ロシアの反体制活動家ピョートル・ベルジロフは2年前、健康に関して何ら前兆を感じていなかったのに、突然、激しい吐き気を催して昏睡(こんすい)状態に陥った。クレムリン(ロシアの政権中枢)に敵対する者にとって、よくあることだった。
反政府パフォーマンスを演じる舞台アーティストとして知られるベルジロフ(訳注=ロックバンド「プッシー・ライオット」のメンバー)は、ロシアで最も著名な野党政治家アレクセイ・ナバリヌイが8月20日、モスクワに向かう飛行機内で見舞われた不可解な症状と同じ状態を示したのだ(訳注=同月22日、ベルリンの病院に転院した。病院は8月24日、コリンエステラーゼ阻害薬による中毒を示す結果が示された、と発表した)。
「私もまったく同じ症状だった」。ベルジロフは同日、2018年に1カ月にわたり続いた病気についてロシアの独立系テレビ局「Rain TV(レインテレビ)」のインタビューにそう語った。
ベルジロフは人工呼吸器で生きながらえ、その後、治療のためドイツに飛んだ。医者は毒薬の痕跡を認めなかったが、彼は毒が原因だと確信しており、クレムリンの仕業だと言った。
毒薬。それは中世の陰謀を想起させるが、ここ1世紀余にわたってロシアの諜報(ちょうほう)機関が好んで使ってきた道具なのだ。そして、クレムリンを批判する人たちや独立系アナリストたちは今日でもその手段が使われていると指摘している。米国やイスラエルといった国々には標的を絞った殺害プログラムがあるが、その使用をテロ対策に厳しく制限している。ロシアの場合は対照的で、幅広く国内外のさまざまな敵を標的にしていると批判されてきた。
諜報機関を離反した人物(複数)によると、旧ソ連には無味で追跡不能の毒薬を研究する秘密の実験所があり、強制労働収容所の死刑囚を使って試験をしていた。
過去20年にわたるロシア内外での反体制派の活動家やジャーナリスト、離反者、野党指導者に対する一連の暗殺および暗殺未遂を受けて、研究者たちは、旧ソ連後の政府は、望ましい武器として毒薬庫に目を向けたと研究者たちは結論づけている。
ロシア政府に非難が向けられた毒薬問題で、特定済みないし疑いのある物質は、放射性のポロニウム210、重金属、希少なヒマラヤ系植物毒素のゲルセミウム、触ると致命的な軍用神経剤のノビチョクなどだ。
食事かお茶――ナバリヌイが体調不良に見舞われる前に空港のカフェで口にしたと言っている最後のモノ――に毒を盛るのはたやすく、特別な訓練は要しない。元野党議員で、旧ソ連の諜報機関「KGB」の大佐だったこともあるゲンナジー・V・グドコフは8月20日、電話インタビューに応じ、そう語った。
「簡単だし、痕跡を隠すのも簡単だ」と彼は話し、「誰だって毒薬を使える」と言い添えた。彼によると、毒薬は、殺害するか、長期にわたって不快な病気にさせて無力化するために使われる。
たとえば、ウクライナの元親西側の大統領ビクトル・A・ユーシェンコは産廃の汚染物質ダイオキシンで顔に醜い痕が残った。おそらく、ゆでたクレイフィッシュ(訳注=ザリガニの一種)の料理に入れられたとみられる。ユーシェンコは毒を盛った犯人をロシアの諜報員としている。
クレムリンは、ナバリヌイを長年にわたり敵とみなしてきた。役人の汚職を調査していたからだ。彼は嫌がらせを受け、何度も投獄されたが、その期間は短かった。
ナバリヌイが、突然の体調不良に襲われたため乗っていた飛行機は緊急着陸し、彼はシベリアの病院に急送された。医師は、原因について発表しなかった。
ロシア国営タス通信は匿名の司法機関筋の話として、当局は薬物が意図的に使われた可能性についてはまだ検討していないと伝えた。ナバリヌイの主治医ヤロスラフ・アシクミンは、体調不良になった後のナバリヌイに会っていないので、原因が毒薬かどうかは判断できないと語った。だが、「そのように見える」とも付け加えた。
ナバリヌイが飛行前か飛行中に毒を盛られたとすれば、ロシアの民間航空機の制御する環境で反体制派の人物が標的にされるのは初めてのことではない。
反体制活動家のウラジーミル・カラムルザは2015年、モスクワで1週間にわたって昏睡(こんすい)状態に陥った。彼は後に、アエロフロート機での機内サービス中に毒物を摂取したものと信じていると語った。
その症状には、脳の腫れや腎不全などがあった。妻のエフゲニアは、彼の腕と足が青みを帯びたのを覚えている。毒薬にまるで漫画のような反応を起こしたことに驚いたという。
カラムルザは2017年にも、ロシア国内で2度目の毒を盛られたが、生き延びたと言っている。それは、モスクワの橋で2015年に射殺された別のロシア人政治家ボリス・Y・ネムツォフに関するドキュメンタリーを見せるための旅行中だった。
反体制派ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤも2004年、国内航空「カラット(Karat)」の機内で毒を盛られた。彼女は毒入りのお茶を1杯飲んだのだと言う。その時は生き延びたものの、2年後、彼女のアパートのエレベーター内で射殺された。
触ると致命的な毒素も発覚している。アラブ生まれのテロリストのイブン・アルハッタブは2002年、神経剤が塗られた手紙を開けた後、チェチェンの山中の隠れ家で死亡した。
毒薬の一部は、旧ソ連崩壊後の初期に政府の武器庫から持ち出され、ロシアの組織犯罪戦争で使われた可能性がある。たとえば1995年、ロシアの銀行家イワン・キベリディは触ると致命的な毒薬に接触して死亡した。彼の秘書が同じ症状で死んでいなかったら、死因は不明のままだったかもしれない。秘書の死はオフィスの電話の受話器に同じ毒薬を塗られたためだったと見られていた。(抄訳)
(Andrew E. Kramer)©2020 The New York Times
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