■「対策資金山分け会議」の映像も流出
現地からの報道などによると、顕在化した「コロナ汚職疑惑」は次のようなものだ。
新型コロナの感染者が世界で8番目(9月19日現在)に多い南アフリカ(南ア)では、与党アフリカ民族会議(ANC)の複数の政治家が医療器具の政府調達に絡んで賄賂を受け取った疑惑や、ANC関係者の経営する企業がマスク納入で市中価格の3倍以上を請求し、不正に公金を得たとの疑惑が次々と浮上。ラマポーザ大統領の側近であるディコ大統領報道官、ANCのマガシューレ事務局長などにも嫌疑がかかっている。
南ア政府の特別捜査チームによる8月19日の議会報告によれば、感染対策に関連した政府調達で汚職が疑われる契約が計658件、契約額の総額は50億ランド(約320億円)に達するという。ラマポーザ大統領は8月23日、ANC党員に送った手紙に「怒りと幻滅を感じる」と記し、捜査を進める考えを示した。
ケニアでは、感染対策を統括するケニア医療供給庁(KEMSA)の幹部らが防護服の調達に際し、業者と癒着して約4億ドルの公金を不正に取得した疑いが持たれている。KEMSAの長官は既に停職処分を受け、ケニヤッタ大統領は8月26日、捜査のスピードアップを命じた。このほかにも、中国のIT企業アリババグループの創業者である馬雲氏が寄付した医療器材が所在不明になり、政府関係者によって不正売却された疑いなどが浮上している。
ナイジェリアでは8月、保健省がマスク1808枚を国費で購入するのに3706万ナイラ(約1025万円)を支払っていたことが、地元NGOによって明らかにされた。マスク1枚に5669円を支払ったことになり、価格を水増しして公金を支出し、調達先企業から政官界にカネが還流した疑いが指摘されている。
ウガンダでは、駐デンマーク大使と複数の大使館員が感染対策資金を山分けする計画を話し合っていたとみられるZoom会議の映像がSNSに流出した。ウガンダ政府は8月24日、大使らを本国に召還し、他にも感染対策に関連した不正が政府内に存在しないか会計検査院が調査を進めている。また、ソマリアでも同じ8月24日、首都モガディシオを管轄する裁判所が保健省の高官4人に対し、感染対策予算を私的に流用したとして有罪を宣告した。
恐らく顕在化した疑惑は氷山の一角であり、真相究明を求める市民から見れば政府の対応は不十分極まりないものだろう。しかし、「汚職の噂」が単なる「噂」に終わらず、市民の怒りが社会で広く共有され、時の政権がたとえ不十分であったとしても真相究明に向けて突き動かされる事態の展開は、この大陸の歴史を考えると隔世の感がある。
■植民地時代から引き継いだ国内対立
1960年代に宗主国からの独立が相次いだアフリカでは、植民地の領土をほぼそのまま継承する形で独立した国が多く、独立後は一つの民族が複数の国に分かれたり、言葉の通じない者同士が同じ「国民」になることを強いられたりした。このため独立後は多くの国で民族、宗教、地域などに根差した国内対立が顕在化し、クーデターが発生する国もあった。そこで、各国の指導者は自身の指導の下での国民統合を目指し、軍政や一党制を導入した。この結果、80年代には当時のアフリカ51カ国中、常時30カ国前後が軍政または一党制下にあった。
だが、近代国家として未成熟な状態で導入された軍政や一党支配は、ほぼ例外なく最高権力者の個人支配へと堕落していった。70~80年代の東西冷戦時代には、米ソ両陣営がそれぞれ友好国を増やすことを優先し、国民の暮らしを顧みない独裁者にも援助を与えた。
独裁者たちは私腹を肥やしつつ、出身地の人々を政府や軍の要職にとりたて、利権を与えることによって権力基盤を維持した。このように、政府が援助を効率的に使って開発を進めるのではなく、地縁血縁に基づいてカネをバラまく仕組みを発達させたことによって、多くの国で汚職は構造化され、社会の営みの一部となったのである。
■迫られた「民主化」、招いた光と影
89年の冷戦終結に伴う東側陣営の消滅を受け、西側ドナーは援助政策を大きく転換し、援助の条件としてアフリカ諸国に「民主化」を求めた。経済が崩壊状態だった多くのアフリカ諸国はこの要求に応えるしかなく、各国が相次いで複数政党制を導入した。新たな民主主義の時代がアフリカに到来するかに見えた。
しかし、こうした急激な体制転換の結果、それまで政権の強権的統治に不満を抱きながらも力で抑えつけられていた反体制勢力が90年代に伸長した。多くの国で政情が不安定化し、内戦に突入する国もあった。
大規模な武力紛争の多くは21世紀に入って沈静化し、多くの国で政治指導者は世代交代したが、混乱の90年代にすっかり弱体化した各国のガバナンス(統治)の下で、限られた開発資金を仲間内で分け合うシステムは新しい指導者たちに継承された。政治腐敗問題に取り組む国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」が毎年公表している腐敗認識指数(腐敗の深刻さを測る指数)ランキングで、アフリカ諸国は下位グループの「常連」となり、汚職が事実上野放しになる状態が続いてきた。
■育ってきた中間層、支えるSNS
それがなぜ、今回の「コロナ汚職疑惑」では、曲がりなりにも各国の政権が真相究明を約束し、何らかの対応策が講じられるようになったのか。
まず注目すべきは、不正を追及するに当たって、各国の市民組織が大きな役割を果たしている点だ。ケニアでは首都ナイロビで8月下旬以降、「#arrestCovidthieves(コビッド泥棒を捕まえろ)」と書かれたTシャツを着た市民がデモを繰り広げ、政府への抗議活動を続けてきた。ナイジェリアで保健省の不正を明らかにしたのも、地元NGO「CivicHive」だ。
アフリカの多くの国で過去十数年にわたって経済成長が持続した結果、都市部の20~40代を中心に中間層が出現した。高等教育を受け、言論の自由や法の支配といった近代市民社会の価値観を持ち合わせた彼らは、アフリカにおける新しい市民運動の担い手である。
次に、やはりSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の力が大きい。ナイロビのデモは9月2日、警察によって鎮圧されてしまった。市民の活動は、かつてならばここで勢いを失っただろうが、今は市民の声がSNSで拡散し、他のアフリカの国々の市民との連携を可能にしている。国境を越えてつながる市民の動きに着目した南アの国営放送SABCは9月4日、南ア、ケニア、ナイジェリアの市民活動家を結んで一連の「コロナ汚職」を考える番組を放送し、ケニアからは筆者の友人の活動家がリモートで出演した。
■ナイジェリア大統領選で変化の兆し
特権層の汚職に怒る市民が政権を突き動かす。その兆しは数年前からあった。筆者がそれを感じたのは、2015年3月に投票が行われたナイジェリア大統領選だった。
この選挙では、1999年の民主化以降与党であり続けてきた「人民民主党(PDP)」の現職大統領ジョナサン氏が敗れ、野党連合「全革新会議(APC)」の統一候補であるブハリ氏が当選し、民主化後初の政権交代が起きた。
この時にブハリ氏を勝者に押し上げた要因の一つが、汚職との闘いを掲げた同氏に対する国民の期待であった。42年生まれのブハリ氏は83年12月にクーデターで政権を掌握し、85年8月まで最高軍事評議会議長(国家元首)としてナイジェリアを統治した経験のある軍人政治家だった。
わずか1年8カ月の短い期間であったが、ブハリ氏は当時、徹底した緊縮財政で国家財政の再建を目指し、汚職対策を推進した。そして、その政治姿勢があまりに厳しかったために既得権層の反発を買い、クーデターで追放されてしまった。
しかし、それから30年。今度は汚職との闘いを望む市民の声が、72歳になっていた清廉な武断政治家ブハリ氏を大統領の座に押し上げた。民主化の進展によって、市民の怒りと正義感が政権選択に反映されたのである。
市民が汚職に怒る一方、外国企業の投資を誘致したいアフリカ諸国の政権にとっても、政治家や役人の汚職は政治的に許容できない問題になりつつある。汚職は企業の投資意欲を減退させ、経済成長のチャンスを逃すことにつながりかねないからだ。
外国からの投資を基盤とする近年のアフリカの経済成長は、各国に巨大な貧富の差を生み出すことにつながったが、中間層の誕生やSNSの爆発的普及を促進し、政権側の意識の変化も促した。「コロナ汚職疑惑」を巡る一連の社会の動きは、経済成長によって変わるアフリカの一つの象徴ではないだろうか。