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難民の夫妻、戦禍のシリアから「花咲く地」を目指した

Bestsellers 世界の書店から
相場郁郎撮影

本書『The Beekeeper of Aleppo』の主人公ヌリと妻のアフラは戦禍のシリアを脱出して英国を目指す。ひとり息子は爆撃で死亡し、その炸裂(さくれつ)でアフラは失明した。がれき化してゆく故郷アレッポに未練はない。芸術家のアフラにとって失明は致命的だったが、やがて不思議な洞察力が備わったようにヌリは感じる。

養蜂家のヌリは、母国からミツバチの羽音が消えてしまったことで生きる目的を失っていた。彼が養蜂の道に入ったのは、蜂蜜研究家である従兄ムスタファの薫陶を受けたせいだった。従兄は一足先に英国に避難しており、移動中のヌリを都度メールで励ます。

夫婦はトルコからギリシャへ向かうゴムボートに乗る。その際、モハメッドという孤児に慕われたヌリは、彼を英国まで連れてゆくことにする。以降、彼らはギリシャの孤島やアテネ、英国南岸の難民施設を転々とする。

ヌリにとって唯一の悲劇はアテネでモハメッドを見失ってしまったことだが、各国施設での暮らしぶりは興味深い。地中海経由で欧州を目指す難民はシリア人に限らずアフガニスタンや中近東・アフリカからの混成集団であり、言葉も習慣も違う。共通目的を持つ彼らの交友は本書の第2主題と言ってもいい。遅ればせながら第1主題は何かというと、それはヌリとアフラの愛である。故国シリアでぼろ切れのようになった2人はそのまま剥離(はくり)してもおかしくなかった。それを食い止めた新たな形の愛とは、失明したアフラをていねいに眺めるヌリの心にこみ上げるものと「不思議な洞察力」でもってヌリを感じ取り始めたアフラの発見とが共鳴したものだ。英国南岸の施設近くの診療所で、アフラの眼を検査しに行ったときのエピソードは、その辺りを浮き彫りにする転換点だろう。

アフラは自分の眼を診てくれた医者に対して不思議なことを言う。同伴していたヌリの存在を無視したかのような衝撃的な発言だった。それはアテネでモハメッドが行方不明になった謎を解く言葉でもあった。

2人の艱難(かんなん)の旅は、英国北部から迎えにきてくれたムスタファの登場で終わる。英国のミツバチに希望を見いだし「ミツバチのいる所には花がある。花咲く所には新しい生と希望がある」とメールでヌリを励ましていた従兄である。

■ジョン・ル・カレの最終作品

『Agent Running in the Field』(『スパイはいまも謀略の地に』早川書房)

最終シーンにおおいに心が揺さぶられた。昨年末に逝去した著者ジョン・ル・カレ(1931~2020)、今読み終えたのは彼がこの世に残した最後のパラグラフか――そうした感傷にひきずられた面もあるけれども、主要登場人物2人の別れの情景にル・カレの人生初期のようすが凝縮されているような気がして。ベストセラー作家としての華やかな側面ではなく、詐欺師だった父親から味わわされた悲哀、留学生時代英国情報機関にスカウトされ男性社会に抱擁されたように感じた高揚感などが、変奏の形で遺作のなかににじんでいることを、この最終シーンが気づかせてくれた。

さて、東欧・ロシアを専門とする諜報部員、語り手兼主人公のナット(ナサニエル)は最終勤務地モスクワからロンドンに帰任する。46歳になった彼はスパイとしては引退時期にあることを自覚する。だが意外なことに、最後の務めとしてロシアからの亡命スパイを扱う部署の立て直しを託された。「ポスト共産主義のロシアが、我々が託した希望と予想に反し、世界中の民主主義世界に対する露骨で現実の脅威としてうごめき出した」からだ。

ナットはテムズ南岸のスポーツクラブの会員で、同クラブのバドミントン・チャンピオンでもある。ある日、20代半ばのバドミントンにかけては自信満々の青年エドが、ナットとの手合わせを乞うてきた。年齢はナットの半分、身長は190センチ以上の青年ではあったが、円熟のプレーを見せるナットにはかなわなかった。その後、2人は良きパートナーとなり、プレー後もビールを片手に政治談義を楽しむ仲になる。エドは反ブレグジット、反トランプの立場からこんなことを言う。「世界中の自由民主主義世界を思うならば、トランプの時代に英国がEUから離脱し、過度にアメリカに依存することは取り返しのつかない、むちゃくちゃな話です」。ナットはそこに一本気で純粋な若者の姿を見る。

ナットがロシア部門の立て直しに苦慮するなか、EU(欧州連合)離脱で混沌(こんとん)とする英国へロシアがスパイを送り込んでくるという情報が入ってきた。ナットはその情報の詳細をさぐるために、かつて二重スパイとして利用していたKGB部員を訪ねてチェコへ飛ぶ。ロンドンに戻っては過去のスパイ仲間、かつての愛人だったドイツ人女性と密会する。この辺りはフランス映画「舞踏会の手帳」ならぬ過去の諜報ネットワーク再訪といった観があり、彼にとっては過去を反芻(はんすう)する機会となる。「女王陛下に仕えた諜報部員」であった自分の仕事の意味とは何だったのか、彼は自問する。

往年の作品群に比べるとアクションに乏しい本作品も、半ばを過ぎた辺りからにわかに動き出す。スパイ活劇的要素は薄いものの、もはや東西二元論で語れなくなった冷戦後、「最後のおつとめ」を果たそうとする主人公の内省と逡巡(しゅんじゅん)という、これまでのル・カレ作品にはなかった側面があり、脇役としての思慮深い妻、人権弁護士でもあるプルー(プルーデンス)、一筋縄ではゆかぬ大学生の娘ステファニーなどが広げる家庭内ドラマもふくらみを与えている。年齢を加えるに従って舌鋒鋭くなってきた彼の、政治・社会批判が読み取れるのも小気味良い。

当地では「ブレグジット・ノベル(EU離脱小説)」という宣伝文句をかぶせられていたが、マーケティングとしてはきわめて軽薄かつ不必要だった。ル・カレの最終作品らしい深味のある、おそらくは最も人間的な作品を残してくれた。ジョン・ル・カレの筆名で世界の読者を楽しませてくれたデイビッド・コーンウェル、彼は89歳で世を去った。

■読むとロンドンの景色が違ってみえる

Bernardine Evaristo『Girl, Woman, Other』

2019年ブッカー賞受賞作。 選考規定には受賞作は1作のみとあるところ、前代未聞の2作受賞となったうちの片方である(もう1作はマーガレット・アトウッドの『The Testaments』、邦訳『誓願』)。

本書の主人公はロンドンを中心とした英国に住む12人の女性たち。1人目のアンマから12人目のグレースまで、それぞれ別のエピソードに分かれ、短編小説ないしはミニ伝記を束ねたような、さながらオムニバス。彼女たちの共通点は女性であることのほかに黒人であること(唯一ペネロピが例外。とはいえ白人の彼女も生まれ育ちは南アフリカ)。それ以外に職業や境遇、世代もバラバラだ。たとえばアンマは50代の劇作家であり、ブミはナイジェリア移民で清掃婦、ラティシャはスーパーマーケットの在庫管理人。キャロルはシティーの銀行に勤める若いキャリアウーマン、等々。

けれども12人の女性たちは互いにつながっている。母と娘のような同一家族の成員、あるいは高校時代に同級生だったり、日常の生活現場で袖振り合わしてつながったり。たとえばキャロルの母親はブミであり、アンマはウィンサムの親友で、ブミに掃除を頼みに来たシャーリーはブミの娘キャロルの学校の教師だった(シャーリー本人は気づいていない)。そしてキャロルは高校時代に親友だったラティシャは今頃どうしているだろうと金融街で思いをはせる――同じ頃ラティシャは青い制服を着てスーパーの野菜売り場で働いている。そんなエピソードに事欠かぬシンフォニックな物語である。

読み進めるうちに、黒い肌の女性という共通点のほかにもうひとつ共通点があることに気づく。それぞれ何らかの被抑圧体験をしている点。例えばキャロルは裕福白人の多い大学に通っていたとき、出自の違いから劣等感に悩まされる。清掃婦のブミはナイジェリア最古の大学を優秀な成績で卒業したが、ロンドンっ子に馬鹿にされることに腹を立てる。さらには黒人女性同士の交友だけではなく、相手をさげすんだり、張り合ったり(学歴の誇示、黒い肌の濃度比較、裕福度合いのチェック)などのリアルな側面は各章を生き生きと際立たせる。

さかしら顔で距離を置いて本作品を眺めれば、ブラック・ライブズ・マター(黒人差別抗議運動)とフェミニズム、そして格差問題を織り込んだ作品だ、などと評することは可能だが、いえいえ読み始めたらのめり込んでしまう。アフリカンとカリビアンの違い、居住区の違い、職業・年齢の違い、ものごとの見方、感受性の違いが、おのおの重要性を等分に与えられた12人が同量の声音で語られる。本書を読む前と読んだ後ではロンドンの景色が違って見えてくるだろう。

どう見たって大御所、受賞間違いなしのアトウッド女史の陰にうずもれさせてはもったいない、とブッカー賞選考員たちが粘りに粘っておきて破りも辞さず受賞させたその理由がわかる。

英国のベストセラー(ペーパーバック、フィクション部門)

1月9日付The Times紙より

『 』内の書名は邦題(出版社)

1 Where the Crawdads Sing

『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)

Delia Owens ディーリア・オーエンズ

湿地帯に暮らす崩壊家庭の孤独な娘カイアに殺人事件の嫌疑がかかる。

2 The Guest List

Lucy Foley ルーシー・フォリー

アイルランド沖の孤島で開かれた華やかな結婚式で起きた殺人事件。

3 Girl, Woman, Other

Bernardine Evaristo バーナーディン・エヴァリスト

2019年のブッカー賞受賞作。英国で暮らす黒人女性たち12人の生きざま。

4 The Beekeeper of Aleppo

Christy Lefteri クリスティ・レフテリ

戦禍のシリアを脱出して英国をめざす夫婦の物語。

5 Agent Running in the Field

『スパイはいまも謀略の地に』(早川書房)

John le Carré ジョン・ル・カレ

著者の遺作。退職間際のスパイが引き受けた最後の仕事はロシア絡み。

6 Queenie

Candice Carty-Williams キャンディス・カーティ=ウィリアムス

ロンドンの新聞社に勤務するジャマイカ系の娘が白人社会で人生を模索する。

7 The Girl Who Reads on the Metro

Christine Feret-Fluery クリスティーヌ・フェレフルリ

仏語からの翻訳。パリのOLジュリエットが不思議な本屋に迷い込む。

8 A Single Thread

Tracy Chevalier トレイシー・シュヴァリエ

第一次世界大戦で婚約者と兄を失った娘が、親から離れ独立の道を模索する。

9 The Confession

Jessie Burton ジェシー・バートン

幼い時に失踪した母を探すローズ。秘密を握るのはある小説家だと知る。

10 The Foundling

Stacey Halls ステイシー・ホールズ

孤児院に預けた娘を引き取りに来たベス。だが娘は誰かが連れ去っていた。