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シンガポールでデザインし有田で作る 新しい民芸へ、あるデザイナーの挑戦

LifeStyle 更新日: 公開日:
「SUPERMAMA」の店内とエドウィン・ロウさん=2020年7月23日、西村宏治撮影

正式には「伝説の、魔法の言語変換カップ」というこのカップ。日本人にはなじみ深い藍色の染め付けの湯飲みだが、デザインはどこかシンガポール風。シンガポール各地に咲くテンブスの花があしらわれ、裏印にはマーライオンが描かれている。

「言語変換カップ」。シンガポールを代表するテンブスの花がモチーフになっている

そんな湯飲みがなぜ、「言語変換カップ」なのか。

実はこれにはモデルとなったカップがある。リー・シェンロン首相が4月、テレビ演説をした時に使っていたカップだ。外出制限など新型コロナウイルス対策を発表したリー首相は、まず公用語の英語で話し、カップを手にとって飲みものをすすると、次は同じく公用語のマレー語、その次には中国語で演説した。

まるでカップを手にするごとに言語が切り替わるように見え、「魔法みたいだ」とネットなどで話題を呼んだ。

「これをもとに、面白い商品がつくれるんじゃないか」。2010年からシンガポールでデザインショップ「スーパーママ」を営むデザイナーのエドウィン・ロウさん(41)は、ネットでの盛り上がりを見てそう思ったという。

テレビで見たカップは、印象に残っていた。政府は首相のカップの由来を明らかにしていないが、日本の湯飲みの形だったからだ。ロウさんは有田に頼めば製品化できるだろうと考えた。2012年に有田焼の産地商社キハラと提携し、シンガポールでデザインして有田で製造した商品を販売してきた実績があったからだ。キハラに頼めばうまくいく。すぐに商品化の相談を持ちかけた。動画からスケッチを起こし、さらに自分なりのアレンジを加えてデザインした。「このマーライオン、日本の職人さんが描いてくれたんですよ」と嬉しそうだ。

しかし、そこまでして、なぜロウさんはこのカップをつくろうと思ったのか。理由は、単に話題に便乗してもうけようというものではない。背景には、日本の「民芸」へのあこがれがある。

「言語変換カップ」の裏には、マーライオンが描かれている

デザインがひとびとを結びつける

「民芸」と言うと地方のおみやげ品といったイメージもあるが、もともとは思想家の柳宗悦(1889~1961)や陶芸家の浜田庄司(1894~1978)、河井寛次郎(1890~1966)らが1920年代に考え出した概念だ。鑑賞を目的とする美術品だけではなく、普段使いの工芸品、日用品の中に美を見出そうという思想だった。さらに柳は、民芸品は生活に密着しているために各国の国民性を示していて、その国民性がお互いに尊敬されることで世界は平和になると論じた。

シンガポール国立大でデザインを学んだロウさんは、携帯電話などのデザインも手がけた工業デザイナー。デザインを学ぶ中で、この民芸の思想に大きな影響を受けるようになったという。

もともと日本のデザイナーたちには関心があった。無印良品などで知られる深澤直人。nendoの佐藤オオキ。「デザインもすばらしいが、その奥にある生き方への考え方、哲学が非常に勉強になった」

民芸を提唱した柳宗悦を知ったのは、その長男・柳宗理(1915~2011)の代表作、バタフライスツールについて学んだことがきっかけだった。さらにその印象が強烈になったのは、シンガポール政府のデザイン顧問を務めていた喜多俊之が主催した日本ツアーに参加した時だ。

ツアーでは東京、大阪、京都などを訪問。グッドデザイン賞の表彰などのイベントのほか、和紙など伝統工芸の工房も訪ねた。旅を通じて、デザインが社会に与える影響を深く考えるようになった。

「陶磁器や弁当箱、和紙などの民芸品を見ると、日本人は何も説明しなくても日本を感じますよね。つまりデザインが日本人という人々を結びつけているんです」

有田焼だけではなく、薄張りのガラスなど、様々な日本の製品との共同制作を進めている=2020年7月23日、西村宏治撮影

では、シンガポールではなにが人々を結びつけるだろうか、と考えた。まず考えついたのは「食」だ。国中に広がる公共団地などに備えられたフードコート、そこで食べるチキンライスなどのローカルフード。シンガポールの誰もがそこに思い出があり、懐かしく思える。みんなにふるさとを思い出させる力がある。

だが、日用品についてはあまりないな、と思った。自分がデザインしていた携帯電話なども、世界中で同じようなデザインだ。食器などを見て「懐かしい」と思う感覚もあまりない。ならばそういう日用品をデザインすることこそ、デザイナーとしての自分の仕事だと思うようになった。そして考えついたのが、シンガポールらしさを表現した日用品をつくること。日本の工芸技術の高さ、品質の高さなら面白いものがつくれると考えた。それにシンガポールは貿易拠点として発展してきた国だ。様々な地域のいいものを採り入れることそのものが、シンガポールらしさなのではないかと考えた。

課題は、制作してくれる産地があるかどうかだった。日本の伝統工芸品の産地には、それぞれ独自の美意識があり、それが「らしさ」を生んでいる。まったくよそものの、しかも外国人のデザイン提案を、わざわざ聞いてくれるだろうか。

そんな折に出会ったのが、キハラだった。2012年、シンガポールでの展示即売会を訪れたことをきっかけに話が進み、提携がスタート。「シンガポールデザインの有田焼」という試みが始まった。

 日本の強みとの結びつき

外国でデザインした工芸品をつくる試み。キハラのブランドマネジャー松本幸治さん(46)は、まったく逆の方向から同じようなことを考えていたという。

国内市場が縮小する中、伝統産地が生き残る道は海外市場にある。そう考えた同社は2000年ごろから、世界最大級の消費財の見本市、ドイツの「アンビエンテ」などに出展を重ねていた。

その場で注文が入ることもあった。高い技術が驚かれることもあった。だが「その後が続かなかった」と松本さんは言う。日常的な取引には発展しなかった、というのだ。

そうした経験を重ねるうち、海外で日常的に商品を売るには、現地に強力な販売網を持つ企業と取引をするか、現地でデザインしてもらうか、どちらかの必要があると考えるようになった。ロウさんと会ったのは、ちょうどそんなタイミングだった。

松本さんは、海外とのつきあいの中で、有田の強みが見えてきた部分があるという。原料の天草陶石が生み出す独特の質感。各工程の仕上げの丁寧さ。熱収縮など、さまざま要因を計算したうえでデザイナーの意図通りに焼き上げていく技術。こうした高い技術こそ、海外から見たときの有田の「売り物」だと考えるようになった。

キハラはシンガポールのほかにも、パリで芸術家たちと手を組み、新たな作品をつくるといった試みを続けている。松本さんはこう言う。「若いアーティストたちには独特の感覚があり、本当に面白い。歴史的にも、有田は長崎に住む外国人から注文を受けて様々な製品をつくってきた。有田が持っている技術そのものを売り出していけばいいんです」

マーライオンのうろこをあしらった皿を見せるロウさん。シンガポールらしさを感じさせる製品作りに挑んでいる

若い国がめざす新民芸

ロウさんを中心としたチームが公共団地やクレーンなど、国のあちこちで見かけるものをモチーフにしてデザインした皿は、13年に大統領表彰を受けるなど、高く評価された。その後も、マーライオンをモチーフにした皿など、「シンガポールらしさ」を感じられる製品づくりを続けている。

「言語変換カップ」もそうした取り組みのひとつだ。首相の3カ国語での演説という話題そのものをテーマに取り込んだのは、2020年のシンガポールの記憶を呼び起こすため。このカップを手にするひとが、首相の演説を思い出し、それを通じてシンガポールというふるさとを思い出してくれればいい。そんな思いが込められている。あくまでめざすのは「デザインで人々を結びつけること」だ。

「これはシンガポール」と感じられるものを

ロウさんのカップは、ネットで話題になったこともあり、売れ行きは好調だ。

シンガポールは今年で建国55年。ロウさんは、さらに様々な製品を送り出し、伝統を作っていきたいと意気込む。現地のデザイナーや芸術家たちとの協業も進めていく考えだ。「目標はシンガポール版の新しい『民芸』。何百年か後、私たちの製品を振り返って見るひとたちに『ああ、これはシンガポールだな』と感じてもらえるようなものを生み出していきたいと思っています」