米ガールスカウトの制服に、今は欠かせないもの。それは、ベストのポケットだ。
しかも、問題はその大きさ。一番大きなiPhoneでも、入らないといけない。
「仮縫いでいろいろ試したけれど、それが最大のポイントだった」とガールスカウト米国連盟の収入部門幹部ウェンディ・ルーはいう。「『iPhoneが入るの? なら、それで行こう』って感じだった」
連盟は久しぶりに制服を一新し、2020年8月に発表した。ベストの他にも、デニムの上着や黒いスパッツなど、6年生から12年生(訳注=日本の高校3年生に相当)までの新しい制服十数種類が、これに合わせて紹介された。
デザインしたのは、ニューヨーク市にあるニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)の3人の学生。スカウトらしさを失わない服装の組み合わせを、なんとか女の子たちの衣装ダンスに浸透させたい。そのためには、制服の用途にもっと幅を持たせ、現代的な感覚にマッチさせねば――こう考えながら、スポーツウェアと普段着を兼ねた服にまで、様々な工夫をこらした(もっとも、もともと人気のなかった部屋着は含まれていない。コロナ禍のもとでは検討対象になったかもしれないが、デザインの選択はその前に終わっていた)。
連盟の期待もこもる。とくに、中学から高校にかけての上級生の心をとらえ、この活動を真剣に続ける一助になってほしいとの願いがある。
「ガールスカウトとして学ぶ範囲は、時代の先端にあわせてどんどん変えてきたのだが」と連盟のルーは話す。
理数・科学技術系の理解を促すSTEM教育や実業・起業の教育コースが、ここ数年の間に取り入れられた。プログラミングやサイバーセキュリティーをこなし、マーケティングや事業計画を立案することで、評価を得られるようにもなった。「ところが、制服はこれに追いついていなかった」
新しい制服を考案したFITの3人の学生は、構想を詰める段階で数十人のガールスカウトに自分たちの考えを説明し、反応を探った。「もっとクールな感じをみんなが求めていた」と3人の一人のメリッサ・ポスナー(24)は振り返る。
スカウトの催しは、よく放課後にある。私服で登校し、授業が終わって急いで制服に着替える方が、制服で登校するよりはるかに多かった。「学校に着ていってもおかしくないものが求められていたのは明らかだった」
公式の制服で中心となるのは、ベストや幅広のたすきだ(学年が低ければ、チュニックも)。色は学年によって、青や茶、緑、カーキ色と異なる。これにスカウト章や飾りピンが加わる。公式の場では、ベストやたすきは、白いシャツとカーキ色のズボンとの組み合わせにするか、連盟のブランド服(ポロシャツとシンプルなスカートが多く、これまでは選択の幅が限られていた)の上にまとわねばならない。
カーキ色のたすきは、(訳注=12歳までの)プレティーンの女の子向けも含めて、これまでと目に見えるほどの違いはない。デザインを変える選択肢があまりないからだ。それでも、ここにもiPhoneが入る隠しポケットができた。
これが、機能性を重視したカーキ色のユーティリティー・ベストとなると、話は別だ。新たに襟に切れ目の入ったノッチトカラーや肩飾り、スナップボタン、腰の部分が絞り込まれたシンチウエストが登場。色もより明るく、布の素材もよりソフトになった。バーバリーがトレンチコートの王者とされるなら、新しいベストはまさにそのガールスカウト版といえるだろう。
それにも増して変わったのが、ベストやたすきの下に着る約20種類の「公式アパレル」アイテムだ。今回のデザイン刷新の最大部分を成しており、いずれもティーン向けを明確に意識している。
価格は10~49ドル。クルーネックのスウェットシャツや引きひもを結ぶジョガーパンツ、丈の短いニットドレス、短いカーゴスカート、ウエストポーチ、デニムの巻きスカート……。ネットで話題のブランド、ファッションノバとは違うかもしれないが、この制服コレクションの方がこれまでのものより時代感覚に合っているのは明らかだ。
「これだけの規模でデザインを変えたのは、二十数年ぶりのこと」と先のルーはいう。「ガールスカウトの制服史を振り返ると、みな時代のファッションをよく反映していた。ほぼ10年ごとに刷新されていたが、1990年代ごろにそれが止まってしまった」
なぜか。今回の制服一新で監修にあたったFITのデザイン技術研究所の責任者マイケル・フェラーロは、こう見ている。
「90年代の女性の社会進出はめざましかったが、挑発的で大胆でもあった。しかし、ガールスカウトの活動にはなじまず、スカウト側は当時かっこよいとされていた文化から距離を置くようになってしまった」
FITの3人の学生は、デザインの刷新にあたって制服の歴史から学び始めた。驚くほどの豊かさが、そこにはあった。
1928年には緑色が登場し、今でも高い人気を誇る。その前はカーキ色だけで、首をかしげる人もいた。ボーイスカウトや軍隊が使う色とされ、主婦にはそぐわないと見る時代状況があった。
48年には、米ファッションデザイナーのメインボッチャー(訳注=本名Main Rousseau Bocher)に制服作りを委託した。パリで王族やセレブ、社交界の著名人を相手に10年ほど活躍したが、第2次世界大戦が始まり、拠点をニューヨークに移していた。
その制服は、ディオールのニュールック(訳注=47年に発表。一大旋風を巻き起こした)の宣伝にでも出てくるようだった。若草色のシャツドレス(訳注=ワイシャツの裾を伸ばしたような服。襟や袖にもワイシャツの特徴が生かされている)にスポーティーなネッカチーフ。長く折り返した袖には、スカウト章が縫い込まれていた。
20年後には、(訳注=スポーツウェアのデザインで知られる)ステラ・スロートが刷新する。成人したスカウト用の緑の制服は、野外で活動する女性よりフライトアテンダントを想起させた。スラックスは、ウエストに伸縮性を持たせ、裾が広がっていた。上着は半袖で、ファスナーで締めるチュニックだった。
78年には、米ファッションデザイナーのホルストン(訳注=本名Roy Halston Frowick)が担当。ポリエステルの素材を使って、その道のプロらしく上下を巧みに組み合わせたセパレーツのコレクションができた。ベルト付きジャケットとベスト、パンツの色は、より落ち着いた緑になった。
80年代には、米ファッションデザイナーのビル・ブラスが明るい緑色を復活させた。それも、ネオンのような明るさだった。セパレーツスタイルそのものは、踏襲された。カーディガンやストレートのパンツにAラインのスカート。様々に組み合わせを楽しむことができた。
こうした変化は、確かにここ数十年は止まっていた。ただし、連盟の発足時から通して見ると、米国のガールスカウトはどんな大手のスカウト組織よりもひんぱんに制服を変えていたとティモシー・ウィンクルは指摘する。首都ワシントンの国立アメリカ歴史博物館の学芸員で、ガールスカウト米国連盟が創立100周年を迎えた2012年に展示会を企画している。
「必ずしも流行を常に追っているというわけではないが、制服のあり方と組織のブランド力について連盟はずっと考えてきた」とウィンクルは解説する。「『私たちの団員が心から求めているものは何か』『団員が魅力を感じるのは何か』『団員をワクワクさせるものは何か』」と問い続けてきたというのだ。
とりわけ制服という制約があるだけに、新たな変化を編み出すには慎重さが求められる。新しさと伝統のバランス。強固な共通の帰属意識の維持と、個性の尊重。その間で、いかに柔軟さを発揮するか。これが、メンバーを魅了し、維持し続けるカギとなることを歴史は示しているとウィンクルは語る。
団員の維持と獲得。それは、まさにガールスカウト米国連盟が近年、直面してきた問題でもある。
今回の新しい制服を生み出したFITの3人の学生(いずれも2020年の卒業生)は、様々な組み合わせを楽しめるようにするという伝統を維持することを心がけた。とくに、11~18歳向けのデザインには気を使ったと明かす。
「この年代になると、母親らが選んでくれたものよりも、自分の好みを強く意識するようになる」とそのうちの一人、ニディ・バシン(24)はいう。だから、女の子たちがファッションの世界を探り、自分で答えを見つけて個性を磨くことができるように3人で努めた。
「自分を見つけ、自分らしさを確立させることが大事」ともう一人のジェニー・フェン(22)は、言葉をつなぐ。「それは、大人になったら、どんな人間になりたいかを探るということでもあるのだから」(抄訳)
(Jessica Testa)©2020 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから