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「食」を考えるアート フードプロセッサーは身体の一部なのか

アートから世界を読む 更新日: 公開日:
永田康祐《Purée》2020
《Purée》2020

義足のアスリートが、100m走で健常者のアスリートのチャンピオンよりも早く走ることが目標“義足開発ベンチャー パラアスリートが健常者を超え、世界最速へ”『事業構想』2018年5月号

株式会社Xiborg(サイボーグ)を立ち上げ、競技用義足を開発してきたエンジニア遠藤謙はそう語る。2016年のリオパラリンピックでは、同社開発の義足ジェネシスを装着した佐藤圭太選手が100mでアジアと日本新記録を、400mリレーでは日本新記録を出し、銅メダルを獲得した。

遠藤の目標が達成される未来は早晩やってくるだろう。それは私たちに個のもつ身体についての再考を促すだろう。

《Purée》展示風景 2020
展示風景 2020 撮影:守屋友樹

永田康祐の個展「イート」は、料理を主軸としながら、人間の身体や言葉、テクノロジー、アイデンティティなどについて思いをめぐらせる、知的な刺激とイマジネーションに満ちた展覧会だった。

約35分のビデオ作品《Purée》(ピュレ、2020)では、料理をテーマの中心に据えながら、身体と精神、道具やテクノロジーとの関係が語られる。映像にはさまざまな料理を調理するプロセスが映し出される。

永田康祐《Purée》2020
《Purée》2020

食物を手掴みし、歯で嚙みちぎるという食事法が続いていたヨーロッパにおいて、17世紀後半、貴族の食卓にピュレやムースが登場した。食材をすり潰し、なめらかなペースト状に調理するピュレ作りの工程は、人の咀嚼(そしゃく)や消化などの身体機能を代行するものだといえる。こうして身体と食事との野蛮な関わりは抑制され、人間は舌と視覚を通して味わう抽象化された精神的行為のみに集中する。永田は調理を「外化された生理機能」と表現し、人間の身体の純化(ピュレ)と外部化された身体としての器具を対比させる。

また永田は、18世紀以降のテーブルナイフとフォークの普及によって人間の嚙み合わせが大きく変化したことを指摘した人類学者C.ローリング・ブレイスの説を紹介する。道具の出現は人の骨格を変えるほどの影響を及ぼした。それは同時に、身体的機能が道具に奪われたことを意味している。

さらに1970年代から普及した家庭用フードプロセッサーは、かつて奴隷や召使が調理場で長時間かけて行った作業をいともたやすく遂行できるようになった。テクノロジーを自らの身体として機能させる人間の、自他の境界の揺らぎを永田は見つめる。いったいどこまでを「自分」であるといえるのか。

永田康祐《Purée》2020 展示風景
展示風景 2020 撮影:守屋友樹

ダナ・ハラウェイは、現代人は機械と生物の混合体(キメラ)であり、すでにサイボーグであると主張したが(「サイボーグ宣言」1985)、永田は食を通してグロテスクなキメラの姿を立ち上がらせる。そこには野蛮と洗練、肉体と精神、支配と依存、自己と他者の危うい境界が見え隠れする。貴族がフォークを使う様を描写した風刺作家トマ・アルテュによる文章を永田は引用しているのだが、アルテュの強烈な偏見と侮蔑に満ちた視線には居心地の悪さを覚える。それは現代に例えるなら、クローン技術や人工子宮への保守派の反発を見聞きすることに似ているかもしれない。

永田康祐《Purée》2020
《Purée》2020

しかし辛辣な分析とは対照的な印象を見せるのが、淡々と調理の様子を表す映像である。自然光が差し込む明るく清潔で機能的な調理台と調理道具、小気味よく切られる肉や野菜、ミキサーやフードプロセッサーでなめらかにされていく具材、完成した料理が美しく皿に盛られ、テーブルで食される様子に魅了される。

巧みに料理する手が実は永田自身のものであることは特に明かされないが、人間の確かな身体が眼前にあり、道具を含めた調理の工程がさらけ出されていることは、この作品のもつ強さとしなやかさである。脳で解釈する論理的内容(それは論文に近い)の抽象性を、人の手と食物の物理的関わりが補完する。調理のエンターテイメント性が目を楽しませ、舌の快楽を誘引する。

永田康祐《Purée》2020
《Purée》2020

もう一つのビデオ作品《Digest (Translation Zone)》(2020)は、キュレーションと制作の新たな形を提案する意欲的な試みであった。作品の中で、本展覧会の企画者であるキュレーターの長谷川新が、永田の映像作品《Translation Zone》(2019)に関して自らが執筆した解説文を朗読している。

《Translation Zone》は「あいちトリエンナーレ2019」に出品された食と翻訳をテーマにした作品である。炒めた飯の呼称であるFried Riceと炒飯、ナシゴレンが、同義語として用いられる場合とそれぞれ独立性をもつ場合、混在する場合など、永田は文脈によって生じる変化のダイナミズムに着目する。

また映像の中で、調理の場面とともに紹介される「うどんを代用したパッタイ」は、レヴィ=ストロースが「ブリコラージュ(器用仕事)」と呼んだ、ありあわせの素材を使って流用する思考方法の例といえるだろう。永田は文化や歴史と密接に関わる食の個別性および大胆な応用性について、言語の翻訳と比較しつつ分析する。

永田康祐《Digest (Translation Zone)》2020
《Digest (Translation Zone)》2020

長谷川の解説によってまとめられた「Digest(ダイジェスト)」には、「要約」と「消化」の意味が重ね合わされているだろう。キュレーターによる見る人への解説であると同時に、長谷川が《Translation Zone》をどう食し、消化(解釈)したのかを彼の「介入」を含めて示すものだ。長谷川は数冊の小説から食に関する場面を引用することで、新たな風景を作品に挿入している。

この「共作」には、主体のありかや境界の脆弱性に関心をもつ永田の指向が表れている。誰がキュレーターで誰が作り手か、作品と批評に違いはあるのか、制作と鑑賞は分けられるのかなど、展覧会や表現の「型」を再考し、それを超越する方法を探る試みとして、特筆に値する内容であった。

展覧会情報

永田康祐「イート」
2020年11月27日〜 2021年3月5日(終了)
東京・gallery αM