■ポストコロナの社会 どう作るか
――新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)に対して、事務局長補としてどのようなことに取り組んでいるのでしょうか。
WHOは政策に三つの柱を掲げています。危機に適切に対応できるより強い社会を作っていく、基本的な医療をすべての人が経済的な重い負担なく受けられるようにするシステムを作る、そして、人々が生活している環境を改善することなどにより疾病を予防したり病気の深刻さを軽減したりして健康で幸福な生活に寄与する、この三つがあります。
私は三つ目の柱、広い意味でいう健康作り担当の事務局長補です。今回のコロナ関連では、水と衛生が十分ではない地域をどう支えるか、あるいは低栄養になってしまった人への対応、ヘルスワーカーも含めた多くの労働者の健康を守ることなどがあります。コロナへの対応の妨げになるような社会的な要因が人々の健康や命に様々な影響を与えています。それをどう改善するか、という立場にいます。
――コロナは病気としても深刻ですが、社会の様々な側面に影響を与えてもいます。
それぞれの国や地域が内在していた貧富の差や機会の格差、資源の格差といった問題が、コロナが起きたことでより顕在化、より深刻化したといえます。コロナでも公共交通機関を使って働き続けざるをえない人や、仕事を失うことですぐに貧困に陥ってしまう人がいます。子どもについても、家族の支援がなくなって教育が中断してしまったり、学校をやめなければならなかったりする子どもがいます。日本の大学生でもアルバイトができなくて授業料を払い続けられないという問題があります。そうした様々なひずみが、日本でも、世界でも起きています。
このような状況に対し、ポストコロナの社会をつくっていくにあたり、WHOは何ができるのか、ということが今の最大の課題だと思っています。社会のありようとして、どのような枠組みを作れるのかということです。
所得や住んでいる環境、労働環境など、様々なことが健康や寿命に深く関係します。病気のかかりやすさや心身の発達への影響もあります。そうした社会のありようをデータに基づきモニターし、エビデンスを集積するのがWHOの仕事で、各国や各地域の取り組みをどう分析して世界に伝えていくかというのが、私のポストの大きなチャレンジであり、使命です。
■生命線を担った連帯基金
――コロナ対策に向けた資金についてうかがいたいのですが、WHOはこれまで、民間企業や個人からの寄付は受け付けていませんでした。それを「連帯基金」を通して受け入れるようになった背景には何があったのでしょうか。
長い歴史を見れば、国際機関はトップドナーと呼ばれている大国の拠出に依存していました。拠出と言ってもWHOの場合は大きく二通りあり、一つが任意拠出と呼ばれて、各国、各機関が言わば自由裁量で出すお金があります。もう一つがいわゆる分担金ですべての加盟国にGDPに応じて割り当てられています。日本は高度経済成長期を終えて貿易大国になった時期に、大きなドナー国の一つになりました。
その後、2000年代ごろにかけてビル&メリンダ・ゲイツ財団などのフィランソロピーが拠出するようになりました。トップドナー以外に新興国の拠出も増え、ドナーが多様化してきました。
WHOの主な役割は世界の健康に関する基準や指針作りですから、民間企業からお金をもらうことで、WHOが作る基準の公平性や中立性が損なわれてはいけないという懸念がありました。その一方で、例えば(14年の)西アフリカでのエボラ出血熱の流行時には、対応の遅さに対してや、もっと直接現場で対応すべきだ、という批判もありました。最前線の課題にWHOが直接関わるべきだという議論があったわけです。
現在のテドロス・アダノム事務局長はエチオピア出身で、途上国の最前線をよく知っている人です。多様な資金を得ることの重要性も認識していますし、企業から資金を得たとしてもきちんとしたガバナンスや透明性を確保して、一線を画すことでWHOの活動の幅が広がる、という考えです。また、個人からの資金をいただくことも、WHOに対する理解を深め、色々な形で協力関係を結んで支援していただくことにつながると思います。連帯基金は、WHOに直接お金が来るわけではない形ですが、非常に大きな力になっています。
――集められた金額についてはどう見ていますか。
(10月21日時点で246億円で)これは非常に大きな金額です。多くの企業、多くの個人の方が迅速に反応してくれて、感染が拡大した4月、5月の段階で最前線へのマスク配布や、検査キットを一斉に配ることができました。大きいのは、柔軟なお金だったということです。
WHOへの拠出については二通りあると言いましたが、そのうち8割近くを占める任意拠出金については、イヤーマークといって、何に使うか、あるいはどの国に使うかということを事前に指定していることが多いんです。例えば、水と衛生分野に、結核対策に、アジアのこの地域に、といった具合です。今回のコロナのような事態が急に起きたときに、すぐに使える十分なお金があるわけではないし、用途を変えるのも不可能ではないですが、勝手に変えて使うわけにもいきません。4月、5月のころは連帯基金のお金が生命線でした。
■コロナ後の世界のありように光
――連帯基金のほかにも、官民の様々な主体がワクチンや検査薬の共同開発をしたり、ワクチン共同購入の枠組みに参加したりしています。
今回のコロナをめぐっては、各国がそれぞれに取り組むという面と、多国間で共に取り組むという面の両面がハイライトされています。
コロナ対策では、国境の閉鎖や輸出入の管理、どんな人に検査するか、どう検疫するかなど、各国が一つ一つ政策を決めています。国家という単位が重要になってきました。
それと同時に、国を超えた連帯のようなものが非常に重要だということも、また一方で出てきたわけですよね。独立した国家としてのアイデンティティーを超えた連帯が重要だということを考えたときに、例えば連帯基金というのが一つの答えを出してくれているのだと思います。このコロナ危機のど真ん中の時期に、連帯基金にお金が集まったり、ワクチン開発の枠組みを(官民が連携して)つくったりするのは、人類の知恵なんだと思います。そうした努力は、たとえ100%完璧じゃなくても、コロナ後の世界のありように光を与えていると思います。
■国際機関を支える民の役割
――長い目で見て、特に2000年以降の民間資金の存在感というのは、国際機関にいる立場から見てどうでしょうか。
ドナーの多様性が増しているのは間違いないですし、この傾向は続くと思います。国を超えて、国家とは違う形で国際機関を支える役割というものがあるんだと思います。WHOの三つの柱の中の健康作りという立場から言えば、民間企業との連携なくしてはもうありえない。2000年以降、MDGs(ミレニアム開発目標)、SDGs(持続可能な開発目標)とずっとやってきて、低栄養や飢餓の子どもたちは減ってきたんですけど、コロナでそれが逆戻りしてしまいました。食糧危機や食品の流通、親の貧困、学校の閉鎖などさまざまな理由がありますが、そこは民との関係なくして対処できません。直接的なお金だけではなくて、知恵や取り組みなども含めてです。
民の活動が経済成長を支え、地域の成長を支え、持続可能な社会作りへの人々の参加を可能にしています。人々が自分の夢や希望を実現し、希望をもって次の世代を育てられる環境をつくるには、行政がやれることもたくさんありますけど、民が担っていることも非常に多いです。
■国際政治と無関係ではいられない
――WHOをめぐっては、米国の脱退宣言もありましたし、「中国寄りだ」との批判もあります。
国際機関なので、国際政治と無関係にはいられません。今回、国際政治の世界で、二つの大国の問題が出て、関連する様々な国のありようが問われているのだと思います。今回のコロナ危機は、明らかにWHO始まって以来最大の危機の一つ、あるいは第2次大戦後の国際機関が生まれてからの最大の危機の一つだと思います。
ただ、ヘルスの分野で言えば、協力せざるを得ないのが現実だと思います。というのは、もちろん両方とも大国ですし、人口も非常に多い国で、様々な技術を持っています。アメリカは資金面はもちろんですが、技術的、人的な貢献もとても大きいです。ワクチン開発もアメリカの企業そのものの知恵とか力が重要になっています。中国もIT分野での能力はもう国際秩序の中で無視できないどころか、リードしている分野の一つです。IT分野でこれからの医療保健分野を支えるでしょう。
各国の政治に影響を受けることはあると思いますけれど、国際機関としては、世界中の人々に対してのメッセージを訴え続けて、人々の命と健康を守るため、同じ船に乗って同じ方向を目指していくということが大事だと思っています。国際機関に対して、自国の政策を進めるための手段として利用するという見方をしている人もいると思います。ですが一方で、世界が抱える課題を一緒に解決するにあたって、また安全で安心できる世界を作っていくために、国際機関という枠組みが必要だと思っている国も多いと思いますし、それに応えられる国際機関でありたいと思います。
■若い人へ「自信持って世界へ」
――最後に、日本や日本人に求められる役割について、どうお考えでしょうか。
安倍前政権の功績に、グローバルヘルスの重要性を訴えて世界の潮流に持ってきたということがあります。日本は皆保険制度だけではなくて、社会のインフラも含めて、一人一人が色々な形で成長していくこと、可能性を追求していくことで、豊かさや人々の幸福を実現しようとした国です。それを世界でも訴えてきた国であることに誇りを持っていいと思います。
これからも、人々の命や健康を大事にする社会を実現するために、色々な知恵を出していくことにぜひ、日本のみなさんには貢献してもらいたいと思います。一人一人の日本人は、様々な経験やアイデアをたくさん持っていると思うんですね。世界の人と一緒に学んで新しいものを作っていくということが、もっとできると思っています。
これからの世代、若い方たちはどうぞ、自信を持って色んな場面で国際社会に関わったり、発言したり、参加したりしていってほしいと思います。それはヘルスの分野に限らず全ての分野で、官民問わずです。物理的にどこかに行かなくてもネットもスマホもあるし、様々な場面で発信、交流できるので、ぜひ日本の貢献を続けてほしいし、もっとできることがあると思っています。
やまもと・なおこ 1985年、札幌医科大医学部卒、厚生省(当時)入省。91年に岡山大で医学博士、92年に米ジョンズホプキンス大で公衆衛生修士。厚労省総括審議官(国際保健担当)をへて、2017年からWHO事務局長補(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ/健康作り担当)。