中東湾岸地域の仮面文化の起源ははっきりしない。イラン南部のゲシュム島には、16世紀に島を含むイラン南部一帯を占領したポルトガル人から現地の若い女性を守るために、遠目に男性に見えるような口ひげ型の仮面を着けさせたことに始まったという伝承が残る。一方でインドやアラビア半島発祥など諸説ある。
国や時代によって仮面のもつ意味は変遷している。オマーン帝国下で海洋都市として栄えたマスカットや東アフリカ地域では、仮面はアラブ系の支配階級の女性だけに着用が認められていたため、20世紀半ばに奴隷制度から解かれた女性たちがこぞって仮面を身につけた。バーレーンでは逆に、外出する機会の多い身分の低い女性たちを中心に仮面は着用されてきたという。
湾岸アラブ諸国やイランでは、1970年代より前は、仮面着用が慣習化されていた。女性の希望にかかわらず、初潮を迎えるか結婚すると、仮面を着ける決まりだった。ところが、近代化が進み、アラブ首長国連邦のドバイなどで、仮面は「古い文化」と位置づけられるようになった。後藤さんは「伝統的な仮面の着用は女性の意志が強くないと続けられないこと」と話す。夫や子どもたちから「古くさいから取ればいいのに」と言われても、「私のアイデンティティーの一部だから!」と仮面を着け続ける女性に多く出会ったという。
仮面は、年齢とともに面積が大きくなっていくのが一般的だ。だが、ドバイの女性の間では、年配でもフレームが細くて顔の大部分が見える「ひげマスク」も人気だ。伝統を守りたい気持ちと、隠すべきシミやしわのない美しい顔を誇示したいという女性の美的欲求を同時に満たしているという。
ドバイにはまた、40代半ばなど、ある年齢に達してから仮面を着け始める女性も一定数いる。後藤さんは、「年齢を重ねた日本人女性が着物を着るようになる感覚に近い」と話す。身につけると食事が取りづらいなど不自由もあるが、母も祖母も身につけていた仮面を着けると、自国の伝統を継承している誇りがわき、外国人の数が自国民よりも圧倒的に多いドバイにあっては、周囲から尊敬のまなざしで見られることもあるという。
「仮面文化は数年先になくなると70年代から繰り返し言われてきたが、いまだに残っている。それは自ら選んで仮面を着ける女性たちがいるということ。その気持ちの背景には女性たちのアイデンティティーがあり、伝統や文化を次の世代に継承したい気持ちもあるのだろう」と指摘する。
ごとう・まなみ 1988年生まれ。東京外国語大学・日本学術振興会特別研究員。英国エクセター大学アラブ・イスラーム研究所名誉研究員。専門は湾岸アラブ諸国やイランの服装や装い、女性の民族誌などの湾岸地域研究。