毎年9月の第3月曜日は、「敬老の日」。長野市在住の金子孝義さん(71)は、この日が近づくと、やるせない気分になる。
5年ほど前、町内で催される「敬老会」に世話役の一人として参加した。70歳以上の約130人が招待され、その半数が出席して公民館で食事をしながら盛大に祝った。希望者には送迎タクシーを手配し、まんじゅうの記念品も出る。金子さんは驚いた。この行事だけで毎年の運営費が20万円を超えるという。これは年間の町内会費の約1割。同じ町内の育成会に加入する小学生は6人。こちらの予算は年5万円と微々たるものだ。
これが「シルバー民主主義」というものか。金子さんは得心した。商売人の家に生まれ、車の営業マンを長く続けた。先輩から「客商売でスポーツと政治の話は厳禁」とたたき込まれた。正直、必ずしも民主主義が良いとは思っていない。専制政治だって、独裁だって指導者さえ悪くなければ、商売はやっていける。そう信じて生きてきた。
やがて年金をもらうようになり、孫は5人に増えた。65歳以上の国民1人に対して、支え手となる現役世代(15~64歳)は、30年前に6人だったのが、今は2人。孫の世代が急に心配になってきた。「近い将来いなくなる自分たちの世代を重視する政策を掲げれば、政治家が票を集める。これが民主主義か?」
自分なりに策を考えた。運転免許証と同じように、平均余命を過ぎたら投票権を返納できるようにしたらどうか? 政治を真剣に考える若い人が希望すれば、投票権を分け与えるのもいい。3歳年下の妻に持論を話すと、「それは良い考えね」と珍しく賛成してくれた。
だけど、同世代の友人たちに打ち明ける気はない。「何を言ってやがんだ」と非難を浴びるに違いないからだ。匿名で続けているブログには、その思いをつづった。が、今のところ、誰からも反応はない。「年寄りを批判するなら、年寄りがしなくちゃ。でも、既得権益を手放すとは思えない。それも民主主義ですから」
■世代で票の重みを変えてみたら
「シルバー民主主義」とは、少子高齢化が進む先進国などで、高齢者が有権者の多数派となり、政治への影響力が増すとされる現象。日本の場合、1950年には全有権者のうち若者世代(20~30代)の割合は50%を超えたが、2015年には30%弱まで低下。逆に、高齢世代(60歳以上)の割合は14%から40%に上昇。2050年には、有権者の半分以上が高齢世代になると予想されている。
「シルバー民主主義」は今や、日本だけでなく、人口が減り始めた先進諸国でも議論の的となっている。「世代別の選挙区を設けてはどうか」「未成年の子供を持つ親に、代理投票権を与えよう」――。そんなアイデアが続々と提案されている。でも、本当に効果があるのだろうか?
米イエール大学助教授の成田悠輔氏(34)は、2016年の米大統領選について、投票者の平均余命に応じて票の重みづけを試みた。たとえば、その選挙区の平均余命が80歳なら、20歳の票の重みを40歳の1・5倍にする。米調査機関や民間企業の世論調査のデータをもとに、大統領選の選挙人制度に当てはめて再計算した。すると、ヒラリー・クリントン氏の選挙人獲得票が実際の約43%(227票)から約63%(336票)に跳ね上がり、トランプ氏に圧勝した。
トランプ勝利のカギとなった「ラストベルト(さび付いた工業地帯)」のウィスコンシンやペンシルベニア、ミシガンの各州などもヒラリーへとなびいた。
成田氏は、米国の複数の州知事選や、英国のEU離脱を決めた国民投票でも同様に試算してみたが、いずれも現実とは逆の結果になったという。
うーん。将来を担う若者の意見を重視すれば、歴史が変わったかもしれない。そういうことなのだろうか?
そう単純な話でもない、と成田氏は言う。「今日の若者だって、いずれ老人になります。『もっと若者の声を聞こう』と叫ぶとき、人は遠くの未来ではなく、すぐそこの近い未来ばかりを見ている危険性もあるのです」
■「若者も投票に行こう」では解決にならない
いずれにしても、社会の年齢構成がゆがむと、民主主義の原則である「1人1票」に限界が出てくるということは言えそうだ。ただ、日本の場合はどうだろう。昨年の参院選の投票率を見ると、10代は32・28%、20代は30・96%。一方、60代は63・58%、70代以上は56・31%で、若者層のほぼ2倍だった。
お説教したくはないけれど、まずは若者たちが投票に行けば問題はだいぶ解決しそうに見えるけど……。いやいや、そう簡単な話ではないと言うのは、昭和女子大学副学長の八代尚宏氏(74)だ。『シルバー民主主義』(中公新書)の著作もある八代氏は、「学生たちに話を聞くと、彼らはこう訴えるのです。自分たちが何を言ってもダメ、投票したい政治家もいない。もう諦めている、そんな感じなんです」と言う。
そもそも民主主義の原則に照らせば、有権者の多数派を占め、投票率も高い高齢者の意に反して物事を決めるのは、「机上の空論」である。八代氏はそう考えている。
自身5人の孫を持つ八代氏は、こう説く。「日本のお年寄りは正月、孫にお年玉をあげるのを楽しみにしています。それなのに実際、社会保障制度では孫の世代から、お年玉を取り上げているのです。最大の問題は、多くの高齢者がその事実を認識していないことなのです」
経済的に恵まれず、手厚い社会保障を必要とする高齢者は少なからずいる。その現実を認めたうえで、足りないのは高齢者への「信頼」と「説明責任」ではないか、と八代氏は問いかける。そして、目先の当選にとらわれて、長期的なビジョンを丁寧に説明しない政治家にも責任がある、と訴える。「高齢者はわがままで、自分の利益しか考えていない。多くの政治家がそう思っているとしたら大間違いです。多くの高齢者は、可愛い孫のためには痛みを強いる政策でも身を切る覚悟はある、私はそう考えます」