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「あんな経験は僕らだけで十分」増える外国人に居場所を、在日コリアンの奮闘

World Now 更新日: 公開日:
夜間学習教室「Minamiこども教室」で、日本語の勉強や小学校の宿題に励む児童

■自分の親の姿が重なる

「お店が休みになって収入がない状況ですって、書いてあるからね」。在日コリアン3世の金光敏さん(49)は10月上旬、大阪・ミナミの公民館で、フィリピン人女性にゆったりと話しかけた。

相談に来たムトウ・アナ・マリー・レイエスさん(38)は、2人の子を育てるシングルマザーだ。2010年に来日し、ホステスとして働いていたが、新型コロナの影響で収入が絶たれた。「周りに相談できる日本人はいなかった」。ひとり親への給付金があると教えてくれたのが、長男が通う夜間学習教室「Minamiこども教室」の金さんだった。

大阪市では、19年末時点で全市民の約5.3%にあたる14万5857人が外国籍の住民だ。人数、比率とも政令指定都市で最も多い。ミナミの繁華街がある中央区・浪速区は外国籍が約11%を占め、フィリピン人や中国人が集まる。

ひとり親への給付金の申請について、フィリピン人女性の相談を受ける金光敏さん(右)

金さんはコリアタウンがある大阪市生野区で生まれ育った。「日本語ができず苦労し、必要な支援にたどり着けない人を見ると、自分の親の姿と重なるんです」

戦中に大阪で生まれた両親は、学校に通えず、読み書きが苦手だった。父は日雇いの仕事で生計を立て、役場に行くと手が震えるほど緊張していた。やんちゃをして学校に呼び出された時、「自分に学がないばっかりに、何も教えてあげられなくて」と、教師に頭を下げた母の姿を、金さんは今も忘れられない。

「日本語が外国人が後回しにされない社会になってほしい」と話すMinamiこども教室の金光敏さん

金さんは在日コリアンの人権擁護に取り組み、13年、外国にルーツをもつ子に勉強を教えるMinamiこども教室を開いた。今では子どもだけでなく、親の生活相談も受ける。「あんな経験をするのは僕らだけで十分や」。外国人の居場所づくりに走るのは、そんな思いからだ。

■ルーツは後ろめたいものじゃない

大阪市に隣接する八尾市。駅に近い住宅街には、ベトナム名の表札を掲げた一軒家が立ち並ぶ。カラオケ店や料理店、寺の看板までベトナム語だ。

八尾でも、在日コリアンが多く暮らしてきた。ベトナム人が増えたのは1975年のベトナム戦争終結後。国を逃れた難民を市が受け入れた。最近は技能実習生も増え、85年に83人だったベトナム国籍の住民は20年10月時点で2099人になった。

ベトナムにルーツをもつ子どものためのベトナム語教室も開かれている。運営するNPO「トッカビ」は、差別をうけて非行に走るコリアンの子どもを支援するため、74年に発足した。コリアン以外の人たちにも目を向け、ベトナム語教室を始めたのは04年のことだ。

NPO「トッカビ」が毎週開く「ルーツ語教室」では、ベトナムにルーツをもつ子どもたちがベトナム語の読み書きなどを学ぶ

代表理事の朴洋幸さん(52)は98年、遊びに来たベトナム籍の小学生の名札に日本名が書いてあるのを見て、がくぜんとした。日本に来たばかりの子らが、もう日本名で暮らしている……。

在日2世の父と日本人の母をもつ朴さんも、子どものころ日本名で生活した。「韓国人と言うたらあかん」と母に言われ、韓国語教室にこそこそと通った。その原点は、日本が朝鮮半島を植民地化して推進した同化政策による「創氏改名」。第2次世界大戦後に廃止されたが、差別を恐れて多くの人が日本名を使い続けた。「学校でいじめられる、病院で名前を呼ばれたら一斉に視線が向けられる。まさにそれは、コリアンが本名を隠して生きてきた姿と同じだった」

大阪府八尾市のNPO「トッカビ」の代表理事を務める朴洋幸(パク・ヤンヘン)さん

ルーツは後ろめたいものではなく、強みだ。言語を学び、同胞と交流することは大きな武器になる。思いは伝わっている。教室を手伝う大学生レ・ホアン・ミイさん(21)もここで学んだ。「読み書きができるようになって、ベトナム語と自分のルーツを好きになれた」

■日本人も輪の中へ

ベトナム人が多く住む住宅街には、ベトナム語の書かれた寺もあった

大阪では被差別部落への差別で、日本人もまた苦しんできた歴史がある。まちづくりに携わる梅本直紀さん(56)は、「だからこそ、助け合う土壌がここにはある」と話す。防災訓練ではベトナム人会と協力し、高齢者や日本語ができない人をどう救うか話し合ってきた。コリアンたちが手を差し伸べ、広がった輪に、日本人も連なっている。

一方で、支援してきた側のコリアンの子どもの姿が「85年ごろ以降、見えなくなってきた」と朴さんは言う。本名を隠して生活する人たち、日本に帰化する人たち。日本人と結婚すれば、その子どもは自動的に日本籍になる。家庭での文化継承も薄れ、トッカビにもコリアンは集まらなくなった。「見た目では日本人との違いが分かりにくいので、隠そうと思えば隠し続けられてしまう。でも、いずれアイデンティティーを意識し壁にぶつかる時がくる。隠さなくても自分らしく生きられる社会であってほしい」。朴さんはそう願っている。

ベトナムにルーツをもつ子どもたちにベトナム語を教える「ルーツ語教室」。NPO「トッカビ」が毎週開いている

在日コリアンは、日本統治時代に朝鮮半島から日本に渡り、生活基盤を築いて定住した旧植民地出身者とその子孫の総称。現在では5世、6世が誕生し、国籍は韓国、朝鮮、日本など様々だ。韓国を支持する在日本大韓民国民団(民団)と北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が対立してきた歴史もあり、同じルーツを持つ人々として、両国を含めた意味を持つ英語の「コリアン」が使われることが増えている。

朝鮮人は1910年の日韓併合によって「日本国民」とされ、貧困から逃れるために日本で働いたり、労働力を補うため日本の軍需工場や炭鉱などに動員されたりした。だが、第2次大戦後の52年、サンフランシスコ講和条約の発効で日本国籍を失い一律に朝鮮籍とされ、「外国人」となった。

その後、65年の日韓国交正常化に伴い韓国籍のみを対象にした永住権がつくられ、多くの人が切り替えた。82年には朝鮮籍も含めた特例永住許可制度が設けられたが、いずれも永住権が与えられるのは申請者とその子どもに限定されていた。子孫までの永住を認めた出入国管理特例法成立したのは91年だった。

法務省によると、2019年末時点の特別永住者の総数は31万2501人。