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月面探査競争に名乗り上げたトルコの本気度 気になるイーロン・マスクと大統領の接触

トルコから見える世界 更新日: 公開日:
「謎のモノリス発見」と報じる国営アナトリア通信のホームページ(英語版)

■陰に隠れた宇宙開発計画

「大空を見上げ、月を見よ」

2月9日、エルドアン大統領は、トルコ初の「国家宇宙計画」発表の場で、誇らしげに読み上げた。背景に映し出されたのは、荒涼とした大地に立つ高さ3メートル、幅1メートルの金属製の柱。そこに古代トルコ語で刻まれていた言葉が、この計画のキャッチフレーズだった。

この柱は、発表の4日前、トルコ南東部の世界遺産「ギョベクリテペ遺跡」付近で発見された。昨年、アメリカを始めルーマニアなど世界各地で「モノリス」に似た謎の柱が発見され話題となり、人々の宇宙への想像力を掻き立てた。「今度はトルコに出現!」と、世界的に報道されたものの、エルドアン氏の発表後、モノリスはこの計画に注目を集めるための政府の演出だったことが判明。世界の関心は一気に引き、皮肉にも「トルコ初の宇宙計画」は、完全にモノリスの陰に隠れてしまった。

「モノリス」が現れたシリア国境のシャンルウルファ県には、「世界最古の大学」と言われる「ハラン大学」の遺跡が、今も残っている。ここで9世紀頃に活躍した天文学者たちは、西洋の天文学にも大きな影響を与えたと言われている=近内みゆき撮影

さらに、この日は、アラブ首長国連邦(UAE)の火星探査機が火星の周回軌道に到達するニュースが報じられた。アラブ圏初となる快挙を成し遂げ、トルコの地政学上のライバルでもあるUAEが世界の耳目を一気にさらっていった。この探査機は、昨年7月、日本のH2Aロケットで種子島宇宙センターから打ち上げられたものであったため、日本でも高い関心が寄せられた。

こうしたタイミングの中でエルドアン氏が発表した10項目の10年計画は、外国メディアでは主に以下の2点が淡々と報道されるにとどまった。

一つは、トルコ建国100周年の2023年に、国産ハイブリッドロケットを外国の協力のもとに打ち上げ、月面へ叩きつけるように着陸する「硬着陸」を行うというもの。もう一つは、28年までに国産ロケットを独力で打ち上げ、月面には逆噴射して速力を抑えながら緩やかに着陸する「軟着陸」を行い、探査機を降ろし月面調査を行うというものだ。いずれも無人飛行を想定しており、具体的な予算や方法については言及されなかった。

「この計画で、トルコは世界的な宇宙開発レースのトップ集団の仲間入りをするだろう」と自信を見せるエルドアン氏だが、「宇宙先進国」と肩を並べることを本気で想定しているのだろうか。そして、なぜ今、宇宙を目指すのか。

 ■すでに進む各国の月探査計画

トルコの「国家宇宙計画」を発表する宇宙技術研究機構のホームページ

トルコの宇宙開発力は、主要国に比べ遅れをとっているのが現実だ。ロケット打ち上げシステムは持たず、宇宙開発では米ロ中のほか、日本やEU、インドなどに大きく水をあけられている。

月を巡る国際競争はすでに激しさを増しており、月の水資源や土などの研究も急速に進んでいる。アメリカは、「アポロ計画」以来約半世紀ぶりの有人月面着陸を行う「アルテミス計画」を主導。日本などとともに、新型の有人宇宙船と大型ロケットで月に向かう予定だ。日米などが協力して建設する月の上空を周回する有人基地「ゲートウェー」を中継地として、24年にも、宇宙飛行士の月面着陸を目指している。

一方、中国は、2019年の始め、無人探査機「嫦娥(じょうが)4号」を月の裏側に世界で初めて軟着陸させ、探査車による調査に成功。さらに、昨年末には「嫦娥(じょうが)5号」が米、旧ソ連に続き44年ぶりに、月面の岩石や土壌サンプルを持ち帰ることに成功した。

ロシアと中国は今年3月、月面や月の軌道上での探査を行う「国際月科学研究ステーション」の建設に向けた協力を進める覚書を締結、宇宙開発で主導権を握っていく姿勢をアピールした。

トルコは、これまで月面探査に関して具体的な動きは見せておらず、「23年に月面硬着陸、28年に軟着陸」という目標は、世界水準からみるとインパクトは薄い。

宇宙開発への投資にも、高い関心は寄せられてこなかった。OECDの2020年報告書によると、2019年のGDPに占めるG20各国の宇宙予算は、アメリカの0.24%を筆頭に、ロシア(0.18%)、サウジアラビア(0.13%)と続き、トルコは18位で0.003%。トルコとサウジアラビアの2019年の名目GDPはそれぞれ7,600億ドルと7,900億ドルとほぼ同じ中、宇宙開発予算の割合の違いが歴然としている。宇宙開発に関する論文引用数も、トルコは17位にとどまっている。

■「なぜ今、月へ」裏にある国内事情

トルコのエルドアン大統領=2017年、トルコ・イスタンブール、杉本康弘撮影

2023年10月29日は、トルコの建国100周年記念日に当たる。そのため、エルドアン氏はこの年をことのほか重視している。さらに、大統領選が行われる年でもある。23年を目標に政府は、トルコ全土をつなぐ高速鉄道網やトルコ初の原発など、様々なメガ・プロジェクトを進めており、その完成記念式典を建国記念日に大々的に行いたい意向だ。エルドアン氏が様々な場で表明して来た「世界経済大国トップ10入り」の目標も、この年に照準が当てられている。月への着陸の狙いも、この一環と言える。

だが、そもそもなぜ月を目指すのか。トルコ語紙「ヒューリエット」のインタビューで、「月探査はすでに様々な成果が挙げられている。トルコは月で何をするのか」という問いに対し、宇宙庁のユルドゥルム長官は「月を目指すことで、通信やナノ・テクノロジー、ロボット開発など、技術の進歩につながり、世界レベルに到達することができる」と答えるにとどまった。目下、「月に行くこと」自体が目標であり、世界の「宇宙先進国」と互角に肩を並べるということよりも、国内向けに成果としてアピールしたい意図が透けて見える。

■宇宙庁創設、紆余曲折の道のり

トルコの宇宙開発の牽引力と期待される宇宙庁は、構想から約30年の時を経て、2018年12月に創設された。だが、その後は目立った動きはなく、長官任命は翌年の8月。「国家宇宙計画」発表までには、2年以上の歳月が流れた。

なぜか。トルコでは1990年代から、現政権が誕生した2002年以降も、宇宙研究の統括機能を持つ宇宙庁の設置は模索されてきたものの、主導権を握るのが軍か文民かを巡り、決着がつかず実現に至らなかった背景がある。そうした中、宇宙開発のための研究機関が国防省や軍、産業技術省のもとに作られ、それぞれが独自研究を進めた。

さらなる遅れの原因でもある一方、創設の契機にもなったのは、2016年のトルコ軍の一部によるクーデター未遂事件だった。宇宙開発の核となる空軍の中に事件関与者が多く、逮捕・拘束者の中には長年、宇宙開発計画に関わっていた人材も含まれていたのだ。空軍の大幅人材不足により、一時期は戦闘機パイロットも退職者の再雇用などで穴埋めしていたが、政府は急ピッチで空軍立て直しに着手。18年の総選挙に向けた与党公約には、文民主導の下での「宇宙庁創設」を掲げた。

さらに、18年7月には、それまでの議院内閣制から、大統領に大きな権限を与える大統領制に移行。対米関係悪化による経済への大打撃もあった時期だが、同年12月、大統領令で宇宙庁創設が実現した。しかし、その後は宇宙空間よりも、国内政治や周辺地域での「テロとの戦い」などに追われ、宇宙開発の優先順位は下がっていったようだ。

■協力相手に名が挙がるイーロン・マスク

イーロン・マスク氏=2016年、宮地ゆう撮影

欧米に比べ、民間の宇宙産業が育っておらず、宇宙競争から遅れをとっているトルコだが、衛星開発は90年代前半から比較的力を入れてきた分野だ。現在稼働中の衛星は、民生用の通信衛星3基と軍事通信衛星3基。さらに、今年1月には通信衛星が、アメリカの民間宇宙開発企業スペースX社の協力で打ち上げられた。仏企業と協力して作り上げた人工衛星で、今年下半期にも運用開始を予定している。

残り2年半という短い期間で、月への到達を実現するには他国との協力が欠かせない。こうした中、トルコの協力相手に関心が集まっている。エルドアン氏は、スペースX社創業者であるイーロン・マスク氏と2017年から複数回協議し、衛星打ち上げの協力で合意。今年も年明けに電話会談し、トルコ企業との技術協力を打診した。スペースX社は民間人を乗せた月周回旅行を2023年に計画している。不安定な経済状況の続くトルコにとって、格安の打ち上げを実現する同社は魅力だ。同社との協力で、年内にもう一つの衛星打ち上げも予定している。

一方、トルコの宇宙計画が発表されるや否や、ロシアの国営タス通信は、「トルコがロシアとの協力に強い関心を示している」とし、両政府の間で、宇宙開発協力に向けた協定の準備が進んでいると報道、トルコのアメリカへの接近をけん制した。さらに、ロシア宇宙庁からの歓迎のメッセージも加えた。

目下、協力相手について、「様々な可能性を検討中」と慎重な立場をとるトルコは、今年に入り欧米との関係改善に急速に重心を移している。軍事専門家の中には、「軍事・安全保障分野へも大きな影響力を持つ宇宙開発でロシアと組むことになれば、(露製ミサイル防衛システム)S400購入問題に続き、アメリカの反感を買うのでは」と懸念する声もある。

28年には国産ロケットの独力での打ち上げを目指しているトルコにとって、宇宙船やロケットの発着場となる「スペースポート」建設も課題だ。政府は「トルコの地形はロケット発射地として適していない」とし、海外に目を向けている。そうした中、現在、最も有力視されているのが、「アフリカの角」ソマリアだ。ソマリアは赤道に近く、トルコが海外に有する基地の中でも最大規模の軍事訓練基地を持つ。400ヘクタールの広さを誇り、主にソマリア兵の訓練を行っている。2011年のエルドアン氏の訪問以降、両国は経済、軍事、教育など様々な分野で関係を深めている。トルコの衛星技術者は、「ソマリアであれば、インド洋に向け、我々の希望する方向に打ち上げることができる」とその有効性を指摘する。建設と維持費で約3億5千万ドルとの試算もある。

■国民は「月よりも、我々を見よ」

宇宙開発計画発表を受け、人々の間には「これこそ新たな雇用を生み出し、頭脳流出を食い止める素晴らしい計画」、「宇宙開発の波に遅れては後々トルコが弱い立場になる。今こそ投資を増やし技術向上を目指すべき」など支持する声もあった。だが、街頭インタビューでは、「(コロナ禍の措置で)もう1年近く店を閉じたまま。月に行くより先に、足元でやるべきことがたくさんある」、「毎日の生活も不安でいっぱいなのに、宇宙に、月に、今何の用があるのか」、「『空を見ろ、月を見ろ』の前に、我々のこの苦境を見ろ!」など、厳しいコメントが相次いだ。政府主導の宇宙開発計画は、コロナ禍の今、市井の人々の心には響いていないようだ。

こうした逆風の中でも、宇宙庁長官はトルコの強みとして、国産のロケットエンジンが完成間近であることを挙げる。液体酸化剤と固体燃料の2つを組み合わせたハイブリッドエンジンを自前で生産できることで、開発予算を大幅に減らせるとし、宇宙競争に乗り遅れながらも、トルコの「スタートラインの高さ」を強調する。

一方、同長官も「予算確保よりも喫緊の課題」と認めるのは、トルコの頭脳流出だ。トルコ統計局によると、2019年にトルコを離れた人は約33万人。うち20歳~34歳が全体の4割を占めていたといい、理由として「より良い雇用、教育を求めて」「より自由な環境で生活したい」などが挙げられている。頭脳流出は大学教員の中でも起きている。

こうした懸念を払しょくするべく、政府は、海外からの研究者を対象にした研究助成金を拡大するなど、あの手この手で呼び込みを図っている。宇宙工学を学ぶ博士課程の学生を対象にした留学支援プログラムや、宇宙開発を研究する大学への投資拡大などもその一環だ。

世論調査では与党の支持率に陰りが見えてきたと指摘される中、2023年に予定されている大統領選挙と国会議員選挙の前倒しもささやかれ、今後ますます国内政治が重視される兆しが見える。欧米との関係改善に踏み出したトルコだが、肝心の経済はコロナ禍も相まって低迷が続き、中銀総裁の更迭劇などで通貨リラ相場も不安定な状況が続いている。トルコの宇宙開発に関する報道は、にわかに盛り上がった2月に比べ、3月以降は下火になっている。

エルドアン氏は、「宇宙に存在感を示せない者は、地球上で発言権を持たない」と述べている。同氏が最重視する建国記念日100周年まで、残された時間はあと2年半。「グローバル・パワー」から、さらに「スペース・パワー」を目指すトルコの野心は、果たして宇宙へ届くだろうか。