経済を巡る日中や米中の関係には変化が起きるだろう。日本のサプライチェーンを巡る問題も出てくる」とも予測する。

同時に、杉山氏は日米首脳会談は方向性を示したものであり、日本が具体的にどのような政策を取るかは今後の課題だとの考えを示す。「すべて米国の言いなりになる必要はない。中国との関係を考えてみても、米国と日本の国益は異なっている。日本が米国に対し、積極的に自らの政策を提案する姿勢が重要だ。『米中にはさまれて困る』という発想では、物事は解決しない」と語る。「今回の首脳共同声明をみても、日米はお互いに信頼する対等の関係になったと言える。それだけ、日本は自分たちの政策に責任を持つ必要がある」

杉山駐米大使(当時)=2021年1月、ワシントン、ランハム裕子撮影

そして、杉山氏の目には、バイデン政権の動きがかつてないほどの速さに映っている。「東アジア・太平洋を担当する国務次官補が正式に決まらないうちに、ブリンケン国務長官が日本にやってきた。すでに気候変動サミットも主催した。従来では考えられないスピードだ」と語る。

杉山氏によれば、歴代の米政権には、就任後100日間程度は、野党やメディアが政権批判を控える「ハネムーン期間」があった。逆に、新政権はこの間、前政権の政策見直しなどを行うため、政策に大きな動きも見られなかった。

■高齢大統領は急いでいる

だが、米国では、78歳という大統領の年齢から、バイデン政権が1期限りになるとの見方が根強い。1年半後には中間選挙も行われる。杉山氏は「全議席が改選される下院では、民主党が3議席しか上回っていない。3分の1が改選される上院も民主と共和両党が50議席ずつを分け合っている。いずれにしても、中間選挙が終われば、次の大統領は誰になるかという話題が大きくなっていくだろう」と語る。「バイデン大統領の考えはわからないが、民主党が中間選挙で勝利するためには、この1年半のうちに具体的な成果を上げる必要がある。必然的にバイデン政権の動きは速くならざるをえない」

防衛省防衛研究所の高橋杉雄防衛政策研究室長も4月22日付の論考「NIDSコメンタリー」のなかで、今回の日米首脳共同声明が2つの付属文書も含めて計10ページに及ぶことに着目する。オバマ政権当時も最初に訪米した海外首脳は麻生太郎首相だったが、当時は共同声明はなかった。高橋氏は「今回の首脳会談が、『最初の顔合わせ』という儀礼的なものではなく、実質的な政策調整のために行われたことを反映した」と指摘する。

実際、日米首脳会談で新たに立ち上げた「日米気候」パートナーシップの分野でも、新たな動きが早速始まった。バイデン政権は4月22、23の両日、気候変動サミットを主催。温室効果ガスの排出量について、2030年までに米国は2005年比で50~52%を、日本は13年比で46%をそれぞれ削減するという野心的な目標をそれぞれ掲げた。杉山氏は「中国は2015年のパリ協定で自発的な目標を掲げたが、それ以上の前向きな数値を示していない。日米が協力して、中国に更なる努力を促すことが重要だ。今回はその一歩と言えるだろう」と語る。

日米首脳会談後に共同会見をする菅義偉首相(左)とバイデン大統領=2021年4月16日、ワシントンのホワイトハウス、恵原弘太郎撮影

バイデン政権は今後、香港や新疆ウイグル自治区を巡る人権問題や台湾海峡などでも、具体的な行動に出る可能性が高い。一部の専門家の間では、「日本も独自制裁の行使も含めた新たな人権外交を模索すべきだ」「台湾有事に備え、国家安全保障戦略や日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定に踏み込むべきだ」という声が出ているが、日本全体を巻き込んだ議論にはなっていない。

逆に、日本では新型コロナウイルスの感染拡大防止の議論や東京夏季オリンピック・パラリンピックの開催問題、経済復興に視線が集中している。今後は秋に任期満了を迎える衆議院の解散への関心が高まりそうだ。日本の政界では、今回の日米首脳会談について、菅政権の支持率上昇につながるかどうかという点だけに注目が集まり、杉山氏が語る「日米首脳共同声明を、具体的な政策にどう発展させるのか」という議論はほとんど見られない。

杉山氏は2月、駐米大使の任を終え帰国した。「民主主義の成熟度やメディアの役割などの点で、日米にそれほどの違いはない」と語る一方、「米国では企業関係者や地方の政治家、様々な専門家に至るまで日本の外交に関心を示し、トランプ政権の対中政策を議論していた。日本に帰国した後にあいさつした、様々な分野のリーダーたちも危機感を持っているが、国民的な議論までは感じられなかった」と話す。「日本は全体主義国家ではないから、国論を統一することはできない。最後は多数決で決めるしかない。でも、民主主義国家なのだから、国民の議論が政策決定の前提にならなければならない」

米インド太平洋軍のデービッドソン司令官(当時)は3月9日、米上院軍事委員会の公聴会で「6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある」と証言した。台湾有事は日本有事につながると予想する専門家も多い。議論がないまま、事態だけが速く進めば、日本は自衛隊に十分な権限も装備も持たせないまま、その日を迎えることになる。そのときになって、追い詰められた政治家が「超法規的措置による解決」を訴えたとき、有権者はそれを批判できるだろうか。