ヤヨ おんめでたいや
ヤヨ お獅子の舞でもあげましょうか
竹浦地区では正月になると、伝統の「春祈祷(きとう)」が行われ、祝い唄の「たんぶつ唄」とともに獅子舞が集落の家々を巡る。震災による被害でしばらくできなかったが、集落が移転して4年前に復活した。今年は新型コロナウイルスの影響で獅子舞が各戸を巡ることは見送られたが、集落の神社で奉納された。
震災前、60世帯以上あった竹浦地区の集落は津波によってほとんどが流された。太鼓の名手だった男性を含む15人が亡くなった。獅子頭をはじめ、獅子舞に使う道具もほとんど失われた。
復活にあたって獅子頭は新たに造り直された。だが、集落にはもう一つ、大切に保存されている獅子頭がある。震災直後に作られた「座布団獅子」。赤い座布団を折り曲げた顔に、空き缶の目玉とスリッパの耳。毛の代わりに荷造りヒモを留め着けてある。勇壮な顔立ちの現在の獅子頭と違い、きょとんと驚いたような愛嬌(あいきょう)のある顔立ちだ。
座布団獅子は、集落の住民が集団で避難した秋田県仙北市のホテルで震災の年の6月に生まれた。家族や友人、帰る家をなくし肩を落とす同胞を元気づけようと年配女性2人がひそかに作り、夕食後に座敷に飛び出して舞った。住民たちは涙を流して喜び、ホテルで借りた和太鼓を打ち鳴らした。
漁業関係者の多い竹浦地区で、海の安全や大漁、無病息災を祈る正月の春祈祷は重要な祭礼だ。新年にお神酒を飲んで顔を真っ赤にした笛や太鼓の囃子方(はやしかた)が獅子頭について夜通しで家々を巡る。縁側から入って座敷で舞うと、子どもたちは怖がって泣き、大人はそれを見て笑った。幼い頃から練習を重ねた笛や太鼓のリズムは人々の体に染みついている。
座布団獅子の誕生をきっかけに集落の住民たちの結束が一気に強まった。集落再建の議論も進んだ。「祭りなくして復興なし。あれが竹浦の復興の原点だ」と竹浦獅子振り保存会長の阿部貞さん(70)は振り返る。
竹浦地区は震災後に高台に移転した。だが、まとまった用地が確保できず集落は南北に分かれ、戸数も30戸余りに半減した。それでも正月には震災後に東京や仙台に移っていった元住民たちも戻ってきて一緒に獅子舞を楽しんでいる。今年は新型コロナウイルスの流行で帰省が難しいが、阿部さんは「新型コロナが早く収束して、来年こそは集まりたい」と願う。
座布団獅子は評判を呼び、各地のイベントに招かれた。避難先で世話になった仙北市の住民たちとは、今では家族のようにつきあい、交流が続いている。阿部さんは「震災でいろんな人と出会い、つながりも生まれた。生きている者としてそれを大事に、亡くなった人の分もできることをしていきたい」と話す。(渡辺志帆)